【亡霊殲滅伝奇譚 -ゲシュペンスト-】 第11話
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時刻は夕暮れを越えた一九時。
カフェ&バー、トラオムラントの一階のカウンター席で東雲は紫煙を燻らせていた。
「まだ動かないほうがいいんだけどねえ」
カウンター越しにジェイムズが心配そうな視線を向ける。
「目が醒めたということは身体が機能を取り戻したということだ」
「考え方が野性的やしないかい?」
「僕は腹が減った。何か飯をもらえるか?」
「君のご飯はその腕に刺さっているやつだよ」
ジェイムズはグラスを拭きながら東雲の横にある点滴台を顎で差す。
「こんなものでは腹は膨れない」
「身体に必要な栄養はそれで補えているよ。腸管をやられたんだ。食物の経口摂取はまだ早いと思うけど?」
「食べられる内に食べろと前のときは言っていなかったか?」
「それは左の第一中足骨を失ったときの話だ。消化器系は無傷。今回とはわけが違う」
「いいから飯を寄越せ。僕は腹が減っている」
「はぁ、まあ手術から四日は経っているし、良いとしようか」
ジェイムズは拭いていたグラスを仕舞うと、厨房奥へと向かう。
「消化の良い物を作ってあげるよ」
「ハンバーガーを寄越せ」
「君なあ、人の話聞いてないだろ! ハンバーガーは明日以降しかダメだ。今日はショートパスタのトマトチキンスープ、またはお粥のどちらかだ。さあどっちにする?」
「ハンバーガーと食べるならトマトチキンスープに決まっている」
「やっぱり人の話聞いてないだろ!」
カランカランと、店のドアが開かれ、備えつけの鐘が鳴る。
「すまないね。今日は閉店だ。また別の機会に。――って、なんだ、ミクリヤとヤヨイか」
「なんだとは何よ、ジェイムズ」
ドアを開けて姿を見せたのはミクリヤとヤヨイの二人だった。
「ジェイムズ、ボクたちは任務で来たんだ」
「任務だって?」
「ほら、あなたも中に入って」
ミクリヤに促されて入店したのは、フードを被った人物だった。誘われた人物は一歩前に進み出ると、被っていたフードを脱ぎさる。そこにいたのは、齢十二かそこらの少女だった。
* * *
肩で切り揃えられた黒髪。
「……」
前髪の下からは強い意思の籠もった翡翠の瞳が光っていた。それは睨むでもなく、けれど、だからといって朗らかな印象もない。ただじっと野生の獣のように人間を値踏みする眼差しを注いでいる。
「やあやあやあ、君が游博士のところから派遣された共鳴器だね?」
しかし、そんな少女の容貌など一切無視して、ジェイムズは顔をほころばして歩み寄る。
「ええ。Charlotte303217。あなたが私の執行者の東雲ミライ?」
「いやいや、私は組織と君らの繋ぐ伝令係だ。他にも執行者や共鳴器の医療担当も兼ねている。名前はジェイムズ・ケイフォードという。よろしく頼むよ」
ジェイムズの差し出す手を無視する。そして、店内奥にその視線を向けた。
「だったら……」
視線の先にいたのは、点滴台を横にカウンターに腰かけ煙草を吹かす人物。
「じゃあ、あの人が東雲ミライね?」
ジェイムズは握手を拒否されたことを意に介す様子もなく、少女の視線の先を追う。
「ああ、そうだよ。君のパートナーとなる執行者、ミライ・東雲だ。別名を異端の狩手。たった一人で死神さえも狩ってきた英雄さ」
「そう……」
少女の視線を受けた東雲はゆっくりと少女の方へと向き直る。彼は目を細め、明らかに煙たげな顔色を浮かべていた。煙草を吸い切ると、ふんっと鼻を擦った。
「チッ」
少女の視線と東雲の視線がぶつかる。その二線が不穏な火花を散らした。
「気にくわないわ。あれが私の執行者だなんて」
少女はそう呟くと上着を脱ぎ捨て、姿勢を低くした。
「霊髄――」
言の葉を中心として、同心円状に目に見えぬ波紋が広がる。
「ちょっと、あなたこんなところで何をする気!?」
「そもそも亡霊に憑かれた執行者なんて許す許さない以前の問題だったのよ」
「何を言っているの、ダメよ!」
諫めるミクリヤの声が飛ぶも、少女の行動は止まらない。
霊髄。それは亡霊研究において見出された〝精神〟の液状物質体である。有史以来、物質として捉えようのなかった精神という概念に初めて形を見出したのがそれである。神智学の分野では、霊髄は精神そのものと考えられている。自我を持つ生物種は脳や神経束、骨髄といった自己の中枢に近い部位に霊髄を持つ。
「――共鳴」
そして、その霊髄を強制的に活性化させる霊的波動を霊髄共鳴と呼ぶ。これは共鳴器と呼ばれる少年少女だけが持つ固有の能力。彼らが共鳴器と呼ばれる由縁のひとつである。
人間に憑依状態の亡霊は霊髄共鳴を受けると、自身の体内に宿る二つの精神が同時に活性化することで〝精神闘争〟が起こり、身体に異常が発現する。その多くが人体の超強化という形で起こり、異形の姿を晒すことに繋がる。
「お前の本当の姿を見せろ、亡霊ッ!」
少女は今、確実に『東雲』を対象として霊髄共鳴を放ち、その中に潜む亡霊を炙り出そうとしたのだ。それは明らかな敵対行動だった。
「ひっひひひひ」
東雲の左腕の影法師が少女の放った霊子の波紋に触れた途端、水銀の表面をびりびりと波打たせた。そして、無数の口と目がぞろぞろと湧き出てくる。
「その左腕が本体か! 滅びろ、亡霊!」
姿勢を低くした少女は両手を広げて膂力に力を込めた。それはまるで大鎌を彷彿とさせた。そのまま飛びかからんと踵骨を地から浮かせる。
「お前さん。あの嬢ちゃん、やる気だぞ。どうするね?」
ざわりと蠢く影法師が東雲に訊ねる。
「……好きなようにしろ」
「ひっひ。好きなようにか。いいんだな?」
「僕に共鳴器は必要ない。それはお前も知っていることだろう? 今更だ。それにあそこまで逆上した手合いには口で何を言っても無駄だろう。相手をしてやれ影法師」
「御意に」
「ただし、殺しはするなよ」
東雲は椅子に坐って点滴を受けたまま、銀義手の左腕だけを少女に差し出した。
「ようし、殺さなければいいんだな。言ったね? 言ったな? 言ったからな?」
刹那、影法師から無数の触手が伸びて東雲の周囲を取り囲んだ。まるで繭糸を吹いた幼虫だった。触手の一本一本には一眼と歯の並んだ口が備わり、外敵を迎え撃たんと揺れている。
そんな光景にも怯えを一切見せず、少女は口の中で呪文を紡ぐ。
「骨刃瓔珞――the blade of my bone, imperialis」
突如、少女の周囲に血霧が舞い上がった。しかし、傷ついたのはミクリヤでもジェイムズでもない。東雲でもない。その血霧は、少女の身体から吹き出した血潮だった。
「こ、これは……」と、ミクリヤが絶句する。
「ははは、游博士は共鳴器をこう仕立てたか。通常、何かしらの対霊装備を用いて戦う共鳴器において、自身の身体そのものを即時武器に変質化させるとは。いやはや、博士らしい発想だ」
ジェイムズは研究対象を見るかのような目で少女を見下ろす。
少女の身体に起こった異変は至極単純なことだった。自分自身の生身の骨をその場で削り出し、対霊装備に作り替えたのだ。血が流れる両腕からは幾本もの骨の刃が突き出ている。そして、骨の刃はすべてが妖蒼に揺らめき、それが対霊装備であることを物語っていた。少女の足が地を蹴って東雲に馳せる。
「亡霊、その身切り裂き、滅してやる!」
「言うじゃあねぇか、嬢ちゃん。触手一本やれたら嬢ちゃんの勝ちにしてやるよ」
「馬鹿にするなッ!」
少女の両腕の骨刃が宙に浮かぶ影法師の一本と接触する。その触手を切り刻まんと刃が宙を旋転して舞い踊る。刃と刃の衝突が鈍い重奏となって周囲の空気を振るわせる。
「――うっ!」
「ひゃっははは」
互角かに見えた激突は、しかし、少女の呻きに断ち切られる。
「がはッ!」
衝突の後、弾け飛んで壁に背を付けていたのは飛びかかった少女のほうだった。全身全霊をかけて放った無数からなる一閃。それがたった一本の触手に弾かれ……否、喰い折られていた。
「んにゃにゃ。良い対霊装備だ。生身の身体を媒体に使えば、武器に困ることはねぇな」
影法師はガムでも咀嚼するように少女から砕き折った骨をしゃぶり食っていた。
「くっ!」
骨刃が無数に生えていたはずの右腕。その半数近くが砕かれていた。
「あの一瞬で、私の腕を喰い破ったか。戯れ言を言うだけはあるってことね。けど、これなら、どうだッ!」
少女はギリリッと奥歯を噛み締めて怒りを露わにして、再度壁を蹴って触手に飛翔した。
「おや、同じ手でくるのかい? 何度やろうが無駄だよ?」
宙を舞う少女めがけて一眼一口の触手が肉を喰らわんと蛇のように収縮しては跳ねる。二度、三度、四度と飛び交う触手の猛攻は、電光石火の早業だった。
「こんなもの、見切るのは容易い!」
「ほぅ、やるじゃあないか」
しかし、その全てを少女は間一髪のところで身を翻して躱し、衣服が裂けるに留める。
「やあぁああああ! これでも、喰らぇえええ!」
少女は宙空で身を捻ると左踵脚を振りかざした。瞬間、血飛沫を上げて少女の踵から巨大な骨刃が生え伸びる。
「おお、そんなこともできるのか。だったら、頭から角とかも生やせたりするのかい?」
影法師の戯れ言など少女の耳には入っていない。標的は定まっていた。狙うは一眼一口の触手の先ではなく、それが伸びる蔦のごとき水銀部。切り落とすことだけに賭けた一撃。
「まあでも、共鳴器のガキにしてはよく頑張ったほうだよ、嬢ちゃん」
高速で振り下ろされる大太刀のごとき骨刃の踵落とし。少女の渾身の一撃は確実に影法師を捉えていた。そして、影法師もその一刀を避けようとはしなかった。刃が触手に衝突し、そして、ミシリッと軋みの音を立てる。それは影法師を引き千切るかに見えた。
「!?」
「ワタシにゃぁ、そんな対霊装備じゃあ傷一つ付きやしないよ」
横合いから鞭のように撓った触手が一閃。少女の矮躯を薙ぎ払った。
「うぐッ! がッ!」
受け身も取れず叩き付けられた少女は血を吐いて床に伏す。
「ま、まだ……だ」
しかし、その瞳はまったく曇らず熾火のように燃え、蠢く影法師を射貫き続けている。
「ほう、まだやるかい。意外にタフだねぇ」
少女は痙攣する身体を抑え込み、歯を食い縛って立ち上がろうとする。
「亡霊は全部……全部滅ぼさなきゃダメなんだ」
「ワタシが言うのもなんだが、良い心がけだねぇ。まだやるかい?」
「当然だ」
「良い返事だ」
少女は口内に満ちた血を床へ吐き捨てると、ふらふらと立ち上がった。
「じゃあ、今度はこっちから仕掛けさせてもらうよ、嬢ちゃん」
それまでカウンター狙いでしか戦っていなかった影法師が先に動いた。一眼一口の触手、その一本を真っ直ぐに少女の頭部めがけて放った。
「これを躱せるかい? それとも真正面から受けるかい? さて、どうするね?」
「やられて……、たまるか」
少女は左腕の骨刃を構えて迎撃姿勢を取る。
「なッ!?」
しかし、その身体が突如として硬直した。
「おいおいおい! 折角の良いところじゃあないか。なんだよ、まったく」
それは影法師のほうも同様だった。宙空を猛スピードで触手がその場で凍り漬けにされたように動きを止めている。
「……糸縛操術」
「こんなの……こんな一方的なの、もう見てられないわ」
二人の動きを封じたのはヤヨイとミクリヤだった。ヤヨイは糸を手繰るように手を動かし少女をその場に縛り付けていた。ミクリヤも同様に琴線の糸を手繰って影法師を絡め取っていた。飛翔していた一眼一口の触手さえも阻み、静止させている。
「ミクリヤや。教育的指導に水を差すのはちょっと違うんじゃあないかい?」
「教育的指導ですって? 単に共鳴器の子どもをいたぶっているだけでしょ!」
ミクリヤは影法師を怒鳴りつけると、少女にも声を飛ばす。
「あなたもあなたよ! もうやめなさい、そんな怪我までして。勝てるわけないでしょ」
ミクリヤの正論に、しかし少女は真っ向から切り返す。
「ッ……勝てる勝てないの問題じゃあないわ。亡霊は敵なんだ! 違うかッ!」
間髪なく断言する少女の血気に満ちた語調にミクリヤは一瞬たじろぐ。
「嬢ちゃん。そこのミクリヤ先輩はもうやめろとさ。どうするね?」
「……ふん。私は、まだやれるわ」
「ミクリヤ、ということで続けさせてもらうぞ」
ぷつんッ。
「え?」
影法師から放たれた一撃の触手。それがミクリヤの琴線の呪縛を破って突き進む。少女の眼前に到達すると大口が開かれる。ぽっかりと開かれる昏い闇を称える口腔。そして、昏い口腔の最奥から伸び迫る銀色の舌。
「仕舞いだよ。頑張って避けるなりなんなりしな」
鈍色の舌は鋭く尖り、槍状と化して少女を突き刺しにかかった。それは、コンマ数秒たらずで少女の頭部貫いて壁に縫い付ける一突き――。
ギリリィッ!!
――になる筈だった。
「ほぅ、嬢ちゃん。やるじゃぁないか。褒めてやろう」
刺突として飛来する舌を、少女の刃と化した歯が噛み締め受け止めていた。骨刃の歯による白羽取りだった。
「これでぇ、どうだッ!」
少女は力を振り絞り、そのまま影法師の槍の舌を顎の力だけでへし折った。
「こりゃあ一本取られちまったねぇ。けど、これで調子が出てきたってもんだ」
「影法師、そこまでだ」
それまで無言で戦闘を見ていた東雲が沈黙を破る。
「なんだいなんだい、お前さんまで。あと二三発ぶち込んだって死にゃしないよ?」
「いや、これで終わりだ。そいつはすでに気を失っている」
両腕と踵骨、歯を削り刃と化した異能。それに載せた渾身の力の数々。
意識の消失は、その身に宿る全力を出し切った結果だった。
少女は霞む意識の中でかろうじて声を聞き止める。
「ジェイムズ、この共鳴器はなんだ?」
「君に提供された共鳴器だよ。游博士特別製のね」
「そういうことを聞いているのではない。この亡霊に対する異常なまでの敵愾心。共鳴器としては十分な素養なのだろう。だがしかし、些か度が過ぎている。何者だ?」
「はっはは。まさか君のほうからこの子の素性を求めてくるとはね。予想外だよ。興味が生まれたかい?」
「説明しろ」
「ある意味で君にぴったりの共鳴器だよ」
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