「恍惚の人」

70年代にチョー話題となった(らしい)長編小説。
映画化・舞台化もされて、視聴率を稼いだテレビドラマにも度々なってる。
新潮社の別館ビルはこの本の収益で建てられたという。

いち早く高齢者問題をテーマにしたもので、まだ認知症が、精神病の範疇の“老人性痴呆”と言われてた時代の話だ。

ある中流家族の妻が主人公。
離れに住む義父が、義母が死んだことをキッカケに、もの忘れ、徘徊、幻覚、妄想、幼児返り、奇異行動などの“ボケ”が酷くなって、義父が急死するまで、自分の身を削って献身的に世話をする内容。

まだ認知症が医学的にも現在ほど解明されてない時代だから、単なる脳の、高齢による衰えから来る病気によって、周りにメーワクをかけるようになった困った老人としてだけで、義父の人格や心情といったものはあまり描かれてないけど(偏見だとの批判もあったという)、夫をはじめ、彼の兄弟姉妹、息子、敬老会館の同じ高齢者、仕事の同僚、近所の人たちとの人間関係や精神的葛藤の素直な筆致は面白かった。

自分の境遇から、うん、うん、わかるぅ、わかるぅっと膝を打って、時には批判的に、引き込まれて読んだ。

義父の茂造は、若い頃から、妻の昭子に辛く当たっていたが、急にボケが進んで、自分の息子や娘のことを忘れても、昭子だけは忘れずに全面的に頼ることになる。

だから、昭子も、最初は嫌々世話をしていて、不眠になるなどストレスを溜めていたが、義父が風呂場で溺れて肺炎になって死にかけたことをキッカケに、「ちゃんと義父と向き合おう。なるべく長生きさせて最期まで見届けよう」と覚悟を決めて、徹底して世話をすることに。
日常と習慣を味方に付けた女は強いと思う。

それにしても、夫の、仕事が忙しいことを理由に、妻だけに義父の世話を押し付ける、昭和の男の価値観の愚かさよ。今、思うとね。
「俺も将来、ああなるのか…」とショックを受けて、義父と向き合おうとはせずに逃げてばかり。たまに手を出すと、際立つ役立たずっぷり。ここに描かれた夫は、とにかく酷いね。

この小説が書かれた時代からすると、もう日本は立派な老人大国だけど、薬を飲んで必死に長生きして、挙げ句の果てにボケてしまったら、どんなに立派な人格者であっても、どんなに外で立派な仕事をしようとも、仕事自体は残るとしても、身内は、それを全て無にしてしまいたいくらいにイライラを募らせることになるのが現実だ。

とにかく世の中に絶対は絶対ないが、ただ唯一、死だけは絶対で、皆、平等に朽ち果てる。だから、死に方を考えてしまうけど、誰にもメーワクをかけずに、静かに死に赴くなんて、現実にはほとんどあり得ない。
ボケて醜くなっても、後に残る者が、この小説の昭子みたく、介護を日常化・習慣化してもらうことに期待するしかないね。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。