【亡霊殲滅伝奇譚 -ゲシュペンスト-】 第8話
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東雲は寝台の上で目を開けた。彼の隣では手術着で籐椅子に足組み坐るジェイムズ・ケイフォードがいた。甘いグアテマラの香りを燻らせ、静かに佇んでいる。
「おや、お目覚めかい?」
ここは風座見市蔵間町の外れにある寺――光隆寺の裏手。そこにひっそりと建つカフェ&バー――トラオムラントの地下にある治療施設だ。亡霊殲滅の任を負う執行者や共鳴器たち、彼ら専門の医療機関としての役割を担う場所である。そして同時に彼、ジェイムズ・ケイフォードの私的研究所でもある。
「何日眠っていた?」
「四日と七時間三二分、五七秒」と、ジェイムズは腕の時計を見ながら言う。
「そんなに眠っていたのか……」
「そんなにだって? 君は何を言っているんだい? 短すぎるくらいだよ」
「……そうか」
東雲は上体を起こそうと身動ぎする。
「まだ起きないほうがいいと思うよ」
「――くッ!」
彼の全身を強烈な痛みが走り脱力する。特に右下肢は溶鉱炉に突っ込まれたかのような熱を伴った痛みが駆け抜けた。
ジェイムズは呆れたとばかりに頭を掻く。
「右上腕と腹部に計三ヶ所の裂創。特に腹部はひどい有様だよ。腸管損傷と肝臓からの大量出血。出血に伴う複数臓器の機能不全」
黒骸の放った三指の凶爪に貫かれた傷だ。
「極めつけは、右大腿骨の完全消失さ」
それは、影法師による霊装魔弾の代償。
「歴とした重症患者だよ、今の君は。一週間目を醒まさなくても不思議じゃあない状態さ」
第二屍念殲滅であれば、ここまでの傷を負うことはなかった。しかし、死神に進化を果たしていたことが誤算だった。東雲自身、想像以上の深手を負ったという自覚があった。
「右腕と腹部の傷はすべて縫合済みさ。細胞活性化術式も施したから傷はすでに塞がりつつある。臓器不全にしても投薬で快方に向かっている。しかし、如何せん右大腿骨はそうはいかないよ。何せ、そこにあったはずの大腿骨が血管や神経、骨管を含めて丸々消失したんだから」
「その程度、いつものことではないか」
「言ってくれるじゃあないか。大腿部切開から筋繊維を避けて疑似霊子骨格の埋設。下肢神経と人造ニューロンの接合術式。術式時間は実に三六時間を越えたよ。まったく異例の大手術だ。私の腕がなかったら今頃君は右足切断さ」
「……そうだったか。それは、すまなかった」
「ふぅ、まったく。すまないと思う感情があるのなら、霊装魔弾の使用を控えてもらえると助かるのだけどねぇ」
「それはできかねる」
「はは、言うと思ったよ」
「これがなくては、僕は亡霊を狩り殺せない」
「どんなに怪我をしてくれても構わない。脳と脊髄、骨格と臓器さえ残っていれば、私は君を死地へ送り出せる身体に戻してみせよう。けれど――」と、ジェイムズは言葉を切って東雲の銀義手の左腕を見つめる。
「やはりその左腕は問題だよ」
東雲は左腕を握り締める。硬質の金属音が軋みを上げる。
「その左腕に宿る亡霊――組織呼称名、影法師。そいつが作る霊装魔弾はまさに奇跡に迫る芸当だ。だが、それはあまりにも君にとって代償が大き過ぎる」
如何に手練れの執行者であっても、単独ではその身に余る亡霊――死神。その死神さえ殺しきってみせる必殺の霊装魔弾は、使用の度に東雲の肉体から骨を奪い去る。
「全骨格に占める疑似霊子骨格は何パーセントになった?」
「四八パーセントだよ」
外見上、通常の人間に見える東雲だが、その内側は人間から大きく逸脱している。全骨格の半数近くが疑似霊子骨格という霊的補強を施した特殊レジンに置き換わっている。
「本来、今こうして君が君としての正常な精神状態を保っていることが不思議なくらいさ。ユグドラシルの霊子コンピュータ、ラタトスクを用いた予測演算上でも限界ぎりぎりさ」
亡霊に取り憑かれた人間は、篠原ヒデヒコのように主人格の大半を喪失する。それは取り憑いた亡霊の精神によって、宿主の精神が貪食されるためである。しかし、東雲はその身に亡霊を巣喰わせながらも、自身の精神に異常をきたしていない。個としての人格を保持している。これは五十年以上行われた亡霊研究においても、極めて稀なケースである。
「君の亡霊憑きとしての身体と精神が、これ以上持つのかどうか。判断が困難な段階に迫りつつある。しかし、ひとつの区切りは全骨格の半分である五〇パーセントだろう。身体骨格の半分が君でなくなったとき、そこが分水嶺となる」
「ならば、撃てる弾丸は……」
「良くてあと一発ってところだろうねぇ。いや、その一発さえも撃てば、君は君でなくなるかもしれない」
それはつまり、東雲に取り憑く亡霊――影法師がその身体の支配権を得るということに他ならない。
「ふぅむ。推論ばかりを並べていても始まらないか。――影法師、起きているんだろう?」
ジェイムズの呼びかけに応じて、銀義手の上に無数の口と眼球が蠢き始める。
「君の所感をお聞かせ願おうか」
「ひっひひひ。ジェイムズ、私に直接訊ねるなんて珍しいじゃあないか」
「こちらも逼迫しているものでね」
「そうかいそうかい」
「で、君自身、あとどれくらいで東雲の身体を掌握できそうなのかな?」
「ここでワタシが正直に話すとでも思ってるのか? ジェイムズ」
「そこは私たちと君との信頼関係の問題さ」
「ひっひひ。信頼関係ねぇ、そんなもんがあるのかい?」
「あるだろうさ。私も君も東雲も、無駄にその身体を失いたくはないという一点においては共通の目的意識を共有できているつもりだけど?」
「ふぅん」
銀義手はその目を一斉に閉じ、何かを思案するように間をおくと、
「……あと一発」
金属の甲高い声が谺する。
「部位によっては二発。その程度だろうな」と、影法師は吐息を漏らすように述べる。
「それだけの霊装魔弾生成の儀が行われれば、ワタシはこやつの精神を支配できる状態になる」
「おやおや、やけにあっさりと白状したものだ」
その素直な返答は、問うたジェイムズですら予想外のものであり、彼は目を瞠った。
「あまり愚弄するなよ。言うも言わずも変わらぬと判断したまでのこと。この出来損ないの弟子は己の身体なぞ一ミリも重要とは思うておらん。使わざる得ない状況が来れば、躊躇なく霊装魔弾を使うだろうさ」
「まあ、それもそうだな……。けれど、いや、良かった! はっはは」
ジェイムズは一人、快活に笑い始める。
「ジェイムズ、何がおかしい?」
「私の予想通りに事が運んでいると思ってね。準備が無駄にならなくて良かった。今の酷使を続ける限り、東雲の身体がそう長く持たないことは十分に想像できていた。ゆえに代替案を手配しておいたよ」
「!?」
銀義手の表面がざわりとさざめく。
「ほぅ、代替案とな」
「待て、ジェイムズ。代替案だと? ……まさか貴様ッ!」
東雲もその言葉の不穏さに思わず声を荒げる。
「そのまさかだ。君に確認を取らず行動したことは謝るよ。けれど、だからといって君が説得に応ずるとは思えなかったからね」
そして、ジェイムズは東雲がまったく望んでいなかった言葉を口にする。
「君が眠っている間に游逸海博士に連絡を取り、共鳴器をひとり手配してもらった。早ければ今日にも到着する予定さ」
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