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【亡霊殲滅伝奇譚 -ゲシュペンスト-】 第14話

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 桐森巴衛きりもりともえは、自身には異界と交信ができる力があると信じていた。

 幼き頃、昏い物陰や靄のかかった宙空に浮かぶ人ならざる者たちを認識し、幾度となくそれらとの念話を試みてきた。両親は彼のそんな行動を奇怪に思い、心療内科への受診を何度も行った。が、その結果は心因性のストレス障害と診断されるだけに留まった。

 偏狂的な性格こそ備えた彼であったが、それ以外の面においては至って正常であった。むしろ優秀ですらあった。周囲の人間の目を意識することができる年齢にまで達すると、彼はその特殊な性格すらも人目につかぬように隠すことを覚えた。

 成長した彼は、いつしか教職を志すようになる。そして、その中でも西洋の宗教を取り入れた教育姿勢を持つ美礼原みれいがはら学園への赴任を希望する。それは、彼に異界交信といった宗教的側面としての素地があってのことだった。

 美礼原学園に赴任後、間もなく彼はそれまで行ってきた交信で初めて断片的ではない直接的な対話の機会を得た。それは奇しくも神聖なる礼拝堂の中でのことだった。

「ワタシヲ、タスケテ、ホシイ」

 歪な人のような形を成したその霊体は、そう彼に問いかけた。

「アナタニ、ガイハ、オヨボサナイ。タダスコシ、カラダヲ、マガリサセテモラエレバ」

 礼拝堂という神秘の場所なればこそ、彼はそれを邪悪な囁きだとは考えなかった。むしろ自分だけに与えられた天啓の一種だと考えた。

「私なんかの身体で良ければ……」

「アリガトウ。タスカルヨ」

 そうして、巴衛ともうひとりの『彼』との奇妙な二心同体の生活が始まった。

 初め巴衛はもう一人の『彼』の存在をはっきりと認識できていた。普段の日常生活は巴衛が行い、夜の一部の時間を『彼』に明け渡した。その間も巴衛の意識は消失せず存在し、『彼』の振る舞いをつぶさに捉えることができていた。しかし、時を経るにつれ、『彼』の支配が及ぶ時間が増え、深夜に巴衛の意識が完全に喪失するという事態が頻発した。
 その頃からだろう。校内で謎の神隠し事件が起こるようになったのは。
 生徒が失踪し、二、三日後に彼女らは戻ってくる。その間の記憶は一切無く、何処で何をしていたのか生徒らはまったく覚えていなかった。共通するのは、神隠しから戻ってからの一週間、生徒は身体の倦怠感を訴え、寝込んでしまうというものだった。
 巴衛は頻発する自身の意識喪失と、失踪する生徒の符号から身体に巣喰うもう一人の『彼』の存在を怪しむようになった。が、それを意識するようになってからは流れるような速さで精神の疲弊が始まった。日中、職務に就いていてもその意識が途切れる。ふと意識を覚醒させると、夕刻を迎えている。そんな明らかな認識の不調が日常生活を侵食し始めていた。

「お前が犯人なのか?」巴衛は『彼』に問いかけた。

「私は少し助けてもらっているだけ。生きるために必要なこと……。知らないほうがあなたのため。無理な詮索はしないほうが良い」

 しかし、一度疑ってしまった思いは拭えず、巴衛は『彼』を疑い続けた。その結果、最終的には精神を極限まで食い尽くされ、身体の所有権を奪われてしまったのだった。

 ――こうして、美礼原学園の教員に紛れ込んだ亡霊ゲシュペンストが成立した。

          * * *

 そして、今晩も『彼』は自身の存在を維持するため、女学生に催眠を施し、夜な夜な礼拝堂に呼び出しては霊髄の摂取に明け暮れていた。ただ『彼』は自身の教員としての仮初めの姿を正しく認識していた。ゆえに、喰い殺さない程度に霊髄を搾り取るという特殊技能を身につけていた。欲望に抗い、最低限度の霊髄摂取に留める。
『彼』は歯止めを持って、亡霊ゲシュペンストとして生きていた。
 だがしかし、少しずつその歯止めが壊れ始めているのも、また事実ではあった。
 今晩の食事……。それもぎりぎりのところで留める。その筈だった……。

          * * *

「ンガァアアッ!!」

 東雲の放った弾丸が男の右の眼鏡を割って耳を擦過する。割れた眼鏡の破片が眼球と瞼を切りつけ、どくどくと血が溢れ出す。予想外の闖入者に驚きたじろいだ男は食らい付かんとした女学生を突き放して後退った。突き放された女学生はふらふらと下がって椅子に頭を打ち付けて昏倒する。男は血の流れる右目を押さえて、怒号のような絶叫で吼える。

「何者だ!?」

亡霊ゲシュペンストに語る名などない。――本来の自分を思い出せ」

「本来の自分だと? 貴様、何を言っている?」

 その言葉を聞いた途端、男は身体の動きを鈍らせていた。

〝何をやっているの? 相手は亡霊なのよ。すぐに狩り殺せばいいものを〟

 少女は内心焦れったい気持ちを抱えながらも、事の次第を東雲の背後から窺っていた。

「お前は何者だった? 正しくあったお前は何処に行った?」

「わ、たし……は……桐、もり」

「自分が思い出せるか?」

「き、貴様、こいつを、起こす気か?」

「黙れ、亡霊。お前は邪魔するな」

〝東雲は、亡霊にではなくて、本来の宿主に語りかけている? そんなの無駄でしかない。絶対に助からない命でしかないのに!〟

「がぁああッ!!」

 亡霊は、とうとう内なるもうひとつの精神を喰らいきる覚悟を決めたようだった。

〝もう待ってられない!〟

 言葉を投げかける東雲の背後から、少女は素早い身のこなしで宙空に跳躍した。

「いつまで遊んでいるの!」

「お前ッ!! じっとしていろと言っただろ!」

 東雲の叱咤の声が飛ぶが、少女はそれを無視する。

「亡霊はすべて敵。容赦なんて必要ない。狩り殺すのみ! 宿主だってもう助からない!」

「待つんだ! まだ――」

 少女は、虚空で腕を巨大な刃に変容させた。腕から伸びる刃が、鬼火のような蒼い燐光を纏い、仄暗い光へと収斂する。

〝敵の間合いまであと数秒もない……、この一撃、絶対に逃れられない!〟

「喰らえぇええ!!」

「ギィギャァアアア!!」

 二つの絶叫が礼拝堂に谺し、続いて妖蒼に燃えたつ刃と凶々しい爪手が激しく火花を散らす。衝突は木製の祭壇を破壊して木屑を舞わせる。濛々と粉塵が舞う中、なおも二つの衝突は二重三重と繰り返される。

 ガキン、キン。ザシュッ!

「滅びろ、亡霊ッ」

「……ッぐ」

 戦況は少女にとって極めて有利に運んでいた。追撃に次ぐ追撃に男は対応が間に合っていない。男の身体にひとつ、ふたつと、身体に切り傷が刻まれていく。

「グハッ!」

 左頬を擦過した白い刃が袈裟に胸を裂いて、鮮血を散らした。

「ふんッ!」

 そのまま後方にステップを踏むように身を捻った少女は回転蹴りを放つ。それをもろに腹部に受け、身体はくの字に折れて壁面に打ち据えられる。

「がはぁッ!!」口からは血と吐瀉物の混じった汚泥が零れ出る。

「次で終わりよ」

〝この一撃で狩り殺すッ……〟

「一方的にやられたたまるかッ! これでも喰らえッ!」

 男は、針状の乱杭歯を少女目がけて飛ばした。

「えッ!!」

 引導を渡さんと最後の刃を掲げ勇み駈けていた少女にとって、それは予期せぬ飛び道具だった。目を剥いて明らかに怯んでいた。

「馬鹿者! 伏せろ!」

 後方に立っていた東雲が強引に少女を引き摺り、床に押し倒す。そして、両者の間に割って入る。

「ぐっ!」

 乱杭歯から放たれた針は、その大半が東雲の銀義手の左腕で防がれてはいたものの、数針は彼の肩を貫いていた。

「肩が……」

 東雲の肩から飛び散った血液が少女の顔を汚す。

「動くな! お前はそのままそこにいろ!」

 ダダダンッ!!

 東雲は屈み伏せた少女を庇うように身を翻すと、続けざまに銃弾を放った。しかし、男はその銃弾の嵐を瞬時に身を屈めて躱しきる。

「はぁはぁはぁ……」

 男の視線が正面扉に向かい、次いで背後の裏口に向けられた。

「この亡霊、逃げるつもりでいるの?」

「ぐっ……、うぅぅ」

 針に貫かれた東雲が呻き声を上げる。

「無駄だ。私の毒針に貫かれては身体も言うことを聞かない」

「こんなもの、に……、やられてなるものか……」

 それでも東雲は歯を食い縛って立ち上がる。目は未だに戦意を失ってはいなかった。彼は痛みを押し殺したまま、忌敵へと疾駆した。

「なッ!?」

 それは目にも留まらぬ神速だった。瞬きの間に男の眼前にまで迫る。
循環素子帯霊ハイリゲン疑似斬影構築クリンゲ・ツァイヒネンッ!!」

 歪な形をした銃剣。その短刀が妖蒼に燃え立って男の首を捉える。

〝あの異様な銃剣……。何処かで……〟

「首刈り地蔵――」

「ギィシャァア!」

 それは男にとって捨て身の一撃だったのだろう。乱杭歯から放った毒針の一斉発射。さらには全身の血肉をも撃ち放つ捨て身の毒針掃射。この超接近状態において、逃れることは絶対に不可能だった。

「な、なんだと! ぐッ……」

 東雲もそれを悟ったのか、顔を苦悶に歪める。

〝庇ってもらって、それで何もできないままなんて……。そんなの私が許さない!〟

「そう何度も何度も、同じ手が通用すると思うなよ、亡霊!!」

「な……!?」

 二人の間に無理矢理に身体を割り込ませたのは、床に伏せっていた共鳴器オプファーの少女だった。
骨刃瓔珞こつばようらく――the blade of my bone, phalanx我が身は朋友を守る鎧

 東雲を守り包み込むように展開した巨大化した骨の壁。男の放った幾十の毒針は、その全てが骨で形成された壁に阻まれてしまう。

〝これで、どうだ……ッ!!〟

「東雲、今のうちにお願い!」

 刹那の刻、骨の壁に僅かな切れ間が生じる。その間隙を縫うようにして妖しく光る蒼き輝線が燦めく。

「承った。――首刈り地蔵、二重ふたのえ

 その二本の輝線は亡霊を引き裂き、胴を三等分にして刎ね飛ばした。

「イギャァアアアアアアアア!!」

 崩壊を咆吼を上げて亡霊は蒼き炎に燃え巻かれる。人型は脆くも萎れ崩れ落ちる。

「……やったのよね?」

「……」

 二人は倒れ込むようにして、礼拝堂の椅子に凭れる。

「なぜ手を出した? あのままあそこでじっとしていれば良かったものを」

「よく言うわ。あのままだったら、串刺しになってたくせに」

「僕はなんとかなった」

「嘘」

「……。それでもだ、執行者ヘンカァーの命令を無視する共鳴器オプファーなど論外だ」

「そんなの、東雲がぐずぐずしているから悪いのよ」

 そこで東雲は予想外とばかりに目を見開く。

「お前……」

「あ、えっと……な、何? なんか文句でもあるって言うの?」

「今、名前を呼んだな」

「え?」

 少女は自分の失言にはっと気がつくと、恥ずかしそうに言い澱む。

「い、一緒に戦う以上は名前で呼ぶくらいあるわよ! 悪い?」

 蒼き炎に包まれた人型は、その断片も残さず燃え散り、灰と化していた。

「そうだな。共に戦う上では必要なこと、か……」

 礼拝堂の内部に曙光が差し、並ぶ二人の姿が板目に影を落としていた。
 それはひとつの戦闘の終わりを、ひとつの戦いの始まりを意味していた。
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