見出し画像

蠱惑の水彩画(『編集者・石川知実の静かな生活』)

 最近、水彩画を始めた。
 そのきっかけは昨年12月に、水彩画のワークショップに参加したことだった。そのワークショップはアーティストの宗像カヲルさんが主催したもので、あたしは水彩画の素養がまったくないままに飛び込んだのだった。

 実は宗像カヲルさんは、あたしが以前より注目していた方だった。今の出版社に入って最初に配属されたのはエンタメ系の雑誌だったのだが、その時にある国民的アイドルグループの新人メンバーとして彼女が加入し、あたしは彼女のインタビュー記事を担当することとなっていた。
 準備を進め、いよいよインタビューの日が来るという矢先に、青天の霹靂のように彼女はグループを脱退してしまった。健康上の理由とのことだったので、いかんともしがたかったが、結局彼女はわずか半年ほどの在籍で芸能界から卒業してしまったのだった。
 ところがその後、健康を取り戻した彼女が次に見つけた舞台はアートの世界だった。あたしは彼女のブログをずっとフォローしていたので、そうした彼女の活動もほぼリアルタイムで知ることが出来た。彼女が最初に手がけたのは鉛筆画であったが、その後、水彩画、アクリル画、スプレーアートと様々なジャンルにレパートリーを広げていき、そのいずれも素晴らしいものだった。銀座で開催された個展にも何度か足を運んだが、残念ながらこれまで在廊中の彼女に会ってお話をする機会には恵まれなかった。
 
 くだんの水彩画ワークショップも彼女のSNSで知った。彼女がこうしたワークショップを開催するのは初めてのことで、その情報を見つけたあたしは急いで申し込みをした。午前、午後のそれぞれ二時間半のワークショップの定員は、各回20名であったが、あたしは幸いにも予約を取ることが出来た。
 もっともあたしは水彩画はおろか絵の素養はまったくない。母親が美大で油絵をやっていたのが不思議なくらい、あたしには絵の才能は遺伝しなかったようである。申し込んだ主な理由は、カヲルさんにリアルに会えるという、かなり不純な動機によるものであったことは告白しなければならない。
 さてワークショップ当日、会場は都内のビルの会議室であった。受講生20名の机にはそれぞれ、サクラクレパスの水彩絵具セットと筆とパレット、さらに筆を洗うバケツが用意されていた。文字通り手ぶらで来ても参加出来るように、準備がなされていた。
 開始時間となり、講師のカヲルさん本人が登場された。テレビやグラビアで見た通りの、端正なルックスについうっとり見とれてしまったが、不思議なことに芸能人っぽい雰囲気をあまり感じさせない方だった。むしろ、あたしが今の雑誌の取材で出会うような、作家さんっぽい雰囲気の方だなぁ……というのが第一印象であった。
 他の参加者を見渡しても、アイドル時代のファンのような人が多いのかな……と勝手に想像していたのだが、実際には性別も年齢も幅広く、カヲルさんがアーティストになってからファンになった人の方がこの中では多いのかな……とさえ思った。
 カヲルさんが最初にあいさつのスピーチをした後、受講生にはそれぞれ、A4の画用紙と、手本の絵のプリントが配られた。画用紙にはすでに線画が描かれており、このワークショップの課題はそれに水彩絵具で着色して仕上げることである。課題は花の絵で、そこにカヲルさんの描いたキャラクターがくっついていた。
 カヲルさんから最初のレクチャーがあった。
「まずは花弁の部分の下塗りをしてしまいましょう。最初は薄めの色で、筆にたっぷり水を含ませて、広い範囲を塗ることが大切です」
 そうして、パレットの上に絵具を出すように言われた。三色ほどの絵具をチューブから絞り出して、赤を中心にそれらを混ぜ合わせた。そしてたっぷり水を含ませた筆に絵具を含ませ、花弁の部分に広く、薄く、塗っていった。
「たっぷりの水で下塗りを済ませておくと、次に濃いめの色を重ねる時に、きれいに色が乗ります。あと、最初に広い範囲に色がついていた方が、描いている精神衛生上も良いです。完成形をイメージしやすくなりますからね」
 そう言って彼女は微笑んだ。その表情は、理知的であるとともに可愛らしくもあり、あたしは内心、眼福を味わっていた。
 下塗りで薄い赤を広めに塗った後、あたしは花弁の影の部分に着色するために、パレットの上の同じ絵具を少し水分を絞った筆に含ませ、画用紙の上に色を置いた。すると先ほど薄く塗った上に馴染むように絵具が広がっていった。
「重ねた色の境界を、絵具を付けていない筆で優しく撫でてあげると、グラデーションをつけることが出来ます」
と言われたので、筆をバケツでいったん洗い、その後先ほど色を重ねたところの境目のところを筆で撫でると、乾きかけていた画用紙の上の絵具が水に溶け出し、絵具の粒子が移動していくのが分かった。筆で外側から内側に撫でていくと、外側から内側にかけて絵具の粒子が動いて行き、グラデーションがついた。
 思えば、今使っているサクラクレパスの水彩絵具は、小学校や中学校の美術の授業で使っていたものと同じもののはずだ。しかしその時は、下塗りやグラデーションのことは教えてもらった記憶がない。今あらためて水彩絵具の使い方を教えてもらい、これほど面白い絵具だったのを知らなかったのは、何ともったいないことかと思った。
 いつしか受講生はそれぞれ黙々と自分の作品に集中していた。そんな中をカヲルさんは順に見て回り、一人ひとりに声をかけてアドバイスをしたり質問に答えたりした。
 あたしのところにも回ってきたので、緊張しながらも質問してみた。
「描いていると画用紙がふやけて波打ってくるんですけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。ただ、きちんと平らにして描きたい場合は、パネルに水張りします。でも私の場合は、木の板に画用紙をテープで貼り付けて描くことが多いですよ」
 彼女の声を聞きながら、あたしはつい、初恋の時のようにドキドキしてしまった。
 二時間半のワークショップはあっという間に終わり、あたしは無事に作品を仕上げることが出来た。出来はともかく、一枚の絵を完成させることが出来たので、あたしは大きな満足感と自信を得ることが出来た。

 ワークショップの後、あたしは自分で水彩画を続けたいと思うようになった。後日、さっそく書店で水彩画の教科書を二冊買い、さらに新宿の画材店、世界堂で水彩絵具、筆、パレット、バケツと画用紙を購入した。
 問題は、あたしにデッサン力が皆無だったことだ。雑誌のレイアウトを検討する時、編集者がイメージのスケッチを描くことがあるが、あたしが描くといつも笑いの種になる。「バカ画伯」とか言われるほどだ。そこで写真を元に下絵を作り、そこに水彩絵具で着色していくことを考えた。
 下絵の素材となる写真をAdobeのPhotoshopで補正し、輪郭だけを抽出した線画風のデータを作成した。しかしこれを通常のインクジェットプリンターで印刷すると、水彩絵具を乗せた時に、線が溶けて消えてしまった。そのため水に溶けない顔料インクを用いた、EPSONのプリンターを用いて画用紙に線画をプリントアウトすると、筆で水を乗せても溶けず、良い具合に色を付けていくことが出来た。
 何枚か絵を描いていくうちに、透明水彩絵具の特性も少しずつ理解するとともに、興味もますます湧いてきた。

 まず透明水彩画を描く時に最も重要なことは、薄い色から濃い色を重ねていくことである。アクリル画や油絵だとハイライトを後から入れることが可能であるが、透明水彩画はそれが出来ない。また色を重ねた時、下の色は必ず上の色に影響を与える。そのため描き始める前に、最終的な仕上がりをイメージし、そこから逆算するように色を付けていかないといけない。これがなかなか難しい。
 また透明水彩絵具ならではの特性として、画用紙の上に乗った絵具を水で溶かし、筆で動かすことが出来る。透明水彩絵具は顔料とアラビアゴムを混ぜたものであるが、アラビアゴムは水溶性なので、乾いてしまった絵具であっても筆で水を付けると再び溶け始める。また顔料は紙に染み込むことはなく、いわば紙の上に乗っているだけの状態なので、アラビアゴムを水で溶かすと絵具の粒子も再び動かすことが出来る。この特性を利用することで、グラデーションを付けたり、にじみを活かした表現をしたりすることが出来るのだ。
 そして透明水彩絵具の最大の特徴は、その偶然性だと思う。絵具が水によってにじんでいくのは、ある程度はコントロールできるが、時に思いもよらない効果が得られることもあり、それによって絵が良くもなり悪くもなるところが、描いていて面白いと思うところであった。

 こうして水彩画を描く経験を少しずつ重ねると、工芸と共通するところが多いと感じるようになった。それは、原材料の特性を考慮した上で、完成形にいたるまでのプロセスを逆算し、ひとつひとつの工程を積み重ねていかなければいけないという点である。ある工程でミスがあると、それは必ずそれ以降の工程に影響が出てくる。自由なように見えて、実は厳然とした制約がある。しかしその制約こそが面白いのである。
 例えば、あたしが大学の卒業論文で研究対象としたのが金工である。金属は自由に色を付けることが出来ないので、異なる色を付ける時は、違う色の金属のパーツを象嵌ではめ込む必要がある。銅器を例に取ると、四分一(銅と銀の合金)、赤銅(銅と金の合金)などが象嵌の「色金」に用いられる金属で、いずれも元々は銅に似た色をしている。しかしこれを、硫酸銅と緑青を水に混ぜて沸騰させた煮色液に漬け込み、人為的に「錆びた」状態にすると、四分一は「朧」と呼ばれる霞がかかったような銀色に、赤銅は「烏金」と表現されるカラスの濡れ羽のような黒色に変化する。しかも煮色液に漬け込む時間によってその仕上がりも変わるので、複数の色金が使われた作品の場合は、部分的にラッカーでマスキングをして調整しなければならない。そのため、どの順番でどの部分をマスキングし、それぞれどのくらいの長さ煮色液に漬け込むのかを計画し、ひとつひとつの工程を積み重ねていく必要があるのだ。それでも、煮色液によって着色される色合いは毎回同じようになるとは限らず、その偶然性もまた味わいとなるのである。
 自分で絵を描いてみて、これまで考えたこともなかった制作のプロセスそのものに面白味を発見することが出来た。おかげでこれまでちょっと苦手意識を持っていた絵画に、自分なりのとっかかりを見つけられたようだ。そしてそのきっかけを与えてくれたカヲルさんには、心から感謝している。

 自分の作品を人に観てもらうというところまでは、まだまだ至っていないが、そのうちギャラリーでの展示に挑戦してみたいな……と思っている。
 


 

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?