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【亡霊殲滅伝奇譚 -ゲシュペンスト-】 第16話

※本作の概要については、こちら をご覧ください。

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 ファンシーな小物を取り扱う雑貨店、革物専門に扱う鞄店、愛らしさを前面に押し出した衣服を販売する服飾店、店舗入口に警備員の立つ高級ブランドショップ、シルバーアクセサリーを陳列した装飾店、古めかしさの中にも上品さを漂わすアンティークショップ、パラソルを並べた休憩スペースに併設された甘い香りを漂わすオープンカフェ。
 それらすべての店を、少女は玉手箱の中を覗き込むような瞳で見て回った。

「……わぁ、すごいわ! 東雲、何これ!」

 十七時半を過ぎて周囲が薄暗くなると、エリア全域がクリスマス装飾のごとき淡く暖かな光の天幕が降りて、ノスタルジックな雰囲気が漂い始めた。

「こんなの見たことないわ」

 少女の目には、それはまさに夢の国の光景として映っていた。

「疲れただろう。一旦休憩にしよう」

 東雲が少女を案じるように、そう切り出した。

「そうね。私も丁度休憩を提案しようと思っていたところよ」

「向こうにいくつか飲食店が並んでいた。夕食を摂るか」

「せっかく来たのだから、夕食くらい現地で食べたって文句は言われないわよね?」

「ああ、心配いらない」

 二人は飲食店の並ぶエリアへと向かい、一店のレストランに入った。

          * * *

「うぅ~ん」

 席に着くなり、少女はメニュー表とにらめっこをして、ああでもない、こうでもないとぶつぶつと呪文のように呟く。

「どうした? まだこの国の言語が難しいか?」

「言語は大丈夫よ。主要な国の言語は施設で大方学習したから」

「では、なにを悩んでいる?」

 メニュー表にはわかりやすく英語表記もイメージ写真も記載されていた。

「私が悩んでいるのはその……」

 少女が恥ずかしそうにメニュー表で顔を隠す。

「……るの」

「なんだ?」

「悩んでいるの」

「だから何を?」

「こっちのホワイトソースオムライスにするか、このビーフシチューの欧風セットにするかを悩んでいるの!」

「ふっ……。何を悩んでいるかと思えば……ふふ、そんなことか」と、東雲は小さく笑う。

「な、なによ! そんなにおかしかった!?」

 頬を赤らめ口元をとんがらせた表情は不機嫌の体現そのものである。

「いや、すまない。何もおかしくはない。お前の食べたいものを食べるとしよう」

「だから、どちらが食べたいかを悩んでいるんじゃあないの!」

「どちらもオーダーすれば良い」

「え?」

「僕は何でも構わない。お前が食べたいものを食べろ。僕はそれをわけてもらえれば良い」

「でも……、そんなの贅沢だわ」

 一冬を越すのにも苦労するような大自然での生活を強いられた過去を持つ少女にとっては、欲しいものを欲しいままに手にする行為に抵抗感が芽生えるのは当然のことだった。

「案ずるな。小さなことだ」

「でも……」と、予期せず与えられた待遇に少女の胸中には戸惑いが沸いた。

「気が引けるというならば、理由がいるか?」

「理由?」

「お前は半日にも亘って霊髄共鳴エリキシルレゾナンツを続け、任務に貢献した。ならば、それに対する対価を受け取るべきだ。それがこの食事だ」

「……対価」

「労働には対価があって然るべきだ」

「そ、そう……、対価……ね」

「対価に贅沢も何もない」

「たしかに、こんなに長く霊髄共鳴の微弱操作をしたの初めてのことだったわ……」

「疲れたのではないか?」

「想像以上に疲れたのは事実……、だと思うわ」

「ならば、対価を享受しろ」

 自身の中で折り合いを付けることができたのか、少女は何度も頷く。

「わかったわ、東雲。私、対価を受け取ることにする。両方オーダーするわ」

「ああ、そうするといい」

 そうして二人の前には少女が食べたい言った料理が並べられた。少女はそれらを幸せそうな顔で、ときには不思議そうな顔で口へと運んでいった。

 夕食を開始してから四○分程経ってからのことだった。ほとんどの料理を食べ終え、食後のドリンクが運ばれてきたときだった。

「この国は、ほんとに……、ほんとに平和よね」

 窓ガラスの外で幸せそうに歩き行く子ども連れの夫婦を見つめて少女は独りごちる。

「お前の目にはそう見えるのか?」

「ええ、見えるわ。誰も飢え苦しんでいないし、そもそもみんな笑顔だもの。今日ショッピングモールを見て回っている間にすれ違ったお客さんも、店員たちも、みんな笑顔だった。誰一人として悲しい顔をしてはいなかったわ」

「それはどうだろうか?」

「違うって言うの?」

「笑顔を浮かべることが仕事であり、それを辛いと感じる人間もいたかもしれない。人に合わせて笑うことに心をすり減らしている人間もいたかもしれない」

「ああ、そういうこと。でも、それも違うと思うわ。たとえそうだったとしても、笑顔を作ることができるのは心に余裕があるからよ。心に余裕がないと笑顔は生まれてこないものなのよ」

「余裕か」

「ええ、私がかつて見た村の人々は違ったわ。客に向かって怒鳴り声を上げる店員もいたし、食事を摂るための日銭がなくてゴミを漁る人もいた。何かを呪うように道端に坐り込んだ人もたくさんいた。私だって一生懸命に運んでいた積み荷を盗まれたことだってあった。少なくともこの国に来て私はそういう境遇の人を見ていない。これを平和って言わずしてなんて言えばいいのかしら」

 少女のそぞろな吐露を、東雲は静かに受け止める。

「そうか……」

「そしてやっぱり、ここは私のいるべき世界とは違うって痛烈に思い知らされるわ」

「…………」

 少女は食後に給されたオレンジジュースのコップに付いた水滴を見つめる。

「なんだかここが苦しいの」

 幼い少女の拳がぎゅっと胸を掴む。

「どうしてかわからない。けれど、平和で穏やかな世界は、私を異物だと強く認識させるの。こんなところにいてはいけないって、そんな声が聞こえる気がするの」

 悲痛な顔で言い募る少女に、東雲は真正面から言葉を返す。

「お前を異物とするそんな声、それは幻聴に過ぎない」

「そう、……かしら」

「すべてはお前が平和に慣れていないからだ。これから少しずつ慣れてゆけば良い。平和も自由も、手を伸ばせば届くところにあるものばかりだ」
「平和と自由か。簡単に手を伸ばすことができれば、一番楽なのだけれどね……」

 そう言って、ストローに口を付ける少女の横顔に、少女らしいあどけなさはなかった。決して幼い少女のするそれではなかった。世界を達観して、自身の在り方さえ諦観し、その上で自身と世界に見えない境界線を引いた人間の顔だった。

「世界を脅かす存在があることを知って、その上でそれから目を背けて……。そんな後ろめいたい気持ちでは、平和を正しく見つめることなんてできないわ」

 諦めたように憫笑を浮かべる少女に東雲は語りかけるように言う。

「お前は、本当の意味で平和と自由の世界で生きることが可能だとしたら、そうした生き方を望むか?」

「――え?」

亡霊ゲシュペンスト狩りなどという裏の世界を捨てて自由に生きたいと、そう望むか?」

 少女は驚きに目を見開き、それまで浮かべていた憐憫の表情を潜める。

「自由になりたいか?」

 少女は俯き、何か思い悩むように眉間に皺を寄せる。そして、面を上げた少女の顔から表情は消え去っていた。年齢に似つかわしくない能面のような無表情が張り付いている。

「それ、本気で言ってる?」

 少女は真っ向から東雲を見据えて剣呑さを滲ませた声音で問うた。

「ああ、本気で言っている」

 けれど、少女の気迫すら真っ直ぐに受け止めて、彼は言葉を返した。

「……。もう出ましょ。こんなところでする話じゃあないわ」

 店内には賑やかな平穏の声に満ちていた。が、その柔らかな喧噪から二人は切り取られてしまったかのようだった。
 少女は目を伏せると、席を立った。その背中を東雲は憂いを込めて瞳で追いかける。

          * * *

 ショッピングモールに隣接した臨海公園は、宵闇の静かさに包まれていた。
 ぽつりぽつりと淡い街路灯の光る海岸線の遊歩道は、それだけで寒々しい気配を感じさせ、秋の訪れを予期させる。歩き行く人々の姿も疎(まば)らに散っている。




 さざ波の引いては返す音の中、少女は執行者ヘンカァーを問い質す。

「もう一度聞くわ。平和な世界で自由に生きるっていうあれ、本気じゃあないわよね?」

 彼女にとってその問いかけは、裏切られたと言っても良いものだった。認めても良いと思った執行者。力を認められたいとも思った同胞はらから。背中を預けて信じられると思った存在。そんな存在が、今更こんなにも甘い感情を問うてくるなど夢にも思っていなかった。

「……本気だ」

「今すぐあなたを斬り殺しそうだわ」

 握り締めた少女の拳が真っ白になり、怒りに震える。

「何度でも言おう。僕は本気だ。自由を選べるのならば、自由を選べ」

 東雲は顔色ひとつ変えずに言い放った。

「くッ……」

 足を踏みしめ地面を抉る少女。そして、きっと面を上げると自嘲気味に吐き捨てる。

「今更自由になれだなんて……、はんッ、笑わせないで頂戴。私にそんなものはないわ!」

「本当にそうか? ならば、お前は何を望む?」

「決まっているわ。亡霊ゲシュペンスト狩りよ。亡霊を殺して殺して、殺し尽くす」

「それでどうなるのだ?」

「殺して殺して……それで……。最後には……死ぬのよ」

 語尾強く言ったその台詞は、怒りのせいか怯えのせいか、小刻みに震えていた。

「そうだな、僕もお前も最後には死ぬ。どんな人間も最後には煙か土くれに成り果てる。亡霊と戦う世界であれば、奴らの餌食にもなるやもしれん」

 東雲は嘆息して、冷め切った口調で諭す。

「お前は組織の訓練を終え、実地へと派遣された。その意味がわかるか?」

「組織の手となり足となり亡霊を殺すってことよ」

「違うな」

 東雲は片眼鏡を通して、はっきりと少女を見据えて言い切る。

「お前は何もわかっていない」

「――ッ! 何もわかってないって! 何がわかってないって言うのよ!?」

 海風が二人の間を強く吹き抜けてゆく。

「お前は、死に方を選ぶ自由を与えられたんだ」

「……死に方を選ぶ自由?」

 それは少女がまったく予想だにしていない返答だった。

「お前はお前でしかない。これから亡霊とどう戦い、どう生きるかはすべてお前に委ねられた。共鳴器オプファーとしてその能力を発揮して亡霊を狩っても良いし、生きることに執着しながら戦っても良い。場合によっては逃げ出したって構わない。どうだ? そういう意味では死に方を選ぶ自由を与えられたと言っていいだろう」

 声音は至って単調に、けれど、言葉から逃がさない圧力が込められていた。

「もっと言おう。今ここで全てを投げ出し亡霊など関係のない世界で普通の生活を手に入れるために奔走する。僕はお前がそんな生き方を選択しても構わないとさえ考えている」

「そんなの! そんなの絶対に考えられないわ!!」

「考えられないか? それは何故だ?」

「だって、私にはもう……もう何もないから。亡霊を殺す以外何も残ってはいないから」

「本当にそうか? お前は亡霊の惨禍に見舞われ、組織によって共鳴器なんて人間兵器にされた。ここまでのお前に選択の機会はついぞなかったのだろう。けれど、ここからは先はお前の選択だ。誰かの養子となって普通の少女となる。学校に通い、友人を作って何不自由のない生活を手に入れる。大人になり、恋人を持って家庭を作って、子どもを持つ。幸せに老いさらばえて家族に見守られて死ぬ。そんな生き方も、選択もできるのだ。望むならば、組織から抜ける手助けもしよう」

 淡々と語る東雲の言葉は少女の心を苛んだ。

「そんなのってないわ! 人の心と身体を散々いじり回しておいて、その挙げ句に自由になれだなんて! 私にはもう亡霊と戦う以外の生き方はないのに!」

 少女は涙混じりに怒りを発散させる。

「来る日も来る日も身体が麻痺する程身体強化剤を打ち込まれた。硝煙の匂いが身体に染み込むまで銃を握らされた。拷問の真似事だってやった。人殺しの訓練だって何度も繰り返した。泥を啜るような生き方だった。それらは全部全部全部! 亡霊を殺して死ぬため。その道以外残されていなかった。こんな辛い生き方、やめられるならとっくにやめてた!!」

 堰を切ったように心の内を吐き出す少女に、静かに東雲は答える。

「そうか。だったら――」

「え?」

 一瞬の間だった。

「――今、別の選択肢を与えよう」

 東雲がレッドホーク.454カスール霊装カスタムを音もなく抜いていた。鈍色の銃口が洞のように昏い穴を称える。それは微動だにせず、少女の額に向けられていた。

「じょ、冗談でしょ?」

「いいや、本気だ」

「私を……、殺すの?」

「違う。僕はお前を殺さない。お前がお前を殺すのだ」

「私が私を殺す……」

「お前が、亡霊などという魑魅魍魎を狩り殺す必要など何処にもない。この世界が嫌になったと言うならば、今ここで死んで、楽になれ」

「楽になる……?」

「死すら選択できずに人が死に滅ぶ。亡霊を狩り殺す世界とはそんな残酷な世界だ。自ら死を選択できるだけ幸せに思え」

「私は……、ダメよ。死ねない。私はまだ死ぬわけにはいかない」

「なぜだ? Charlotteシャルロット303217、なぜお前はまだ死ぬわけにはいかない?」

「ダヌシュが……、ダヌシュが最後に足掻いて、それでもらった命だから……」

「そいつによって家族を殺され、挙げ句に自身の名前すら失ったのにか?」

「……ッ!? どうしてそれを知っているのよ」

「資料を見させてもらった。お前はそのダヌシュという兄によって今の悲惨な立場にあると言っても良い」

「ダヌシュのことを悪く言わないで!!」何かを振り払うかのように少女は声を張り上げる。

「私の家族を奪ったのはダヌシュじゃあない! 亡霊よ!! だから私は亡霊を殺す! 殺して殺して殺し尽くしてやるのよ!」

 少女、Charlotte303217はイラン高原南西部、ザグロス山脈の麓の遊牧民族に生まれた至って平凡な娘だった。しかし、家族が遊牧生活を営んでいた近隣の村で亡霊騒動が勃発。村人は全員が骸の山と化した。当時村に商いに出ていた少女の兄ダヌシュはその騒動に巻き込まれ亡霊憑きとなる。そして、そのダヌシュによって、少女の家族は皆殺しにされた。

 そうして、惨禍の中、唯一生き残ったのが彼女だった。孤児となった彼女は組織に引き取られ、共鳴器オプファーとして生きる道を与えられた。

「亡霊を殺し尽くす。本当にそれがお前の願いか? Charlotte303217。それがお前の選ぶ道か? お前は二年半、望んで組織で訓練を受けたのか?」

「それは、そうするしかなかったから。だけど、でも! 全ては私の望んだことだった!」

「選ばされた道でないと、そう言い切れるのか?」

「……ッ!」

「お前は自分を偽っていたのではないか? Charlotte303217などという心のない兵器に自分を押し込めていただけじゃあないのか?」

「違うッ!!」

「では何故、辛い訓練の日々を乗り越えられた? 自分を偽り、何も感じない人形を演じていたからではないのか?」

「……ぅ」

 唇を噛み締めて涙を落とす少女。東雲は少女に向けていた銃口を力なく下ろす。

「通過儀礼だったと思え」

「……え?」

「組織での訓練の日々は自由を得るための通過儀礼だったと、そう考えろ」

「そんな考え方できない……。私はCharlotte303217。他の何者でもない」

「そうか。ならば、新しい名をやろう。お前がお前としてこれからを生きるための自由の名だ」そして、東雲は告げる。

「ニーナ・シャルロット」

「ニーナ……?」

「お前が共鳴器でも人間兵器でも、人形でもなく、お前がお前として自由を生きるための、新しい名だ」

「ニーナ・シャルロット……」

「その名の人物がこれからどう生きるのかをよく考えろ。自由になったその身で、その名で、お前にとって正しいと思う生き方を選び、そして死ね。僕はお前の選択を最大限尊重しよう」

 二人の間の絶対的な距離を示すように、一際大きな波音が過ぎ去っていった。

「よく考えて決めろ。これはお前の一生を決める選択になる」

 言葉は少女を突き放すものでしかなった。けれど、少女はそれが他に含みのない純粋な問いだということも理解できていた。
 少女はもう一度、東雲を見遣る。一方で、彼は少女を一顧だにしない。

「ニーナ・シャルロット……」

 もう一度その名を呟き、少女は視線を足許に落とした。
 その翡翠の瞳はまるで波間のように、小さく狭間で揺れ動いていた。
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第17話は、こちら へ

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