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【亡霊殲滅伝奇譚 -ゲシュペンスト-】 第15話

※本作の概要については、こちら をご覧ください。

第14話は、こちら へ

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 どんな世界にも暗部が存在する。
 亡霊ゲシュペンスト討伐組織――ユグドラシルもそんな世界の裏側にある組織のひとつである。

 第二次世界大戦末期から終戦直後にかけて、世界中で優秀な科学者が敗戦国から勝戦国に招聘された。それはひとえに戦時下において高度に発展した技術の喪失を阻止することが目的であり、次なる大戦を見据えての動きだった。ロケット開発で有名なヴェルナー・フォン・ブラウンを始めとして、ドイツにおけるアメリカのペーパークリップ作戦がその良き例であろう。ロケット工学、原子核物理学などあらゆる分野の研究者が戦争の終結とともに世界の主要国に集まった。
 そんな折、現代科学分野に含まれることなく人知れず、けれど脈々と受け継がれた一学問が存在した。それが心霊主義を柱とする神智学である。
 亡霊という人類の脅威が一九四四年冬にナチスドイツの科学者によって発見されて以降、その存在は徹底的に表の世から隠匿された。隠匿は絶対だった。なぜならこの情報が出回った場合、人々が恐慌に陥るのは目に見えていたからだ。以来、その存在を知る者たちは世界の裏側で亡霊と死を賭した戦いを五十年以上続けてきた。その戦いを支えたのが、かつては神智学教会と呼ばれた組織を礎とする亡霊討伐組織ユグドラシルである。
 半世紀を経て、ユグドラシルは国を跨いで深く根を張り、一発展途上国の首領をすげ替える影響力を持つまでに成長した。組織が本格的に動けば、日本を始めとした列強の首相や大統領の座すらも動かせる力を持つと噂されている。

 ここはそんな世界を動かす力を持つユグドラシルの活動拠点のひとつ、第七極東支部である。そして、またの名をカフェ&バー、トラオムラントの地下一階。

 薄暗い地下室を淡く照らすのは、霊子コンピュータ、ラタトスクを介した通信システムの液晶画面である。画面には白鬚の老人が映っていた。組織ユグドラシルにおいて、亡霊ゲシュペンスト研究の権威である游逸海博士、その人である。

Charlotteシャルロット303217の様子はどうだね? ジェイムズ」

 彼女を送り込んだ張本人、博士ドクターヨウはジェイムズに実験の経過観察でも訊ねるように問う。

「ドクター游。彼女は元気にしていますよ。派遣当初は元気過ぎて困ったくらいです」

「それはそれは」

 孫の成長を喜ぶ好々爺こうこうやのような反応だった。

「今朝方も一匹亡霊討伐を完遂してきたばかりです」

「ほぅ」

「まさか、口下手の東雲がここまで早く共鳴器オプファーを手懐けるとは予想外でした」

「上々な滑り出しじゃあないか」

「はい」

 白髭の老人は考え込むような顔をして訊ねる。

「ときにジェイムズ、君の率直な意見を聞きたいのだが」

「はい」

「東雲は彼女を使うと思うか?」

「どうでしょう。彼は異端の狩手ですから」

 游は眉根に皺を寄せる。

「そうよのう。このままだと身体が持たんことは承知の上だとは思うが……」

死神トートに出会さないことを祈るほかありません」

執行者ヘンカァーと共鳴器、二人がかりでようやっと倒せるものだからのう、あの手合いは」

「游博士、彼女は例の実験の最終被検体。オリジナル最後の共鳴器。ゆえに、もしものときは……」

「いや、それには及ばんよ。如何ようになろうとも、東雲に任せて良い。私もそのつもりで彼女を送り出したのだから」

「良いのですか?」

「ユグドラシルの方針はもう覆らぬ。このままヴァイストール派に押し切られるであろう。オリジナルの運用はこれで最後となる。今後はクリスマスの子どもたちの世代じゃよ」

「クリスマスの子どもたち……」

「二人には期待をしているよ。ジェイムズ、よろしく頼むぞ」

「はい」

 通話はそれっきりとぷっつりと消え、地下室には暗闇が落ちる。
 ジェイムズは煙草を咥えると、オイルライターの火を灯す。紫煙が暗闇に昇る。

「……ふぅ。これでオリジナルは最後、か」

 暗闇の中、ぽっと小さな煙草の火だけが宙に浮いていた。

          * * *

 Charlotteシャルロット303217が東雲の共鳴器オプファーとして一つの戦闘を終えた翌日。太陽も頂点を過ぎた午後一時過ぎのことだった。二人はジェイムズから任務の伝達ということで呼び出しを受けた。カフェ&バー、トラオムラントのカウンター席で遅い昼食を摂り終えた二人に、ジェイムズから任務の詳細が伝えられる。

「二人には第二屍念ツヴァイトガイストの調査任務に当たってほしい」

「調査任務?」共鳴器の少女が不思議そうな顔で聞き返す。

「そうだ。ミクリヤが権堂市長らと渡りをつけてくれたおかげで、風座見市全体の水質調査を行うことができた。ひどいものだったよ。流れる排水のほぼ全てから霊髄の残滓が検出された。街の何処もかしこもが第二屍念の餌場になっているってわけだ」

 ジェイムズは風座見市の地図を広げる。市の中心部を横断する鴉野からすの川は当然のこと、その支流を含めてほぼ全域が赤くマーカーで塗り潰されている。

「まさかここまで広がっているとは予想外だった。早急に手を打つ必要がある。しかし全域を同時に調査するなんてことは不可能。そこでだ、現地入りしている組織の人間総出で怪しいところから虱潰しに調査に当たっていくことになった。君たちの調査場所はここだ」

 ジェイムズが指差すのは、地図上でも大きく赤丸の付けられた北西部の海岸付近だった。

「これはショッピングモール?」

 南は住宅地に北は海に囲まれたショッピングモールが位置していた。

「このショッピングモールは敷地に隣接して川が流れているんだが、その水質の汚染が特に激しい。河口付近ではあるから当然、支流から流れ込んだ霊髄の残滓も集まって濃度が高くなりやすい場所ではあるんだが、それだけで説明して良いとも思えない。特にショッピングモールは朝から夜まで人が集まる場所でもあるからね。見方によっては、奴らにとって餌のほうからやってきてくれる恰好の場所だとも言える」

「成程な」

「ただショッピングモールの調査と言っても場所は人間で溢れかえっている。その場で霊髄共鳴エリキシルレゾナンツなんてして第二屍念を無理矢理起こしてもパニックを起こすだけだ。周りに人がいればなおのこと被害者が出かねない。――そこで君の出番だ」

 ジェイムズは少女にビシリと人差し指を向ける。

「訓練で習っただろう? 霊髄共鳴エリキシルレゾナンツの微弱操作」

「ええ、習ったわ。私の得意分野ね」

執行者ヘンカァーは微弱ながらも亡霊ゲシュペンストの気配を感じ取れる。けれど、積極的に敵の居場所を探ることには不向きだ。その精度は君たち程ではないんだ。これは年齢とともに衰える能力だからね」

「ミクリヤさんにヤヨイさんが付いているのと同じ理由ね」

「えっと、まあそうなんだけど。あんまり本人の前で言うんじゃあないぞ?」

「どうしてよ?」

「自分が年を取ったと感じるからさ」

〝あ、……そういうことか〟

「Charlotte303217。君は敵に気取られない程度の微弱な霊髄共鳴を展開しながら、ショッピングモール内を歩く。そして亡霊の波長を捉えるんだ。できるね?」

「共鳴器なんだもの。亡霊の探知は任せて頂戴」

「敵を見つけたら東雲に知らせて、その後の行動は東雲に任せる。わかったかい?」

「ええ、大丈夫よ」

「東雲もいいかな?」

 それまでじっと話を聞いていた東雲が頷き、立ち上がる。

「ああ、理解した。――行くぞ」

「ええ」

「おいおいおい! そんな恰好で行くつもりか?」

 今にも出発しそうな二人をジェイムズは慌てて止めた。二人揃って怪訝な顔を見せる。

「なんだ、ジェイムズ。任務の詳細は理解したぞ。何か問題があるのか?」

「大ありだよ! 恰好だよ、恰好!」

 東雲は相変わらず黒衣の外套を纏い、少女も少女で毛玉の付いたみすぼらしいセーターを着ていた。

「東雲、これまでの夜間の単独任務とは違うんだ。隣には共鳴器オプファーの少女がいる。その意味がわかっているか?」

「二人で行動する」

「そうだ。しかも向かうのはショッピングモールだ」

「それがどうかしたか?」

「やっぱり君はわかっていないな。いいか、君たち二人がそのままの恰好でショッピングモールに行くとどうなると思う?」

「どうなるんだ?」「どうなるのよ?」

 二人の声音が重なって聞き返す。

「不審者が少女をかどわかしているように見える。間違いなく通報されるだろうね」

「な、なんだと? そんなことに……」予想外だったとばかりに東雲は瞠目する。

「じゃあ、どうすれば良いのよ?」少女がジェイムズに問いかけた。

「ショッピングモールに行く人たちはどんな人たちかを想像してみたまえ」

「えっと……恋人ね」「ふぅむ……恋人か」

 再び二人の声が重なった。そして、閃いたとばかりに少女が言う。

「わかったわ、ジェイムズ! 恋人に見えるように、私たち二人とも同じような服を着れば良いのよ! お揃いのペアルックにすれば良いんだわ!」

「そうか、お揃いの服装か……。僕としたことがまったくの盲点だった」

 納得したとばかりに、うんうんと肯く東雲。

「違うだろ! 二人の年齢を考えろ!」

「年齢……、だと?」

「そうだよ! 二人の年齢を考えれば、どう見たって親子にしか見えないだろ!」

「お、親子?」「お、親子だと?」

 二人の反応にジェイムズは頭を抱えるしかなかった。

          * * *

 風座見かざみ市の北西部海岸沿いに位置する複合商業施設、栄都えいとマリーナシティ。
 店舗面積七万四○○○平方メートル、店舗数二八○店を越える港町をテーマとした巨大商業施設である。日用雑貨やデイリーな食材まで幅広い品揃えを誇る総合マーケットに、大型家具や家電、子ども用玩具を扱う専門店も配された普段遣いするには申し分のない商業施設である。施設内には他にも、アウトレットショップや大手ブランド店が建ち並ぶエリア、レストランやカフェを始めとした飲食エリアがあり、大規模ゲームセンターに至っては、フロアひとつを貸し切って入っている。さらに、湾岸沿いには各種イベントを行える展示場や果ては高級ホテルとして名のある栄都ハイアットホテルまでもが広がっており、まさに完全一体型複合商業施設と言って差し支えのない規模を誇る。

 現在、二人がいるのはマリーナシティの中でもアウトレットショップやブランド店が軒を連ねるエリア。行き交う人々はカップルや親子連れが多く、わざわざ足を運んできたという様相の客が多く見受けられる。

「わたしたち、ちゃんと親子に見えているのかしら?」

 小綺麗なワンピーススカートにニットのアウターを着込んだ少女が東雲に訊ねた。

「どうだろうな」

 ジーンズにポロシャツ、上からジャケットを羽織った東雲は至って平静を保ち、ポケットに手を突っ込んでいる。左の銀義手には革の黒手袋が被せられている。
 これらの服はすべてジェイムズに見繕ってもらい、借り受けたものだった。

「見る人によっては親子に見えてはいるのだろう。ジェイムズも問題ないと言っていた」

「親子なら手でも繋いだ方がいいのかしら?」

「繋ぎたいのか?」

「バカ、そういうわけじゃあないわよッ!」

「僕もこの国の普通を正しく理解しているとは言い難い。けれど、お前の年の子はもっと親に反発するものだと思うぞ」

「そ、それくらいわかっているわよ!」

「ほら、あれを見てみろ」

 東雲の示す先には夫婦と覚しき男女が歩いている。そして、それから何歩か離れたところを一人で歩くティーンエイジャーの少年。彼は夫婦に呼ばれると、面倒臭そうな顔で小走りについて行き、あれやこれやと会話を始めた。

「親とあまりベタベタするのはこの国の風土には合っていないのだろう」

「そうね。けど、それじゃあ、あれも親子ってわけ?」

 少女が指し示したのは、中年男性とその腕にしがみついてキャッキャと声を上げる女性だった。女性のほうはまだ学生の身分のように見える。

「あれは違うの? 親子くらいの年齢が離れている二人に見えるけれど」

「もしも僕とお前がああいう関係に見えていたとしたら、それは親子という設定に仕立てたジェイムズに全責任がある」

「……どういうことよ?」

「あれはそういう関係性を楽しんでいる者と、それを食いものにしている者だ」

「なによ、それ?」と、少女はわけがわからないという顔をする。

「まぁ、広義の意味では、親子と言えば親子だな」

「……ふぅん、なんだかよくわからない親子なのね」

 少女は納得したのかしかねたのか、曖昧な様子で頷く。

「ねぇ、東雲」

「今度はなんだ?」

「あっちのスーパーマーケットのエリアじゃあなくてこっちのアウトレットショップのエリアを選んだのはどうしてなの?」

 たしかにショッピングモール内は相当な広さがある。大人の足でも全店舗を見て回ろうと思えば一日がかりの骨の折れる作業だ。

「すべてを見て回るには時間がない。だから対象を絞った。僕たちがここに来たのは河川沿いの霊髄の残滓を元にしている。ならば、探索する場もできる限り河川に近い場所から調べるのが妥当だと判断した。あそこを見てみろ」

鴉野からすの川?」

 海を一望できるよう設けられた展望スペース。彼が指差した先には鴉野川が見えていた。

「あの川に流れ込む支流がもっとも近くを通っているのがこの施設近辺なんだ。だから、まずはここから調査を始めようと決めた」

「成程。一応、理にかなった方法ってわけね」

「それにスーパーマーケットなどの日用品を取り扱う施設は毎日同じ人間が出入りする場所だ。そんなところで日々人が消えるのはやはり目に付きやすい。第二屍念が狙うとしたら、アウトレットショップの人間のほうだろう」

「こっちのほうが遠くから遊びに来たって人が多くて、足取りが追いにくいものね」

「そうだ」

「ちゃんと考えているのね」

「当たり前だ」

 当たり前と返答された少女は、しかし内心喜びの感情を抑えきれずにいた。施設に到着するなり、迎え入れられた煌びやかな世界。モルタル仕立ての床と暖かな間接照明に照らされた折り上げ天井。開放的でいて、なおかつ落ち着いた雰囲気の漂う専門店の町並み。それらは、まだ少女のあどけなさを残す彼女の瞳に未知の世界として映っていた。

 幼少期を遊牧民として過ごし、その後二年半をユグドラシルの訓練施設で過ごした少女にとって、今や世界は亡霊ゲシュペンストという悪意に塗り固められていた。けれど、目の前に広がる景色はそんな悪意など一片たりとも垣間見せない。

〝こんな夢のような世界があるのね……〟

 この世界における平和な日常は、彼女にとっての平和な非日常であった。

「……ふッ」と、東雲が笑いを零して、生温かい瞳で少女を見つめていた。

「な、何よ!」

「いや、なんでもない。……ここからはお前の思ったところを思ったように歩くとしよう」

「いいの?」

「僕はお前に従ってついて見て回る。そうして施設のレイアウトを記憶しよう。お前は探知をしながら練り歩く。分業だ。第二屍念の反応があれば教えろ」

「ほんとに……ほんとに、そんな行き当たりばったりの動きでいいの……?」

「構わない」

「それってつまり、ショッピングモール内を自由に見て回っていいってことにならない?」

 その不安げな瞳に東雲は正面から向き合う。

「そう言っているのだ。僕には霊髄共鳴エリキシルレゾナンツはできない。今この場所での敵の探知は難しい。なれば、お前に従うより他ない」

「……でも」

「何度も言わせるな。任務の中での行動には一定の自由が存在する。これは必要な行動だ」

 そこまで言うと、少女はパッと顔を上げる。

「わかったわ、東雲」

 微弱な霊髄共鳴エリキシルレゾナンツが一定の波長で周囲に広がる。

「これは任務のための行動。任務のための行動……」

 まるで自分に言い聞かせるようにあえてそれを口に出して、少女は一歩踏み出す。その足取りが何処か軽やかに見えるのは、気のせいではないのだろう。

 東雲は彼女の放つ霊髄共鳴の波動を感じつつ、後ろを付き従うようにして足を進めた。

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第16話は、こちら へ

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