「死を考える100冊の本」

「生」を精一杯、謳歌するためにも、「死」にまつわる文化や思想をたくさん知っておいた方が良いと思う。

絶対的な死に対して、抗ったり、受け入れたり、人間は頭をフルに使って思索を巡らすが、死を一歩でも超えることはできないでいる。

人間は生涯をかけて生きることを学んでも、死はいとも簡単にそれを超えてしまう。

本来、死という無について、思想も哲学も意味をなさないのじゃないか?生物学的な死という現象の考察は除いて。

そもそも無について考察することはできない。せいぜい近くの周辺の事象について思索を巡らすだけのことだ。

それに死について考えれば考えるほど死を忌み嫌うことになってしまう。その理由はただ死への恐怖、それだけである。み〜んな、いずれ平等に死ぬのに、なんで怖いのだろう。

今ある自分が、この世界から完全になくなってしまう。これ以上の恐怖はないね。

ちょうど1年ほど前に焼き場で親父の骨を見て、有から無への変化の事実と完全なる虚無を感じて、身が震えるほど空恐ろしくなったのを思い出した。

死はもっと先だと思うけど、一体どういう構えで死を迎え入れればいいのだろうか?一種の諦めだろうか。そんなこと、すぐに忘れちまうけどさ。

理想の死に方は、死ぬことを意識してないままにポックリ逝くことだなぁ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。