「ある映画監督」

溝口健二監督(1898〜1956)について、同じく映画監督の新藤兼人氏(1912〜2012)が綴った新書。新藤監督は下積み時代、溝口監督の内弟子だったのだ。

溝口監督は生涯、85本の映画を創っているが、意外と失敗作品が多いという。成功した作品は、下層社会の女性たちを扱った場合のみで、苦しい生活を強いられながらも、懸命に本能的に、ひたすら生きて、しかも恋する男に尽くすという設定。

こういう女性の真実を描くのは、溝口監督の体質から滲み出たもので、これは終生貫かれた映画の主題である。

心哀れな女性は美しいという切ない想いが、溝口監督の内面には潜んでいて、それが自然に滲み出てくるのである。

幼少期に影響を与えた母と姉の生き方は、女に対する見方を決定づけた。その反面、母を幸せにすることができなかった父親を激しく憎んだ。溝口監督は、最後まで父を許すことはなかった。

溝口監督は、真面目な役所の管理職みたいな風貌だが、それなりに遊んではいたようだ。

別れ話がもつれて、情婦にナイフで背中を切られる目にも遭ってる(新聞に載った)。後日、背中の大きな傷を見せながら、「これでなきゃ女は描けませんよ」とうそぶいていたという。

また、正式な妻の知恵子夫人(再婚)が“狂った”(統失か?)と泣き喚いていたこともあった。人を泣かせても、自分は泣かない男だったのが、オロオロして泣いていたという。映画一筋の溝口監督だったから、家を顧みない彼に、奥さんは相当ストレスを募らせたのかもしれない。

女優・田中絹代との関係もある。彼女は溝口演出に魅せられた。同時に反発も覚えた。あまりにも女の細かいところに気がつき過ぎるから、女として恥を感じたのだ。

「僕はね、田中絹代に惚れてるんだが、どうにもならなくてね、困ってるんだよ」と公言してた溝口監督、田中絹代は、生涯の心の恋人だった。「僕は、そのうち田中くんと一緒になりますよ。でも、惚れた女には手も足も出ない。その反動で、酒の勢いを借りては全くだらしなくなる」。

溝口健二監督の、様々なエピソード、メッチャ面白かった。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。