「死を想う」
FBから。
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昨年2月に亡くなった、水俣病の「苦界浄土」の石牟礼道子氏と詩人・伊藤比呂美氏の「死」に絡む対談。
戦中の飢えと空襲の中で、とても身近に死があった石牟礼さんは、死に対する心構えがしっかりとしてると思う。彼女も2回ほど自殺未遂を経験してる。自殺する、もしくは自殺を考えることは、人間として最後の自由なのかもしれない。
「日々の暮らしに余裕はないのに、心の隙間は埋まることはない。日本は死相を浮かべた国、みんな死ぬのを待っている」。俺もその通りだと思う。
ウチでは、親父が死にかけてる訳だが、死にかけてると言っても、身体はまだ生きると思うけど、人間としての活動が全くなくて、ただ心臓が動いてる感じだ。最近は、1日のほとんどを寝て過ごしており、食べる時と排泄の時だけ起きてくる。最低限の人間の感情さえもなくなったようで、あまりの何もなさに見てて恐ろしくなる。認知症とはこうなるものなのか?
ここに、もし信仰があったらと考えると、少しは生に対するこだわりが芽生え、変わってたかもしれない。
老いてみたら何もなかった…は避けたいね。やっぱりどういう人生を歩んできたかによるんじゃないだろうか。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。