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【亡霊殲滅伝奇譚 -ゲシュペンスト-】 第7話

※本作の概要については、こちら をご覧ください。

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 イラン高原南西部。そこには雄大に聳え立つ山脈――ザグロス山脈がある。山脈の北西部には森林と牧草地が広がり豊かな自然林の高原となっている。自然に満ちた土地ながらも、その地形は急峻に入り乱れ、盆地と渓谷が幾重にも折り重なっている。安易に人が定住するにはまったく適さない土地であった。しかし、その地には今もなお根強く生きる者たちがいる。古くからの教えと自然と共存する知恵を持った遊牧の民だ。

 そんな小さな遊牧部族に一人の少女がいた。
 少女は今、たった一人夕刻の陽に照らされながら、小高い丘を息切れ切れに上っている。

「はぁはぁ、はぁ……」

 少女の目指す丘の上。そこではむっくりとした白い塊が動かずにいた。そして、その周囲には黒や灰の色をした鳥の類いが飛び回っている。

〝――早く行かなくちゃ〟

 辿りついた先に横たわるのは動かなくなった一匹の羊。
 少女は、羊の周囲を飛び回る鳥たちを必死に身体を振り回して追い払う。

「ごめんね。ごめんね」

 半泣きになりながら、その場を離れようとしないしつこい鳥たちを追い回す。そうして、鳥たちが諦め飛び去り、そこでようやく少女は羊の様態を確認した。

「……ほんとに、ごめんね」

 放牧中に群れからはぐれた可愛そうな羊。羊は鳥たちによって啄まれ、血を流し、目玉を抉られ、無残に死に果てていた。

〝ちゃんと連れて帰るからね〟

 少女はそりに羊の亡骸を括り付けると、家族の待つテントへと足を向けた。距離にして五キロ。十を数えたばかりの幼き体躯にとって、羊を載せた橇を引いて帰宅するのは重労働だった。しかし、彼女は自らの管理不足によって命を落とした羊に心からの謝罪の気持ちを持って、その仕事を全うしようと決心していた。

 遊牧民にとって羊の一匹は生活の糧そのものである。乳からは豊富な栄養源を得ることができ、それらは冬を越えるためのチーズやバターといった保存食に加工される。肉そのものも貴重なタンパク源だ。さらには、羊毛はシーズンごとに刈り取り、母たちの手によって毛織物となる。毛織物は絨毯キリムに加工されると高値で取引される。絨毯を売って得られた金銭は、遊牧生活に必需となるテントや移動用のラクダ、自分たちの技術では賄えない生活必需品を買う資金となる。遊牧民にとって自身の命の次に大事な存在が、放牧家畜たちである。その貴重な一匹を失ってしまった。その重責たるや少女の心を苛んでやまない。ゆえに、彼女は過酷な重労働も受け入れ、精一杯に橇を引いた。
 橇を引いて一時間以上。

「はぁはぁ、……やっと着いた」

 テントの灯す暖かな光が見えたとき、少女は心の底から安堵した。そして同時に、父と母になんと説明したものかと頭を悩ませた。しかし、最後には正直に事の次第を説明しようと決め、テントの門をくぐった。

「お父さん、お母さん、ただい……、ま」

 血……。

「……え?」

 血……肉……。
 黒い臓器……白い臓器……肉……骨……。
 血……血……血血血血血血。

 テントには惨殺された人間の死体が転がっていた。それは少女の家族たちの亡骸だった。

「お父さん? お母さん?」

 父や母に庇われるようにして、幼い弟や妹の遺体もある。テント内で養っていた生まれて間もない子羊たちは首を一刀両断切り落とされて、打ち捨てられている。
 何処までが誰の遺体で……。いや、何処までが人間の遺体で、何処からが羊の遺体なのか。それさえ判別が困難なまでに切り刻まれた骸の山。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああッ!!」

 慟哭は噎せ返える程の血霧の中で谺する。
 その光景は少女の心に焼き付いて離れない原風景。
 少女の精神に突き刺さり、決して消すことのできぬ永遠の爪痕。

「ああぁぁぁぁぁぁぁあああああっ!!」

 大音声を上げて、少女は眠りから覚醒する。




 ――いつも見る、悪夢。
   ――いつも上げる、叫び。
     ――いつも感じる、身体を覆う嫌悪感と悪寒の連鎖。

 それらは何度経験しても慣れ親しむことのできるものではない。しかし、彼女はその悪夢を当たり前の日常として理解しようと努力していた。それは、その夢が唯一彼女に残された記憶になったから。家族と再会を果たすことのできるたったひとつの方法になったから。ゆえに彼女はその夢を決して嫌悪せず、正面から受け入れることを続けてきた。
 少女はベッドから半身を起こし、自らを強くかき抱いては目を瞑る。

「ダイジョウブダイジョウブダイジョウブだいじょうぶ大丈夫大丈夫……」

 何度も何度も。心が平静を取り戻すまでその言葉を自分に言い聞かせてゆく。心臓の鼓動が徐々に通常へと帰っていく。

「すぅー、はぁー」

 呼吸の乱れは波打つ汀のように緩やかに小さくなる。少女はそっと自分の左肩に手をやる。肩口から鎖骨までを歪に走った傷跡。それを右手の中指でなぞる。

「私はここにいるわ。ここで、ちゃんと生きている……。大丈夫よ」

 この一連の動作が、彼女にとって夢を浄化する儀式であった。
 彼女は目を開け、部屋を見渡す。見慣れた天井。陽光差し込む窓。白いシーツの簡素なベッド。病室だと言われてもそう違いはない部屋。病室との違いを強いて言うならば、作業台に置かれた一山の荷物だろうか。しかしそれも、退院の準備と言えば、そう見えるのかもしれない。
 事実、少女は今日この部屋を去る。二年半過ごしたこの白い部屋を出て、極東のとある街へと出立する。それは彼女が切に願った夢。彼女が彼女であり続けるために望んだ未来。
 コンッと、ノックひとつが部屋に響く。軋み音を上げて開かれた扉の前には、白衣を身に纏った初老の男が立っていた。

「やぁ良い朝じゃのう。素晴らしい一日の始まりだ。Charlotteシャルロット303217、君もそう思うだろう?」

「おはようございます。ドクターヨウ。良い朝だって、そう私も思うわ」

「出発の準備はもう万全かな?」

「ええ。すぐにでも」

 白衣の医師、游逸海イーハイは作業台の上で纏められた荷物を横目に見遣る。

「それはよろしい! ここも寂しくなるのう。君のようなオリジナルの子が出て行くと」

「ドクター、失礼かもですけど、研究員の人々はそのほうが管理がし易くなるのでは? あの子たちのような共鳴器が増えたほうが手がかからなくて良いと思うのだけれど」

「そんなことを言うものじゃあないよ。私はそういう能率的な意味合い以外のことを言っているのだ。君には彼女らにはない感情がある。それは素晴らしいことだ」

「……えっと。その、すみません……ありがとうございます、ドクター」

 養成施設内でも游博士は変わり者だ。感情を押し殺したように職務に励む研究員とは違い、感情をよく表に出す。今もこうして雑談に興じるなんてことは他の研究員では考えられない。

「君がこれから向かうのは日本という極東の島国だ。私も数年暮らしたことがあるが、良いところだ。平和という言葉が実に似つかわしい。もう七〇年以上戦争らしい戦争とは無縁の国だ」

「そうですか……。でも、どうしてそんな平和な島国へ私は送られることに?」

「君にもっとも相応しい場所だと、そう判断されたからだよ」

「もっとも相応しい場所……」

〝私には平和が似つかわしいと、――そう言いたいの?〟

「その国の西方部に風座見(かざみ)という都市がある。その都市で今亡霊ゲシュペンスト騒ぎが頻発している」

 少女は思う。亡霊の発生は、戦地や紛争地域であれば日常茶飯事。特別驚くことではない。けれど、平和な国においてそのような事態が発生しているというのならば、それはそれで異常事態なのかもしれない、と。

「昨日まで下級の現象フェノミンだった亡霊が翌日には第一屍念エアストガイストに変容。第二屍念ツヴァイトガイスト駆除に向かった執行者ヘンカァーは、想定外なことに返り討ちに遭い死亡。第二屍念のコロニーがあると目されていた山里ひとつが一夜にして屍の山と化す。上層部は死神トート以上も視野に入れて動き始めた」

「死神以上の亡霊だなんて! そんな存在が……」

〝死神、それは半ばおとぎ話や神話伝承の世界の敵だ〟

「平和な街が人知れず戦いの最前線になりつつある、そんなふうに言うとわかりやすいだろう。どうかな? 戦いを望んでいた君にとっては、これ以上なく相応しい場所だろう?」

「ええ、その話を聞くと、私に相応しい場所だって思えるわ」

 すべての亡霊を狩り殺す。それがかつて幼き弱かった少女が胸に刻んだ闘争の在り方だ。

「すぐにでも赴いて、この手で亡霊を殺し尽くしてやるわ」

 思わず力の入った拳は、指が真っ白になるまでに力が込められていた。

「ほらほら、そう慌てずとも良い。望まずともその機会はすぐに訪れる。細かいことに関しては道中、情報統合室のほうから提供される資料を見てもらえればわかるだろう。しかし――」と、游博士は言葉を溜めて言う。

「私が伝えたいのは、そうした資料には記載がされない情報についてなんだ」

「記載がされない情報?」

「君は、先に赴任している執行者――東雲ミライ、彼の共鳴器オプファーとして活動することになる。……これは我々だけで秘匿していることだが、彼は〝亡霊憑き〟だ」

「亡霊憑き!?」

「そうだ。東雲が亡霊憑きであることを我々が秘匿しているのは、ひとえに研究材料として有用と見なしているからだ。もしもこの情報がヴァイストールら過激派の耳に入れば、東雲は間違いなく標本にされる」

「そんな……、この私が亡霊憑きなんかと組まされるなんて」

 少女は奥歯を強く噛み締める。少女にとってそれは許し難い事実だった。

「君の信条も理解はしているつもりだ。しかし、だからこそなのだよ。東雲は君と同じ願いを持って生きている。この世すべての亡霊を討ち滅ぼしたいと。彼は文字通り、日夜その身を削って亡霊を狩り殺している」

「けれど、たとえそうであっても! そんなの納得できないわ!」

 人に仇なす存在をその身に宿して、亡霊を狩る。それはあまりに歪な執行者の在り方だ。

「Charlotte303217。これは命令だ。君に選択の権利はない」

「……ッ!」

「少々厳しい言い方をしたね、すまないね。けれど、これは決定事項なのだよ。君の意思で覆るような采配ではない」

「……はい、それは承知しているつもりです」

 彼女は唇を噛み締めて答える。

「君にこの秘匿情報を伝えたのはね、君に彼を見定めてほしいと思ったからなんだ」

「見定める……?」

「そうだ。東雲の生き方を、その戦いを、君の目で見て判断してほしいのだ。執行者として正しいかどうかを」

 共鳴器は執行者に付き従って亡霊を狩る。謂わばそれは、師弟の関係と言っても良い。けれど、游博士はその師弟関係の構築と同時に監視役としても立ち回れと言っているのだ。
 執行者の在り方を見定める共鳴器。その関係性は、異常と言わざるを得ない。

「……ドクター、もし仮にその執行者の在り方が正しくないときは」

 游博士は静かに頷く。

「みなまで言わずとも良い。そのときは君の判断に委ねるよ。――さぁ迎えが来たようだ」

 窓ガラスを震わす回転翼の響き。ヘリコプターが屋上のポートに到着していた。

「……ドクター游」

「ん?」

「今まで、ありがとうございました」

「ああ、こちらこそありがとう。君の健闘を祈っているよ。存分に戦いたまえ」

「はい! 私のような子を作らないため、平和な世界のために戦ってくるわ!」

 少女は荷物を背に部屋を出る。不安と、それ以上の決意を胸に抱いて――

          * * *

 白衣の医師は飛び立ったヘリコプターを目だけで追いかけながら、小さく呟く。

「……一○二八人目、か」

 それは游がこの研究養成施設から送り出した共鳴器の数だった。

「主は、わたしのこの行いを咎めるだろうか」

 そして、今飛び立った少女を除いた一○二七人の共鳴器は施設には戻ってきていない。

「この世がこのような形をしていなければ、もしかしたら……」

 言いかけて、游は言葉を切った。

〝それは単なる仮定の話でしかない。どんなに夢想しても手に入らぬ答え――〟

「あの男を助けてやってくれ」

 それは、幼き少女に託すにはあまりに酷な願いだった。
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