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【亡霊殲滅伝奇譚 -ゲシュペンスト-】 第20話

※本作の概要については、こちら をご覧ください。

第19話は、こちら へ

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 死神トート――。それは、お伽噺や神話伝承にて語られる人知の先にある超常の存在。人のかたちを装った者もあれば、獣の容を晒した者もある。時代と土地によっては、それは鬼や竜神、妖狐、ぬえ、果ては悪魔や吸血鬼ヴァンパイアとも呼び習わされた過去を持つ怪物たちである。

 神話伝承によっては人に仇なす者もあれば、人に益をもたらす者もあったとされるが、その正体は第二ツヴァイト屍念ガイストが大量の命を犠牲に霊髄摂取を重ねた末に進化した姿である。死神トートは摂取した霊髄を肉体として纏うことでアストラル体を強固に組成している。

 古く日本においては陰陽師や祈祷師が、海外においては悪魔払いエクソシストや吸血鬼ハンターが命を賭して、そうした〝異形〟の存在と対峙してきた。しかし、その正体が霊子生命体――亡霊ゲシュペンストであると判明してからの以降五十年以上は、異形退治の専門家を組織に取り込み強大化した亡霊討伐組織――ユグドラシルが最前線で死闘を繰り広げてきた。そんな亡霊退治の熟練者エキスパートが揃うユグドラシルにおいてさえ高い脅威度を誇るのが死神である。その脅威度は、殲滅において片手で数えられぬ戦死者ありきと判断される程である。

「妖怪変化の類いにまで進化を果たした彼奴あやつには、半霊弾のような俄仕立の対霊装備なんか良くて足止めにしかなりゃあしない。当然、嬢ちゃんの骨の刃も彼奴の前ではなまくらも同然よ」

「でも、此処で引くわけにはいかないわ!」

「んにゃ、嬢ちゃんにゃ、ちと荷が勝ちすぎている」

「じゃあ、あんな怪物どうやって……」

「この死に損ないの馬鹿弟子がどうして異端の狩手なんて呼ばれるか知っているか? なぜ英雄などと揶揄されるか」

「…………」ニーナは息を呑む。

「倒すんだよ、こいつは。ワタシを使役することで死神トートすら屠り殺す力を持っているのさ。けれど、その力にも限界が近づきつつある。だから、これまでは――」

「――影法師フェイカー

 東雲が銀義手の言葉を遮る。

「それ以上はいらぬ」

 代わりにと言わんばかりに、左腕の口腔に空の薬莢を飲み込ませる。

「ほぅ、お前さん、ワタシを使うってのかい? その限界の身体で?」

「死神以上の存在には霊装魔弾を使うより他に選択肢はない」

「ひっひひ、ワタシの弟子は精神の自滅を望むか! なんと愚かしく悲しいことかねぇ」

「ニーナ、奴の攻撃は躱そうと思うな。最小限度の太刀筋で打ち流せ。奴の方がお前よりも数枚上手。お前の刃でどうこうなる相手ではない。――来るぞ!!」

「くっくく、我らが凶爪の慰みものとしてやろうぞ」

 凶鳥フリューゲルはガントリークレーンから空中に身を躍らせた。地面激突直前のところで打ち広げられた両翼は大気を震わせると同時、凶鳥の軌道を直角に捻子曲げる。打ち据えられた大気が風柱となって巻き起こる。そして、真っ直ぐに東雲とニーナの元へと飛翔する。

「キエェェェッ!!」

 鳥類じみた嘶きとともに地上すれすれを疾駆し迫る鋭い鉤爪。

「――ッく!」

 ガキンッ!

 その凶爪を、両手に構えた霊銃で受け止め流す東雲。右手に握られていたのは、ニーナも見慣れたレッドホーク.454カスール霊装カスタム。炸裂葬炎カスール弾という人外を屠る弾丸を放つ対霊装備である。

「……フンッ!!」

「ギェエッ!」

 そして、返す刀として輝線の弧を描いたのは左手に握られた異相の魔具。それは、トーラス社が開発した大型リボルバー銃レイジングブルを原型に持つ、漆黒の銃剣だった。

 銃剣――たしかにそれはそう呼ぶべき得物なのだろう。しかし、無骨極まりない大型リボルバー銃と、の目乱れの刃文を泳がす流麗なる短刀とが一体となったその姿は実に不釣り合い極まりない代物だった。ただでさえ長いロングバレルの下端に封印のごとく注連縄が巡らされ、護符が幾重にも重ねられている。魔術を秘伝とする名門名家において子々孫々まで守り抜かれる呪物さえ想起させるそれは、まさしく魔性の銃剣。
 その名は――亡霊撃滅用拳銃レイジングブル・有為剣ういけん
 これこそが幾多の亡霊戦において、東雲を支えた最強の一刀一銃である。
 放たれる弾丸も、燦めく斬影も。悉くが亡霊を討ち滅ぼすためにある。その威力は死神以上の亡霊にも致命傷を与えることのできる力を持つ。謂わば、それは絶対の殲滅器だ。

〝あの銃剣、あれはやっぱりあの時の物で間違いない。決して見間違うことはない。あれは――〟

 東雲の放った斬撃を間一髪身を翻して躱した凶鳥は、急上昇に転じてそのままの勢いでコンテナ倉庫の死角へと身を投じた。そして、加速に加速を重ねて闇の狭間を大気の壁をも打ち砕かん速さで飛翔しはじめる。左の死角に消えたと思えば、それはまったく予想外の闇から姿を現す。その高速移動は、もはや視認できる限界を超えつつあった。

「くっくく、我らが姿、見えぬであろう!」

 ニーナは、声とともに発せられた獰猛な殺気に背後を振り返ると、凶鳥の体躯は既に眼前にまで迫っていた。

「――ッ!!」

 背後から飛び荒ぶ鉤爪をすんでの所で骨刃で打ち流すニーナ。衝撃が過ぎ去った後に敵の姿はなく、既に闇に姿を眩ませている。凶鳥は、東雲の手に反撃カウンターの一手があると見るや、その攻撃スタイルを一撃離脱ヒットアンドアウェイに切り替えていた。

「このまま、切り刻んでやろうぞ!」

 闇から闇に飛び襲い来る凶鳥の魔爪。それは打ち躱すので精一杯の猛攻であった。
 凶鳥の猛攻と十重二十重と刃を交え、静謐なる倉庫街には剣戟けんげきの嵐が繰り広げられていた。それは全くの互角の戦いに見えた。

〝このままでは、まずい……〟

 しかし、現状は確実に東雲側の消耗戦になっていた。今の防戦一方の戦いが長く続くとは考えにくい。どちらかが打って出るより膠着状態の打開はない。

「ニーナ、霊髄共鳴エリキシルレゾナンツで敵の位置が探れるか?」
「やってみるわ!」

 彼女は精神を研ぎ澄ます。そして、周囲に霊髄共鳴を放った。大規模に放たれた霊髄共鳴の波動がドーム状に辺りを包み込む。目視で敵の姿を把握できぬならば、霊髄による探知で敵の居場所を探ろうと試みたのだ。

「な、何よ、これ……」

 けれど、その結果を受けてニーナは愕然と打ちひしがれた。

「あいつの羽ばたきは霊髄の波動まで歪めるっていうの?」

 闇から闇へと飛び回る凶鳥は耳を劈くような風切り音を発している。それは当初、音速の壁に迫る程に倍加した速度によって副次的に付与される残響音ソニックブームとしか考えていなかった。しかし、凶鳥の翼は大気を打つという物理現象に留まらず、霊界にまで影響を及ぼしていた。空気中の霊力が乱され、霊髄共鳴の反響すらも攪乱している。霊力を用いた正確な敵の位置の索敵すらも困難な状態に陥っていた。

「さて、お前さん、どうする? 敵の捕捉すらままならぬとあっては霊装魔弾の生成は不可能。霊痕看破オディンズオーゲもこれでは使えぬではないか」

「せめて奴の動きさえ追えればいいのだが……」

 間断なく襲い来る爪の連撃と相打ちながら、東雲は忸怩たる思いで歯を食いしばる。

「だいぶ、キツくなってきたようだな、執行者。しかし、よもや我らの力がこの程度とは思うてはおらぬよな?」

「――ッな!? ニーナ! その場を離れろ!」

 彼の予感は的中した。四方八方から打ち放たれたのは、庫内で見た例の鋼の羽である。

「くッ!」

 その鋼鉄のごとく硬質化した一枚の鋼の羽が、回避姿勢だったニーナの左腕を擦過する。たったそれだけで傷からは鮮血が散った。

「くっくくく、さて、何処まで逃げ回れるか見物といこうか」

 凶鳥フリューゲル一撃離脱ヒットアンドアウェイ近距離攻撃インファイトに加え、遠距離アウトレンジ攻撃までも組み合わせ、二人を追い詰める。

「……ッ!」

 飛び舞う鋼の羽の一枚が東雲右腕に突き刺さる。高熱を伴ったそれは素手で触ることは不可能であった。彼は銀義手の左腕でその突き刺さった羽を引き抜いた。ニーナも身体を擦過する鋼の刃をなんとか骨刃で払い落としてやり過ごす。

〝完璧に避けきることは不可能か……〟

 予想外の角度から舞い散る鋼の羽は東雲とニーナに無数の擦過傷を負わせた。

 アスファルトの地面に鋭く刺さった鋼の羽は、それがさも当たり前かのように燦然と屹立している。その様は林檎に突き刺さるフォークのような有様である。すべては凶鳥が霊髄によって強化されたがゆえに可能となっている所業である。次々と放たれた鋼の羽は、地に突き立つと蜘蛛の巣状に這わせた赤黒い筋をどくどくと脈動させている。

 鋼の羽を回避し、身を翻して凶爪の迎撃……。そんな防戦一方の戦闘を繰り返す中で地に突き刺さった鋼の羽の数は今や三百を優に超えていた。このとき、執行者としての直感が囁いた。

〝凶爪と鋼の羽の同時攻撃……、遠距離攻撃である鋼の羽の乱舞は、なぜ擦過傷や刺し傷止まりにしかならない? なぜ致命打足り得ない?〟

 彼は周囲の様子を見遣る。アスファルトは当然のことながら、居並ぶコンテナやガントリークレーンにも数えきれぬ数の赤い鋼の羽が突き刺さっている。上空から見下ろすその光景は、さながら噴火寸前の火口が無数にも広がっている様と言えた。

〝この鋼の羽……、何かあるか?〟

 東雲とニーナを追って矢鱈滅多に放たれたと覚しき鋼の羽は、しかし今や両者を取り囲むまでに巨大なサークルと化している。完全に包囲された状態だ。
 そこで東雲は思い出す。最初に鋼の羽を放たれたときのことを……。

〝あのとき、強烈な爆裂音とともに地面は爆撃でも受けたかのように吹き飛ばされていた。そして、腕に突き刺さった羽は素手で握れぬ程の高熱だった。これはつまり……!!〟

 現状、アスファルトに突き刺さった鋼の羽は切れ味の良いナイフのごとく突き立っているだけである。周囲の地面に異常は生じていない。

「ニーナ!! 罠だ! その羽から離れろ!」

「もう遅い、人間!!」

「爆発するぞ!」

 凶鳥の嘲りと東雲の叫びはほぼ同時だった。ばらまかれていた鋼の羽が空気を送り込まれた熾火のように急激に燃焼を開始する。そして――

 ズダダダダダダダダダダダダダンッ!

 爆竹のように連鎖反応を起こして鋼の羽が爆発した。突き刺さった羽を爆心地として、悉くが直径五メートル程の距離で抉られていく。コンテナやガントリークレーンに突き刺さっていた鋼の羽も次々に爆破される。その破壊力足るやコンテナは用途不明なまでの鉄屑にまで破損、クレーンは支柱を失って轟音を発しながら傾きはじめる。
 爆破によって倉庫街は土埃が舞い上がり、一メートル先も見えぬ粉塵に巻かれた。

「くっくく、口ほどにもない奴らめ」

 煙の舞う爆破された土地を優雅に見下ろす凶鳥。
 この塵埃が晴れたとき、そこには醜く焼け爛れた亡骸が転がるのみ……、その筈だった。

「さて、それはどうかしらね」

「なんだと?」

 その声に凶鳥は頭上を振り仰いだ。上空二○メートル。凶鳥はその地点にて眼下を睥睨していた。にも拘わらず、頭上から声が聞こえたのだ。
 空を戦場とする凶鳥にとってより優位の〝上〟を取られる行為は何よりの屈辱である。

「お前らは、なおも我らを愚弄するか!」

 凶鳥の頭上にいたのは月光に艶光りする二匹の鷲獅子グリフォンだった。強靱なる鋼鉄の琴線が織り込まれ鳥と獅子を象った無機物。二メートルに至ろうかという無機物の塊が、野鳥のような羽ばたきで空中に停滞していたのだ。これは、糸縛しばく操術そうじゅつの成せる飛空の絶技である。
 二匹の鷲獅子の背にはそれぞれミクリヤとヤヨイの姿があった。二人はともに両腕を手綱のように手繰って鷲獅子をコントロールしている。ミクリヤの鷲獅子はその足に東雲を、ヤヨイの鷲獅子はニーナを捕縛し、爆破の窮地から二人を救い出していた。

「間一髪ってところね」

「助かった」

「あれだけ大きな霊髄共鳴の反応を検知できたから良かったけど、そうじゃあなかったら間に合ってなかったわよ?」ミクリヤが呆れ顔で東雲を叱咤する。

「すまない」

「ニーナもダイジョウブ?」ヤヨイが鷲獅子の鉤爪に引っかかるニーナに問うた。

「ええ、なんとか……」

 難を逃れた面々を見上げて凶鳥はその瞳に紅く激昂の色を灯す。

「援軍か、小賢しい。我らが制空で飛び回るとはその愚かさを知れ!」

 憤怒に狩られた凶鳥がヤヨイとニーナの鷲獅子に向かって音速で迫った。嘶きとともに凶鳥が二人を襲う。

「ニーナ!」

「ヤヨイ!」

「大丈夫よ! 骨刃瓔珞こつばようらく――the blade of my bone, imperialis我が身は祝福を賜りし骨の刃

 ニーナは身を翻して鷲獅子の背に立つと、両腕を十字に構えて一メートルはあろうかという骨の刃を二対展開させた。

「やれるものならやってみろ!」

「ダメだ! ニーナ。真正面から切り結んでも太刀打ちできる相手ではないぞ!」

 凶鳥の鉤爪とニーナの骨刃が交差する。周囲に空気を揺るがす衝突音が谺する。

「ふん、ガキが小賢しい手段でよく耐えたものよ。これだから人間兵器は侮れん」

 ニーナは展開した骨刃を大太刀鋏のように使って、間一髪のところで凶鳥の鉤爪を撃ち流した。しかし、凶鳥の圧倒的なまでの破壊力は凄まじく、刃は完全に砕かれていた。

「けれど、二度目はないぞ」続いて追撃の凶爪が襲い来る。

「それはこっちの台詞よ!」

「何ッ!?」

 グゥンと、凶鳥の耳元で聞き慣れぬ風切り音が急速に迫っていた。

「がッ!」

 ニーナの刃は凶鳥に完全に砕かれ消えていたのではなかった。大振りに振るわれたそれは彼女の腕を離れ宙空を舞い、さながらブーメランのように後方から凶鳥を襲った。

「ヤヨイ、お願い! 縛り上げて」

「お安いご用」

 鷲獅子の下半身が瞬時にして解きほぐされ、琴線が蜘蛛の糸のように散らばる。それが凶鳥に纏わり付く。

「動けなくなったお前を切り刻むなんて容易いわ!」

 猫のような身のこなしで虚空に身を投じたニーナは、全身に骨刃を展開させて独楽のように捩り旋転させた。回転翼の刃を思わせる一撃が凶鳥に降り注ぐ。幾枚もの鋼の羽が凶鳥から剥ぎ取られ、空に舞い散る。

「お前らはそうまでして我らを狩るか。そうまでして嬲りものにするか。その行動、その在り方。その全てが我らが人間を喰らうのと同じ。立場が異なるだけでしかない!」

 しかし、凶鳥の声音に焦りの色はなかった。

「お前らの語る人間の平和など身勝手な一側面でしかないのだ」

「!?」

「このような縛り、大翼を封じるには軽いわ!」

 凶鳥は身を高速回転させて一瞬にして全身に纏わり付いた琴線を断ち切る。そして、同時に宙に散らばった鋼の羽を燃焼、爆発させる。

「きゃぁ!」

 爆炎から飛翔し現れたのは凶鳥だった。その鉤爪にはニーナとヤヨイが囚われている。

「地に墜ちて身の程を知れぇえ!」

 三者は錐揉みしながら垂直に地面に向かい、激突の寸前で凶鳥は獲物を爪から引き剥がした。砂塵をまき散らして地に打ち付けられるニーナとヤヨイ。その衝撃波だけで轟音を鳴らしてコンテナの山が一山崩れ去った。

「大丈夫か!」と、東雲の声が飛ぶ。

「これくらい……、平気よ。……ぐッ!」

 接地間際で展開された骨の壁。それによって二人は致命傷は避けていた。塵の煙幕が収まったコンテナの残骸から姿を見せた二人は流血こそしているが、意識は保っている。

「まだ足掻くか、ガキどもが。そのような自然ならざる異能など許さぬ! 我らは神に選ばれた存在。一方でお前らの異能は人の身に余る愚行! 認められるべきではないのだ!」

「何をごちゃごちゃと、よくもヤヨイをやってくれたわね!」

「我らの方が正しき、正統なる在り方なのだ!」

 地に墜ちたヤヨイの姿を視認したミクリヤが怒りの炎を双眸に燃やして凶鳥を睨み付ける。そして、鷲獅子の手綱を凶鳥に向けた。

「これでもくらって大人しくしなさいッ!!」

 彼女はSIG SG552の銃把を強く握り閉めると、銃床を肩にあてがって銃爪を引いた。霊力による強化がなされた5.56mm弾の三〇発連射は第二屍念を粉砕する力を持つ異能の対霊装備である。そんな銃弾の嵐を、しかし、凶鳥は嘲笑うかのように俊速に駈ける。

「ふん、小賢しい豆鉄砲よ。本気でそのようなもので我らを狩れるとでも思うておるのか」

「言ってくれる!」と、それでもなお彼女はストックを交換して銃弾の嵐を撒き散らす。

「待つんだ、ミクリヤ。激情に駆られて動いてどうにかできる相手ではない」

「でも!」

「敵は死神にまで進化している。霊装魔弾を使う」

「いいの? あれを使えばあなた身体が……」

「やるより他ない」

 ミクリヤは地に墜ちた二人の共鳴器を見遣る。

「わかったわ」と、決意を固めた瞳でミクリヤが東雲を見つめる。

「どうしたらいい?」

「敵の動きが速くて捉えられない。時間を稼いでもらえるか?」

「まったく簡単に言ってくれるわね」

 鷲獅子は積み上げられたコンテナの頂上に東雲を下ろすと、ミクリヤは凶鳥が渦巻き飛ぶ円の中央にて鷲獅子を停止させた。

「かかってくるのなら、何処からでもどうぞ。化け鳥さん」

「挑発のつもりか? くっくく、まあよい。膾に刻んでやろうぞ!」

 途端、大気と凶鳥との間で生じている摩擦音に異音が混じった。言うならばそれは、掘削機械を想像させるような定常波の唸りだった。

〝何か……来る!?〟

 ミクリヤがそう思った矢先だった。左背後から迫ったのは凶鳥の鉤爪だった。しかし、その三本の鋭い爪を備えた触手へと転じていた。軟鞭のようにうねり撓っては、縦横無尽に空気を鑢のごとく削り取る。ミクリヤはその乱雨のような猛攻を身を捻って躱すが、間に合わず鷲獅子の下半身と、彼女の左足を膝下からもぎ取られる。

「……フッ」

 しかし、ミクリヤは片足を失ったにも拘わらず、とりもなおさずな笑みを零していた。そして、起こった現象の不可解さに瞠目するのは脚をもぎ取った凶鳥の方である。

「貴様、それでも人間か?」

「ええ、人間よ。足はもう何本失ったか覚えてないわね」

 糸縛操術。それは古くは傀儡を操る武闘魔術家の術理である。本来は琴線を手繰ることで人型や獣型の人形を操り、一心で二つの身体を操る傀儡武術マリオネット・アーツだったが、ミクリヤはそれをこともあろうに自らの身体に埋め込んだ。東雲のように疑似霊子骨格を身体の至るところに埋設し、幾重にも琴線を張り巡らすことで操ることとしたのだ。そうして自らを人形の一部に作り変えた彼女にとって、手足は換えの利く代替部品でしかない。

 右腕一本と頭部、臓器。たったそれだけがミクリヤの人間としての身体の全てである。逆に言えば、それだけさえ残っていれば、いくらでも蘇る人間兵器が彼女の正体だった。

「これだから人間は度し難い!」

「褒め言葉だと受け取っておくわ。今度は私の番よ!」

 突如、ミクリヤの刈り取られた足の切断面から線虫のごとき琴線が蠢き凶鳥に伸びる。

「ヤヨイの琴線とは訳が違うわよ。そう簡単に断ち切れるとは思わないことね」

「んなッ!?」

 伸び絡まった琴線は締め上げるかのように凶鳥の身体を這いずり回る。

「さらに追加よ!」

 ミクリヤは鷲獅子を形作っていた琴線を緩めると、凶鳥に驟雨のごとく降らした。それら全ての琴線が凶鳥の身体に取り憑き巻き付く。ここまで徹底して糸に絡め取られた凶鳥は自由を奪われ、揚力を得られず、地に墜ちてゆく。

「おのれ、人間め。その在り方を棚上げにして我らを狩るとは、なんと業深きことか!」

「東雲、今よ!」

「十分だ。――霊痕看破オディンズオーゲ!!」

 東雲の片眼鏡の罅割れが霊力を帯びて発光し、凶鳥を捉える。
 凶鳥は自身の全身が冷ややかに見通される感覚を覚えた。悪寒にも似た感覚だった。

「お前さん、見えたかい? 敵の患部は」と、銀義手の影法師が問う。

「ああ、しかと見届けた。右翼腕。人ならば右上腕骨だ」

「良し来た。まだお前さん自身の部位だ」

 東雲の片眼鏡と義眼が持つ未来視に次いで備えた機能――霊痕看破。それは、亡霊の骨格とも言えるアストラル体の綻びを看破する力である。特に死神以上の亡霊にとってアストラル体の綻びは致命的な弱点部位である。

「――霊縛解錠ルーズ・グレイプニル

 そして、その弱点部位を穿った傷に執行者の精神を流入させることによって、擬似的な精神闘争を引き起こす。これは一種のアナフィラキシーショックのようなものであり、亡霊の精神は、流入してきた異物としての精神を排除しようと抵抗する際、自分自身の精神をも攻撃、破壊してしまう。その崩壊は全身に伝播し、果ては消滅へと向かう。より強力な精神闘争を引き起こさせるためには、標的の弱点部位と同一の部位を原材料とした魔弾が最も効果的である。ゆえに東雲は死神を屠る際、敵の弱点部位と同一部位の骨を削って撃滅を続けてきた。

「喰い尽くせ! ――影法師」

 静脈。動脈。リンパ管。筋繊維。神経束。骨管。東雲の体内にあるありとあらゆる管が水路のように仄昏く光り浮かび上がる。銀義手はその形を失い、水銀状の液体と化して、その光の水路に潜り込む。彼の体内を影法師が駆け巡る。

「……ッく」

 強靱なる肉体と精神を持つ東雲でさえ、身体を異物が這いずり回る激痛には声を漏らしてしまう。影法師は右上腕骨に潜り込むと、そこに存在する霊髄を根刮ぎ食い荒らした。

「……がぁああぁあ」

「上腕骨霊髄一一ミリリットル。圧縮率九七パーセント。仮想次元構築精度八九パーセント。霊装魔弾排出」

 銀義手の口腔から宙に放られた弾丸を、彼は解放した漆黒の銃剣の弾倉に装填する。

「これで終わりだ。――循環素子帯霊ハイリゲン疑似弾道構築オービト・ツァイヒネン

「ならぬ、あってはならぬ。ここで我らが倒されるなどあってはならぬのだ!」

 地に落下する直前、凶鳥は絶叫とともに大翼を肥大化、全身の鋼の羽を爆破させて身体に纏い付く縛りを解きにかかった。

「認めよ人間! お前らは我らと同じ種よ!」

 地面への直撃直前で凶鳥はその大翼を広げ、再び自由を獲得する。

「お前さん、このままだと間に合わないぞ」影法師がそう叫んだ瞬間だった。

「ごちゃごちゃうるさい、亡霊!!」

 大翼を広げた凶鳥にニーナが骨刃を展開して馳せ駈ける。

「まだ絡むか、共鳴器のガキが。お前も自身の在り方を正しく見つめ直したらどうだ?」

「私は、ただ亡霊を狩り殺す! 平和な世界のために無用の存在を消し去る!」

 ニーナの腕から展開された刃の群れが凶鳥をその場に押し留める。

「離せ!! 共鳴器」

「絶対に離さない!! お前を殺すまでは!」

疑似斬影構築クリンゲ・ツァイヒネン!!」

 三重の詠唱を唱え終えた東雲の全身は、蒼く仄光りする姿へと変える。
 その姿はまさに炎渦巻く地獄に降り立った復讐の幽鬼――

「――霊装魔弾、青海波せいがいは

 十重二十重と短刀の輝線が波紋のように凶鳥を捉える。それは決して逃れ得ぬ魔性の太刀筋。そして、その波紋を追うように数多に分裂した弾丸が波間を押し上げ疾駆する。

「んなッ!?」

 輝線の一筋が凶鳥の頭部を刎ね、銃弾がそれを肉片へと帰す。輝線の一筋が凶鳥の胸部を裂き、銃弾が肺を削り取る。輝線の一筋が凶鳥の鉤爪を千切り、銃弾が凶爪を砕き折る。輝線の一筋が凶鳥の大翼を切り捨て、銃弾がその骨格を完全に破壊する。

「ギェエェエエエエッ!!」

 絶叫を上げて、地に落ちるより早く凶鳥はその身を蒼き炎に窶して燃え散る。

「やった、……わね」

 息も絶え絶えにニーナが東雲に語りかける。

「ああ」

 二人は安堵の面持ちでその場に倒れ臥す。

「私たち、死神を倒したわ。あの死神を……」

「ああ、よくやった」

 全員、重傷の多大な損害だったが、なんとか一命を取り留めていた。
 死神との戦闘を経たにしては上首尾な結末である。

「東雲。私、もっと強くなりたい。もっと強くなってあなたの力になりたい」

「……そうか。ならば、生きろ。生き続けるのだ」

 目尻に涙を溜めるニーナに、東雲はただ黙然と肯く。

「キィエエエエエエエエ!!」

 そのときだった。彼らの背後から凶鳥の絶叫が轟いたのは。
 東雲が振り返った先、そこには大翼を広げ、鉤爪で襲い来る凶鳥が眼前に迫っていた。

「我らが大翼は二対にして一!!」

「――なッ!?」

〝もう一匹いただとッ!? この距離では間に合わない……!!〟

 異常な旋回速度や立て続けの波状攻撃。それらは音速を凌ぐ速さで駈ける凶鳥の強靱な大翼も理由のひとつではあったのだろう。だが、それはそもそも〝凶鳥が二匹存在していた〟と仮定するならば、説明のつく猛攻だったのだ。

 最後の最後で、東雲は死神との戦闘を見誤っていた。

「がはッ!!」

 ――べちゃべちゃべちゃ。

 固いアスファルトの路面に、生温かい血潮が濁流のごとく流れ落ちる。
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