【亡霊殲滅伝奇譚 -ゲシュペンスト-】 第13話
※本作の概要については、こちら をご覧ください。
第12話は、こちら へ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夢とも現とも判断のつかぬ微睡みの中で、東雲は明確に痛覚を認識した。
左の眼窩。その奥でちりりと焼け焦げるような痛みが走り抜ける。
〝来たか……〟
痛みはゆっくりと白むように視覚を広げ、見覚えのない世界を映し出す。
――未来視の魔眼。その模造品。
彼の左眼に埋められ片眼鏡は近い未来を見通す能力を秘めている。これは彼の師から受け継がれた異能である。戦闘においては先を読むために利用され、時には今回のように彼の夢に干渉を及ぼしては極近い未来を見せることもある。
そして、その未来視の多くが『上位の第二屍念の発生』を予見してきた。
〝敵か? 何処だ?〟
白んだ視界は徐々にはっきりとした輪郭を持ち始める。
映し出された世界は、だだ広い校庭だった。周囲の全方向を霧深い深山に囲まれている。どうやらそこは山中にある学校らしい。近くには校舎と覚しき白色の建物が幾棟も並んでいる。校庭から見上げた校舎に据え付けられた時計の針は午前五時頃を差していた。校舎の特徴的なアーチ状の屋根では欠けた満月の明かりが楚々として降り注いでいる。居並ぶ校舎群の脇には部室棟や用具倉庫と覚しき建物が三棟並んでいた。その建築物からさらに数十メートル先。そこに山中であることを忘却せしめる程の荘厳な建築物があった。
〝あれは、礼拝堂か?〟
校庭の隅の林間部。半ば山林に飲まれるようにして礼拝堂が聳え立っていた。
そして、その礼拝堂の裏の木陰。森林の闇に紛れるようにして蠢く黒い影があった。
〝…………〟
彼の眼は音もなくゆっくりとその黒影へと視界を転じてゆく。
『――いぃギャァアア』
呻きとも唸りともつかぬ声を漏らしながら、湿り気を思わせる咀嚼音が物陰から響く。
ゴトリ……。
物陰から丸い物体が転がり出て、月光の明かりに照らされた。
〝……!!〟
それは眼を剥いた人間の頭部だった。まだ若い女学生だ。顎下でばっさりと切断され、切断面には粘性のある血が流れ出ている。血に濡れたセミロングの髪が黒々とぬめり光っている。虚ろな瞳が月光を寒々しく乱反射させて宙を見つめていた。
『もっとだ。もっと霊髄が欲しい……』
影は低く声を発すると、どさりと肉塊を捨てて林の闇へと俊敏に駈けていった。
世界はそこで唐突にブラックアウトする。
* * *
少女が人の声を聞き止めて目を開けたとき、時計は午前三時半を差していた。
「まだ間に合う……」
声の主は東雲だろう。けれど、その相手は……。よく見ると彼は端末を耳に当てていた。
「ジェイムズか? 未来が視えた。……ああ、先日の工場群に続いてだ。少女がひとり喰い散らかされていた」
〝未来が視えた? それに人が喰い散らかされていたって……。 どういうこと?〟
東雲はなおも端末に語り続ける。
「場所は深い森に囲まれた学校だ。アーチ状の屋根を持つ校舎。礼拝堂のような建物。午前五時過ぎに欠けた満月が浮かんでいた。校庭から校舎の方角は時刻からして南西方向。蔵間の森にある学校が怪しいと思うが。……そうか、わかった。時間が惜しい」
〝今から何処かに行く? 相手がジェイムズであるならば、きっと亡霊絡みに違いない。この異端の狩手のことを知るには良い機会だわ〟
少女は寝所から抜け出すと傷を負った患部の調子を確かめた。
〝良し、大丈夫。これなら十分動ける!〟
「トラオムラントのバンディットを借りていく。……ああ、わかった」
そこで東雲は通話を切った。黒衣の軍用レインケープに袖を通すと、玄関へと向かう。
「待って!」外に出ようとする東雲の背に少女は声をかける。
いち早く状況を察した影法師がじろりとこちらに眼球を向ける。
「お前さん、この嬢ちゃん、連れて行くのかい?」
「お前はここにいろ」
「身体だったら大丈夫よ。もう治ったわ」
少女はするすると包帯を解いてみせる。過去に刻まれた深い一筋の傷跡があるだけで、昨日の損傷は綺麗に消え去っていた。
「亡霊狩りに行くのよね? だったら、私も連れて行きなさい。連れて行かないってなら、今ここで再戦よ」
少女は両の掌を握り締めて、次いで軽くステップを踏んで跳ねて見せる。
「ひっひひ。どうするね、お前さん。先は急ぎだろ?」
「時間がない。仕方ないだろう。連れて行く。――手出し無用と約束しろ。いいな?」
「ふん、そんな指示聞いてられないわ」
「お前さん、大丈夫か? こんなじゃじゃ馬娘連れてって」
「仕方あるまい。――いいか? どんな状況であれ、お前は身を守ることに徹しろ」
「はいはい、わかったわよ。ほら、急ぐんでしょ?」
少女は東雲の横を通り過ぎて、すたすたと歩き玄関先に出る。そして、小さく舌舐めずりをした。
〝待ちに待った亡霊との戦闘だわ。殺し尽くしてやるわ〟
血を滾らせた共鳴器の少女を、東雲は何処か憂いを秘めた瞳で見つめていた。
* * *
スズキバンディット1200フルカウルカスタム。パフォーマンス競技のエクストリームバイクとして人気を博したGSF1200シリーズを前身に持つそのバイクは、スズキ伝統のSACSエンジン――1156cc油冷四ストローク直列四気筒エンジンを搭載したリッターバイクである。エンジンに幾重にも薄く広がった細かい冷却フィンは、他社製バイクには見られぬ造形美で知られる。そんな大型バイクが深夜の峠道に甲高い咆吼を上げていた。平日の深夜ということもあって他に車の姿は一切無かった。中央線を割り込んで疾走することができたのは僥倖であった。
耳障りな風切り音が轟く中、インカムヘルメット越しに東雲の声が少女に伝わる。
「ジェイムズの情報によれば、事が起きるであろう場所は全寮制の私立学園だ。名を美礼原学園と言うそうだ」
「それがどうかしたの?」
「学園にはお前とそう年齢の変わらない子どもが多数いる」
「だから、それがどうしたって言うのよ?」
「いや……」
「私は私よ。同年代の子どもがどうであっても関係ないわ。私は亡霊を狩り殺すだけ」
「……」
「むしろ、そんな一般人のすぐ傍に亡霊がいることの方が問題だわ。早く向かいなさい」
「これでも最善を尽くしている」
東雲の駆るバンディットは夜の曲がりくねった峠道にも関わらず、時速一○○㎞に迫ろうかという高速で突き進んでいた。運転操作を一歩間違えれば横転もやむなしという速度で、けれど彼は自らの手足のように十全に二輪を乗り熟していた。
夜空では欠けた九分の満月が柔らかな月光を注ぎ落としている。月は徐々に南から西へとその高度を下げて傾きつつあった。
「今の時間は?」
「午前四時十分を過ぎたところよ」
「僕の未来視で視えたのは午前五時過ぎだった。あと一時間もないな」
「その未来視、本当に信用できるものなの?」
「今のところはな。これに従って動いて空振りだったことはない」
「そう。なら、急がないとね」
「ああ」
「私のことは構わなくていいわ。飛ばせるだけ飛ばして頂戴」
少女はぎゅっと東雲の背中に張り付いた。東雲はスロットルを開けて、マシンを唸らせる。二人は猛然と夜闇を切り裂き進んでいく。
* * *
「これが学校?」
それからバイクを駆ること二十数分。深夜の美礼原学園に到着した。
「これじゃあまるで宗教建造物じゃあない」
森閑なる山中に忽然と現れたその荘厳な建造物は一見、学校とは見えなかった。宗教被れの芸術家が無尽蔵の資金を元に趣味嗜好の果てを尽くしたかのような有様だった。
悠然と構えた巨大な門構えに天使をあしらった鉄格子の門。その向こうには綺麗に刈り込まれた灌木がこれまた天の使いを象って庭園さながらに広がっている。そして、その最奥では豪奢な造りの校舎群が月明かりに白く浮かび上がっていた。
「あそこ、警備員がいるわ」
鉄格子の門の脇に設えられた白塗りの警備員室には細身の男が眠たそうに坐っていた。
「正面から入るのは難しいんじゃあない?」
「他に出入り口があるとは思えない」
「じゃあ、どうするのよ?」
「正面から入る」
「え、正面からって……、ねぇ、ちょっと待って!」
少女を置いてけぼりにして、東雲は真っ直ぐに警備員室に足を向ける。カンカンッと、窓を叩いて堂々と警備員を呼び出すと、何やら二三会話を交わして、少女に手招きした。
「随分とお若い助手さんですね」
「ああ、あまり気にしないでやってくれ。本人も気にしているんだ」
「そうでしたか。いや、すみません。――どうぞ、中へ」
そんな短いやりとりを交わして、二人はあっさりと学園内に侵入を果たした。警備員の姿が見えなくなるまで進んだところで少女が怒り混じりに問い質した。
「何よ、さっきのは!」
「さっきの、とは?」
「あっさり正面から入れたことよ!」
「ジェイムズのことだ。根回しは完璧に済んでいると踏んでいた。風座見市全域において既に組織の息が掛かっている。学園への侵入など手を煩わせるまでもないこと」
「だったら先に言って頂戴よ! こっちはハラハラしたじゃあないの!」
「そうか、すまなかった」
〝まったくもう。どうしてこうも説明がないのよ〟
と、少女が憤りを感じていた時だった。不意に視界の隅を明かりが過ぎ去っていった。
「ねぇ。あの明かり。生徒じゃあないかしら?」
少女が指差したのは宿舎の渡り廊下だった。手に持った薄い灯りを頼りに夢遊病者のように寝間着姿の女学生が歩いている。
「こんな深夜に生徒がひとり出歩くかしら」
「……」
「どうしたのよ? 急に黙り込んじゃって」
「あの子だ」
「え?」
「未来視で亡霊に殺された子だ。後をつけるぞ」
二人は女学生から一定の距離を保ってその後を追った。女学生は校庭の端に作られた遊歩道を歩いてゆく。
「何か、様子が変じゃあない? 止めたほうが良いと思うんだけれど」
「いや、ここであの女学生に手を出せば敵に勘づかれるやもしれん。亡霊が姿を現すギリギリまで待つ」
生唾を飲んで少女は女学生をじっと凝視し続ける。
女学生は礼拝堂まで進むと、その扉を押し開けて中へと消えていった。
「中に入ってしまったわよ。どうするのよ?」
少女は背後を振り返るようにして時計を見遣った。時刻は午前五時前。彼が未来視で視たという女学生の亡骸が転がる時刻まであと数十分にまで迫っていた。
「時間が無いわよ!」
「影法師、中の人間の数は?」
「んにゃぁあ、やっと出番かい。ふぅん……、中にいる人間は二人か。今しがた入ってた若い反応がひとつと、もうひとつ大人の反応がひとつ。こっちが亡霊憑き臭いな……」
「二人か、いざとなれば生徒は守りきれるか……。中を伺うぞ」
二人は忍び足で礼拝堂へと近づくと、その中を探った。女学生は礼拝堂の祭壇の前でぼんやりと佇んでいた。右に左に身体は振れており、正気を保っているようには見えない。
そして、女学生に向かい立つ蝋燭の薄明かりに照らし出された黒い影――
「来てくれたんだね」
それは、ダークスーツに身を包んだ眼鏡をかけた男性だった。その見た目と声かけから察するに教員らしき者と思える。
「透子、今日もお願いできるかい?」
「はい、先生……」
打たれては波紋を広げる湖面のように女学生の声は穏やかだった。まったく意思の感じられない返答である。
「少しだけ君の力を分けてもらうよ」
「どうぞ、先生……」
女学生は頸が折れんばかりに曲げると頸動脈の走る白い頸筋を晒した。
「ああ、透子」
スーツ姿の男性の顔が狂気じみた亡霊の顔へと変貌する。そして、鋭い針状の歯が並んだ乱杭歯を剥き出して女学生の頸許に噛みつかんとする。
「あのままじゃあ拙いわ!」
「わかっている」
ダダンッ!
言うが速かったか、撃つが速かったか。
東雲の対亡霊専用銃レッドホーク.454カスール霊装カスタムが火を噴いていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第14話は、こちら へ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?