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【亡霊殲滅伝奇譚 -ゲシュペンスト-】 第12話

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 血の海。
 そこに散らばるのは鈍く光る黒い臓器と節くれ立った白くて長い臓器……。
 肉……、手、足……それからまた血……血……。
 惨殺された家族の死体。

「みんな……死んだの……?」

 異臭を放つ泥濘む血の海と化したテント内で、少女は家族一人一人の頭蓋を探し始めた。

「お父さん……お母さん。サーミ……ライリ……アフタル……」

 見つかった頭蓋の数は五つ。少女の家族の数は、彼女自身を含めて七人だった。

「ダヌシュは……、何処どこ?」

 どれだけ探しても兄ダヌシュの姿が見当たらなかった。五つ上の年の離れた兄だったが、妹や弟の面倒をよく見るよい兄だった。少女自身、ダヌシュの幅広の手が頭を撫でてくれた感触をはっきりと覚えている。

「ダヌシュを探さなくちゃ」

 真っ先に思いついたのは、ここから一○キロメートル先にある叔父家族が住まうテントだった。もしも兄が生きていたならば、彼らに助けを請いに行ったに違いない。少女は血でべっとりと汚れ重たくなった服もそのままに、燈會らんたんの灯りを手にテントを飛び出した。
 陽はとうに暮れ、辺りは暗闇に包まれている。
 荒野にぽつんと、少女の持つ灯りだけが浮かんでいる。

〝ダヌシュ、どうか生きていて!〟

 ただそれだけを一心に胸に秘め、叔父家族のテントを目指した。ゆえに、夜闇に浮かぶテントの灯りを目にしたとき、少女は岩場に足を取られることも厭わず駈け出した。到着したのは、彼女が家族のテントを出発してから実に三時間以上も経ってからのことだった。

「叔父さん! 叔母さん!」

 声を上げてテントをくぐる。鼻をツンと突くのは、いまだ記憶に新しい忌まわしき匂い。
 恐る恐る向けた床に広がるのは血に濡れた叔父叔母の遺体だった。

「え……なんで? ……い、いやぁぁああああああ!!」

 膝から崩れ落ちた少女の絶叫は、夜の静寂しじまに響き渡る。

「どうして……、どうしてこんなことに……」

 家族が惨殺され、一縷の望みと賭けた叔父叔母夫婦さえもが動かぬ骸と化していた。幼き少女には理解を越えた出来事が立て続けに降りかかり、その精神は限界を迎えていた。

「僕にも……、わからないんだ」

「え?」

 血の匂いと横たわる遺体しか見えていなかった少女は、横合いから聞こえたその声に心臓を鷲掴みにされる。

「ダヌシュ?」

 それは聞き間違えようのない兄の声。少女の見上げた先で、ダヌシュが背を向けてじっと立ち尽くしていた。

「ダヌシュ!?」

 少女は無我夢中で兄の足に縋りつく。それは最後の最後で繋ぎ留めることのできた希望そのものだった。泣きじゃくりながら必死に言葉を伝える。

「みんな……みんな死んでた。お父さんも……お母さんも。サーミもライリもアフタルも。みんなみんな……叔父さんと叔母さんだって!」

「そうだね。みんな死んだね」

「どうしてこんなことになったの!? ねぇ、ダヌシュ! 教えてよ!」

 必死の叫びに、ゆっくりとダヌシュが振り返り答える。

「ダ、ダヌシュ?」

「みんな……、僕がやったからさ」

「……、ひッ!」

 少女を見下ろす兄の顔は、見慣れた兄の顔ではなかった。激しく歪んだ輪郭と血に濡れ汚れた肌。瞳は空虚に色を失って血涙を流している。

「どうしてこうなってしまったのか。僕にも全然わからないんだ。ねぇ、■■■■教えてくれるかい?」

 そんな言葉を発しながら、ダヌシュは右手に携えた鉈を振り上げる。

「いやぁああ!!」

 目を瞑り蹲る少女。その背に声がかけられる。

「にぃ、げろ……、■……■■■」

 それは紛れもないダヌシュの声だった。
 少女が怖々顔を上げると、悲痛と怒気を半々に混ぜ合わせたような顔でダヌシュが声を絞り出していた。振り上げた鉈は力が籠もってカチカチとその柄を震わしている。

「■■……■■、にぃげぇ、ろ」

 少女は力の抜けた足を叱咤して坐り込んだまま、ダヌシュから後退って離れた。

「ダヌシュなの?」

「この子……だけは、絶対に……ダメだ……」

 しかし、ダヌシュの悲痛な表情は徐々に薄れ、瞳が緋色に血走って怒気を滲ませる。

「■■■■……、にぃげろ……。――ダメだ。逃がさない……逃がすことは許さない」

 苦悶に歪む表情と悪鬼のごとく怒り狂う表情を幾重にも重ねて、ダヌシュは必死に何かを耐えていた。少女はダヌシュのその変容から、彼の内で何かがその主導権を競って戦っているのを感じ取った。

「■……■■■、逃がさない逃がさない逃がさない。僕はダヌシュ。……違う、僕は……僕は……お前じゃあない!!」

 本来のダヌシュが、内に入り込んだ何者かと抗っている証だった。しかし、それも僅かな間しか持たない。徐々に悪鬼の妖面が彼の表情を支配し、苦悶の表情に塗り潰していく。

「■■■■、大人しくしろ。今、みんなのところに、連れて行ってやる。逃げるんじゃあない」

「……お、お前は! ダヌシュなんかじゃあないッ!!」

 少女は身体を起こし逃げだそうとする。

「■■■■、逃がさない。ちゃんとみんなと同じところに行くんだ!!」

 身を翻して逃げだそうと立ち上がる少女に容赦なく振り下ろされる鉈。それは彼女の左肩から鎖骨までを砕きめり込む。

「イィアァァァァァァアアッ!!」

 噴水のように吹き出す血飛沫が彼女の視界を埋め尽くす。脳内は痛みの電気信号がほとばしり、ただそれだけに埋め尽くされる。

「■■■■。殺してやる」

 少女は自身の死を悟り、目を強く瞑った。閉じた瞼の裏で家族の顔が次々に流れいった。
 そして、最後には優しかったダヌシュが微笑みかけてくれる。

「イ、イヤだよぉ! こんな終わり方ぁ!」

 少女が口から漏らしたのはそんな絶望の叫びだった。
 数瞬後には、再び鉈が振り下ろされる。今度こそ、彼女の命はそこで尽きる。

 …………。
 ……。

 しかし、いつまで経っても終わりのときは来なかった。

「イギィィアアア……」

 突如、叫びとも唸りとも判断のつかない声が頭上から聞こえた。そして、べちょりと、少女の身体に生温かい感触が流れ落ちる。

「な、何?」

 少女はゆっくりと面を上げた。彼女の顔に生温かい血が滴り落ち、その白い肌を汚す。
 見上げた先にあったのは、首を刎ねられてもなお直立に佇むダヌシュの身体だった。

「大丈夫だったかい?」

 地に伏せた少女を挟んでダヌシュに向かい立つのは、黒衣に身を包んだ人物だった。異貌の首を刎ねた銃剣は、その刀身を陽炎のように蒼白く燃え上がらせ揺らいでいた。

「――良かった。一人でも助けられて……。本当に良かった」

 薄暗くその顔は見通せない。が、何処か安堵を孕んでいるように、少女には見えた。

          * * *

「ああぁぁぁぁぁぁぁあああああっ!!」

 少女が絶叫とともに覚醒したのは、午前零時を回ってからのことだった。
 少女は震えながら半身を起こし、自身の身体を掻き抱いて目を瞑る。

「ダイジョウブだいじょうぶ大丈夫大丈夫……」

 繰り返して、最後に肩口の傷をひと撫でしてから深呼吸をする。
 それから、ゆっくりと目を開けた。

「……」

 少女はそこが見慣れぬ場所だと気づくと、首を回して辺りを見回した。生活必需品以外のすべてを削ぎ落とした殺風景な部屋だった。少女の横たわる白い簡易ベッドに小さなテーブル。冷蔵庫とキッチン台。唯一生活感を放つ代物は、テーブル奥にあるソファだけ。そのソファでは東雲が一人、ハンバーガーの包み紙を手に少女を見つめていた。

「――ッ!!」

 東雲の姿を認めるや少女は跳ね起きて飛びかかろうとした。が、先の戦闘の負傷に痛みを覚えて顔を歪める。

「まだ大人しくしておいた方が良い。傷が完全には塞がっていない」

 淡々とした声が飛ぶ。

「……ッ。ここは?」

「僕の部屋だ」

 彼女は自身の身体に巻かれた包帯を触り訊ねる。

「この手当はお前が?」

「いや、ジェイムズだ。言っていたぞ、お前は優秀な共鳴器オプファーだと。傷はもう塞がりつつある。今すぐは無理でも明朝には動けるようになるそうだ」

 少年少女の共鳴器化は、霊能力を与えると同時に強力な肉体をも与える。共鳴器化手術は謂わば、強化人間手術とも言える代物である。

「今晩のところはゆっくり休め」

「私は亡霊ゲシュペンストを許さないわ」

 東雲の言葉に、けれど少女は殺気を剥き出しにして言葉を紡ぐ。

「亡霊憑きだって同じよ。亡霊から力を借り受けるなんて許されない外法」

「そうか」

 素っ気なく言うと、東雲は自らの食事に戻ってハンバーガーを囓る。 その態度を見て共鳴器の少女は思う。

〝どこまで馬鹿にしてくれるの……、やっぱりこの執行者ヘンカァーは気にくわないわ〟

 テーブルの上には飲みかけのビール缶とクシャクシャになった包み紙が三つあった。そして、まだ開けられていないハンバーガーの包みがまだ一つ残っている。

「私は絶対にお前を――」

 ――ぐぅ、と、少女の声を遮るように音がなった。

「ん?」

「ハッ!!」と、少女は顔を紅潮させて慌てて俯く。

「なんだ腹が空いているのか?」

「……そんなことないわ!」俯いたまま、ぶんぶんと必死にかぶりを振る少女。

「嘘など吐かなくていい」

 東雲は銀義手の左腕でハンバーガーのひとつ取ろうとして、躊躇いやめた。代わりに右手でハンバーガーの包みをひとつ握る。

「ほら」

 彼の手から離れた包みは、すとんと少女の膝上に飛んできて落ちる。

「あ……」

「ジェイムズ特製オリジナルハンバーガーだ。見てくれは良くないが味は保証しよう」

「こ、こんなの、いらないわ」

「いいから食え。食って早く身体を治せ」

 少女は東雲とハンバーガーの間を何度も見比べる。それから観念してゆっくりと包み紙を開いた。バンズからはみ出すパテやベーコン、チーズ。トマトの甘酸っぱい香りがふわりと周囲に漂う。少女は一口ハンバーガーにかぶりつく。




「これは……」

「どうだ?」

「な、なんでもないわよ。そうね、まあまあってところね」

「また嘘を吐いたな」

「え?」

「顔が笑ったままだぞ」

 少女は慌てて自分の顔を擦って確認する。頬が盛り上がり、口角も伸び切っていた。

「う、うるさいわね。……あ、味が良いことだけは認めてあげるわよ!」

「旨いか、それは良かった」

 少女がはむぐむぐとハンバーガーを貪り食い、ものの一分もかからずに平らげてしまう。

「ふぅ……」

「落ち着いたか?」

「ま、まあ……ね」

 ハンバーガーを食べ終わった少女に、東雲の視線がじっと注がれる。

「な、何よ? そんなに見つめて」

 そして、静かに彼は問いかける。

「亡霊は憎いか?」

「ええ、勿論よ」

「そうか。では、なぜそこまで憎い?」

「私の家族を殺したから」

〝それ以外の理由はない。私の家族を奪った亡霊。決して許せない存在〟

「亡霊が私の家族を皆殺しにした。そして、私ひとりが生き残った。行く当てのなかった私は組織に拾われ、共鳴器になった」

 少女は恨みを込めた低い声で答えた。しかし、それに東雲は真っ向から問い返す。

「つまり、亡霊がいない世界だったならばお前の生き方はこうではなかったと?」

「何よ、それ。そんなの有り得ない妄想でしかないわ」

 吐き捨てるように少女は言い放った。けれど、東雲は食い下がる。

「亡霊に家族を殺され、そのせいで亡霊を狩り殺す共鳴器になった。その理屈は理解しよう。けれど、僕が知りたいのは、お前のその生き方に選択はあったのか、ということだ」

「選択ですって?」

「世界や時代、他人に選ばされて進んだ道でなく、お前自身が選び取った道だとそう断言できるかどうかだ。どうなんだ?」

「……、そんなこと」

〝――考えたことすら、ない〟

 それが少女の率直な感想だった。少女にとって亡霊を狩り殺すという共鳴器としての道は、選択の余地なく引かれたレールのようなもの。己の命は亡霊を滅ぼすためだけにあるのだと、そう信じて生きてきた。ゆえに、男の問いかけに少女は戸惑いを感じていた。

「私の、……私の選択に決まっているわ」

 勢いのままに少女が言い募るのを見遣ると、東雲は眼を伏せて言う。

「僕もお前と同じで亡霊が憎い。肉親と呼ばれる者は皆亡霊に殺された。亡霊に立ち向かうと決めてからも、幾人もの仲間たちが、嘆きの暇もなく無惨に死に絶えた。僕の半生は亡霊によって血塗られている」

 過去を思い出すように語る男の目は昏く沈んでいた。

「亡霊と関わる世界はまごう事なき地獄だ。しかしこんな地獄のような世界だからこそ、僕はこの世のすべての亡霊を狩り殺すと心に誓った。これは僕自身の選択だ。誰に選ばされたものでもない」

 男の吐露する言葉はひどく重たく少女にのしかかる。

「……」

「亡霊との戦いに身を置き続ける中で、僕はさらなる力を欲した。その結果がこの左腕だ」

 彼は袖を捲って銀義手の左腕を晒す。

「僕はたった一人でも亡霊を狩り殺す力を求めた。その願いの果てに自分の意思で亡霊を身に宿す決断をした。亡霊憑きは異端なのだろう。お前にとっては許し難い在り方なのだろう。けれどこれは、憎き亡霊を滅ぼすために必要なものなんだ」

 少女も男の左腕――銀義手へと目を向ける。機械とも肉体とも判断のつかない異質な色艶を放つ異形の具現。それは少女にとって許し難き敵であると同時に、彼にとっては亡霊を狩る武器そのものだ。自身の肉体を犠牲にして得た力である。

「私と同じ……」

 その左腕は、少女が自らの骨や血液を削って骨刃瓔珞こつばようらくの対霊装備を作り出すのと大差無かった。その武器が意思を持った亡霊であるという一点を除きさえすれば、少女も彼も己の身を犠牲にして亡霊狩りに臨んでいる同胞はらからである。

「その左腕の亡霊、完全に制御できているの?」

「今のところはな。けれど、いつまで持つかはわからぬ」

「亡霊を身に宿すことに怖さはないの? いつ自分が亡霊に成り果てるともしれないのに」

「怖さはある」

「だったら――」

「けれど、その怖さは自分を失う怖さではない」

 彼ははっきりと断言する。

「怖さとは己が亡霊に乗っ取られ、人を襲うようになる怖さだ。守りたい者を、無辜の人々を傷つける。そんな存在になってしまう可能性だけは決して拭えず、恐ろしい」

 感動を失った瞳のまま、彼は涸れた声で言う。

「今はそうならないことを神に祈って戦うしかない。怖さに負けて亡霊を狩り殺すことをやめるわけにもいかないからな」

 男の決意は確固たるものだと、そう少女に強く認識させた。

「少しなら……」少女はかき消えそうな小さな声で言う。

「少しなら、あなたのことを認めてあげても良いわ」

〝自分を犠牲にしてでも亡霊を殺したいって気持ち。それは、私が持つ感情と同じもの〟

「そうか、それは光栄だな」小さく笑って、男は背を向けて横たわる。

「休めるうちに休んでおけ。いつ亡霊が現れるともしれないからな」

「そんなことくらいわかってるわよ」

 少女は拳を固く握り込むと、再び毛布に潜り込んだ。
 静寂が二人だけの部屋に満ちる。部屋は冷ややかさの中にも穏やかな空気を孕んでいた。
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第13話は、こちら へ

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