「くらしのアナキズム」

アナキズムは、日本では“無政府主義”と訳されることもあるが、簡単に言えば、一切のあらゆる権威、支配から逃れ、相互扶助をベースに、個人の自由が最も重視される社会を理想とする思想で、バクーニン、クロポトキン、プルードン、ゴドウィン(日本じゃ大杉栄とかかなぁ?)などの思想家がいたけど、政治的な意味においては、全くの絵空事、夢物語だと俺は思う。学生の頃、黒色戦線社の本を入手して読んだけどね。

今や、究極的には国家が最も我々の生命、財産を脅やかす存在でもあって、例え国家に忠誠を尽くしたとしても利用されて殺されるのがオチである。

でも、その国家こそが人間集団社会の秩序ある基礎を構成する上で最も必要不可欠なものであることはアンヴィバレンツながらも仕方がないことだと思う。未開だった頃は別にして。まず国家がなくなったら混沌の世界になることは目に見えてる。

では、アナキズムが何の意味もないというとそうでもないと思う。まず、個人の内で、何ものにも縛られない自由な思考を巡らして何かを創造することは可能だ。

それに、国家の中において、非国家的空間が自然と生まれることは度々ある。災害などの非常事態時において、国とは関係なしに助け合いや贈与、秩序、自警が自ずと生まれて一定の秩序が保たれることはよくあることだ。

昔は、地方の村落など、国の管理が至らない場所に、“寄り合い”などのコミュニティ共同体が大きな意味を持つことは多々あっただろう。それこそ現実的な意味のあるアナキズムだと俺は思う。

熊本地震の際に、近所で助け合って、ウチのバアさんはオニギリを作って近所に配ったりしてたが、それこそ贈与のアナキズム的行動だね。

この本では文化人類学者の著者が、そうした日常にこそ、アナキズム的空間が発生しているのだが、現代はそれを無自覚に失いつつあることを訴えている。

本来なら、民主主義の多数決は真理を遠ざけコミュニティを破壊しかねないけど、我々は民主主義に希望を見出さざるを得ない。やっぱりアンヴィバレンツな存在だよなぁ、人間は。


いいなと思ったら応援しよう!

TOMOKI
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。