【邦画】「めし」

文藝メロドラマの達人、成瀬巳喜男監督の、1951(昭和26)年のモノクロ映画「めし」。

原作は、林芙美子の、未完の長編小説。監修が川端康成となってる。出演は、お馴染み原節子と上原謙で、倦怠期を迎えた夫婦役。

世間からは幸せに見られていた若夫婦の家に、突然、夫の姪が家出したとやって来る。
夫婦は倦怠期を迎え、家計のやりくりをして、いつも家事に追われるだけの日々を送っていた妻は、それを機に夫の所作に対して苛立ちを覚えるようになる。
夫と姪の仲睦まじい様子にも嫉妬する。
妻は、姪に帰宅を促し、彼女自身も実家に里帰りする。
妻は、実家で、久々にのんびりとした時間を過ごして、そこで自立を考えて職探しをしようとするが、そこに夫が訪ねて来る…。

結局、距離を取ったことが功を奏して夫婦は元の鞘に収まるわけだが、夫婦ってそんなもんだろうなぁ。俺も経験あるけど。

何事にも積極的だった姪が、やたらと夫に近寄るが、夫はあくまで冷静で理性的で姪としてしか見ておらずに、妻の嫉妬も取り越し苦労だったのだが、夫は寡黙な男で何も話さないから、妻の心配は増すばかり。

小さな疑惑が、どんどん大きくなっていくことも、よくあることだ。また姪がカワイイし。俺だったら多分、手を出しちゃうけどさ。

小津安二郎作品では、お嬢様のような清楚なイメージであった原節子が、やつれて家事に疲れた世帯じみた妻を演じているのも面白い。

外で仕事をしていた独身の時と違って、家での単調な日々を過ごすことになり、姪の訪問を機に、徐々に自らの生き方に疑問を感じるようになる妻の心理を上手く描くのは、さすが成瀬監督だ。あくまで当時の昭和の価値観ではあるが。

でも、コレは原節子よりも高峰秀子の方が似合ってるのではないだろうか。

夫婦の倦怠期という、ある意味、暗くて退屈なテーマを、文藝的な心理劇にしてるのも、原・上原の上品な演技があればこそだろうか。

「私の側に夫がいる。生活の河に泳ぎ疲れて、漂って、しかも、なお闘って泳ぎ疲れている一人の男。その男の側に寄り添って、その男と一緒に幸福を求めながら生きていくことが、そのことが私の本当の幸福なのかもしれない。幸福とは、女の幸福とはそんなものではないのだろうか」by原節子演じる妻

「無限な宇宙の広さの中に、人間の哀れな営々としたいとなみが、私はたまらなく好きなのだ」by原作者の林芙美子


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。