「日本の思想をよむ」

これを読むと、日本には独自の思想・哲学が全くないことがわかってガッカリする。

大陸他から渡ってきた仏教の影響を受けたものがほとんどだが、各著名人が様々な文献を残してはいて、一応、国学もあるものの、結局は、親を大事にしろとか、君に尽くせとか、誠を、真を重んじろとかの教えで、いわゆる“常識”の範囲を超えないことを、拍子抜けするほど、エラソーに書き連ねているだけで、こんなもんかよ!って、めっちゃ白ける。

最後に残るのは「個を捨てよ」ということかも。

それに、正しいものは常に正しいという倫理が加わるので、正しいことを崩す者とは闘うという戦争の正当化に繋がることも。その時々の状況に応じて、時には押して、引いてと、まず他者との触れ合いを重んじる思想が欠けていると思うね。

多分、古い野郎目線の教えであり、個を捨てる儒教的なもので、現代社会でも、まだそういうことを主張する輩(政治屋に多い)は多いよね。

考えれば、日本は、古事記・日本書紀の始まりからしてフェイクが多く、今は象徴である天皇も事実じゃないことが多々あって曖昧、国体の本義も、アメリカの意図が先行した平和憲法も不備が多くて奇妙過ぎるものときてる。

常に、クラゲのようにゆらゆら、水の流れに逆らわずに、右に行ったり、左に行ったり…。

だからこそ、その“無常”の様に美を見出したのであって、国学なんかよりも、個人から、そこに美を見つけた古典文学に、実は思想・哲学がふんだんに表れていると思うね。

三島由紀夫は、それを痛いほどわかってた。だから自ら絶対的存在となって、天皇に美とエロスを追い求めたのだ。

耶蘇教信者であった内村鑑三が言ってる。…愛国は一つではない。経済力や軍事力で世界の強国たらんとするだけが愛国心ではない。平和を愛し、心豊かな文化を育て、近隣と仲良くしようとするのも、立派な愛国心である。それを、一定の形式に押し込め、それに従わないのは愛国心がないかのように決め付け、弾圧するのは、それこそ国を亡ぼす元凶ではないか。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。