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知実、セクハラ攻撃を受ける(『編集者・石川知実の静かな生活』)

 女子を四十年近くやっていると、これまで受けてきたセクハラ攻撃は枚挙にいとまない。

 最初の明確なセクハラ攻撃は、中学の時の痴漢被害だった。あたしの実家から学校のある仙川までは近かったが、それでも京王線で三駅の距離だったので電車通学をしていた。朝は上り方面だったので、いつもかなり混み合っていた。
 最初はあたしも状況がよく分からなかった。自分の尻に何かが触れているのは感じたが、誰かの鞄が触れているのだと思っていた。ところがそれが誰かの手であると気が付いた時には、その手はより大胆に、スカートの上からあたしの尻の割れ目をなぞっていた。
 あたしはその頃から大人しい性格ではなかったし、自分が痴漢に遭ったら大声を出せると思っていた。ところが実際にその被害に遭った時には、声を出すことすらできなかった。あたしは何とか自分の鞄で尻をガードし、仙川の駅のひとつ手前の駅で降りてその場を逃れた。
 そこでひとまず安心したが、冷静になると怒りと悔しさがふつふつと湧いてきて、声は上げなかったが涙がポロポロ出てきて止まらなかった。
 次の日からは乗る電車を一本早めて、車両も変えたので、それ以来痴漢被害に遭うことはなかった。しかしこのようなむき出しの悪意と暴力が自分に向けられることはこれまでなかったので、あたしにとっては大きな出来事であった。

 同級生の中にも、頻繁に痴漢の被害に遭う子がいた。美沙といって、小柄な大人しい子であった。うりざね顔で、黒髪をポニーテールにしており、靴下はいつもきれいに三つ折りにしていた。あたしが中高だった頃はコギャルブーム真っ盛りで、校則で茶髪やピアスは禁止されていたもののスカート丈と靴下には明確な決まりがなかったので、あたしもスカートを短く折ってまつり縫いし、ルーズソックスを履いて、太ももまであらわにして闊歩していた。そんな中で、美沙は明らかに同年代の中でも地味な存在だったと思う。そんな目立たないようにしている子がなぜ痴漢のターゲットにされるのか分からなかった。彼女も乗る電車をたびたび変えたのだがずっと被害に遭い続けた。どうやら同じ加害者に狙われているのではなく、その都度別の加害者がいるようだった。
 幸いなことに、同級生のありさが彼女のボディーガード役を買って出てくれた。たまたま通学の経路が同じだったので、朝は一緒に電車に乗ってくれることになったのである。
 ありさは学校の中でもとりわけ目立つ派手目の子だった。髪こそ染めていなかったが、一七〇センチの長身に、短めのスカートとルーズソックスという格好は、ファッションモデルのような雰囲気を醸し出していた。美沙はこれまでありさとほとんど接点がなく、ありさの申し出に最初は恐縮しきりであった。
 しかし結果的に、二人が一緒に登校するようになると、美沙への痴漢被害はぴたりと止んだ。そしてこれがきっかけで二人は親友になった。
 このことがあってあたしは、必ずしも美人であったり、露出度の高いセクシーな格好をしているからという理由で、痴漢の被害に遭いやすいということは決してないことが分かった。そして美沙のように目立たなくても、なぜか痴漢に狙われやすい「体質」の女子もいることが分かった。もっとも本人の望まない「体質」なので、迷惑なことこの上ない代物である。
 ところでその後の二人であるが、美沙は服飾系の学校に進学し、今はファッションデザイナーとして活躍している。ありさは大学の教育学部に進学し、今では母校の数学教師となっている。「逆でしょ?」と思わなくもなかったが、二人がたどった人生の軌跡を思うと面白い。

 大学に進学した頃になると、あたし自身にもある種の「体質」があることが分かった。それはいわば「声かけられ体質」である。
 街を歩いていても、どこかに出かけても、あちこちで男性から声をかけられるようになった。いわゆる「ナンパ」である。
 またコンパやイベントで知り合った初対面の男子から「今度飲みませんか」とか「今度会いませんか」とかの誘いをしきりに受けるようになった。
 最初はモテているのかと勘違いしたが、じきにそうではないことが分かった。そうした声をかけてくる男性のほとんどが、あたしと交際したいとか、あたしと友だちになりたいとか、そうした動機で来ているのではなく、やや品のない言い方をすれば「ヤレそうだから」という動機で来ているのが分かったのである。
 たしかにあたしは健太と結婚する前まではいろんな人と付き合ったし、その中には短い交際期間で別れた人も少なからずいた。だからといってあたしは「軽い女」ではなかったし、その都度、真剣な気持ちでお付き合いしていたのだ。
 この「体質」は迷惑なことこの上なく、あたしが誰かと付き合っている間にも、声をかけてくる男性が少なくなかった。そのせいで恋人との間でいさかいになることも多々あった。
 一度、何人かで飲んでいる時にこの「体質」に関する話題となったことがあった。あたしの他にも少なからずこの「体質」の女子がいるようで、自分はこんな目に遭ったなどといった体験談が次々と出てきた。その最中、その場にいた男子の一人がこう発言した。
「いいじゃない。そんなこともなくなったら、人生終わりじゃない?」
 これを聞いてあたしはブチギレた。そんなことがなくなったら、どれほど人生楽になるだろう。どうせ男のあなたには分からないでしょうね。興味のない人から興味を持たれることがどれだけ怖いことかが。とにかく周りが止めるほどに言い返した記憶がある。だがその男子はあたしがなぜキレているのか、最後まで分からなかったようである。
 後から思うと、彼にしても悪気があって言ったのではなかったのだろう。むしろ声をかけられるというのは魅力があるからだという意味で言ったのかもしれない。あるいはあたしたちの話を「自慢話」ととらえたのかもしれない。
 また後から分かったことだが、女子の中にもこの「体質」がまったくなく、逆に「声をかけられない自分には魅力がないのでは」と気に病む人もいるのだという。あえて言うなら、この「体質」とその人の魅力はまったく関係がない。これだけは断言しても良い。
 こうした「体質」は今でも続いていて、仕事で会う相手の中にも、あたしに対して性的なものを期待してくる人が少なからずいる。あたしも結婚して七年もたつので、ある程度あしらい方は身に付けてきたつもりであるが、どうしようもなかったこともある。

 あたしは雑誌の新しい企画として、美術評論家の有栖川直巳先生の連載を企画していた。有栖川先生は大学で教鞭を取るかたわら数多くの著書を出し、また日本を代表する美術展の理事をつとめるなど、この世界では影響力のある大家である。フランスへの留学経験があることから、フランス現代思想にも造詣が深く、特にロラン・バルトのテクスト論を取り入れた批評はなかなかスリリングなもので定評がある。
 ただ先生はうちの出版社の関係で仕事をしてもらったことはこれまでなかったので、あたしは知り合いを通じて先生にたどり着くべく手を尽くした。そして、うちの雑誌で何度か記事を書いたことがあるライターの佐伯氏が先生と親しいということだったので、彼にお願いして先生への面会をセッティングしてもらった。
 その日は、佐伯氏と共に先生の研究室を訪問し、小一時間ほど雑誌の企画についてプレゼンした。事前に佐伯氏が説明してくれていたので、先生も二つ返事で引き受けてくれた。
 そして先生は、この後に赤坂で宴席を設けてあるので、ぜひ付き合ってほしいと言った。あたしは恐縮したが、断るのも失礼かと思い、ご一緒することとした。
 通されたのは座敷で、先生が床の間を背にして座り、あたしと佐伯氏がその対面に座った。
「石川さん、あなたの企画や記事はいつも注目して見てますよ。そこらの評論家など裸足で逃げ出すくらいの、大した鑑識眼をお持ちだ」
「先生、そう言っていただけると恐縮です」
「佐伯君も良い人を紹介してくれた。感謝するよ。きっと彼女と一緒なら良い仕事が出来そうだよ」
「先生のお役に立てて良かったです」
 先生はあたしのことを買ってくれているようで、あたしは素直によろこんだ。しばらく話していると、佐伯氏は「ちょっと仕事の用件が入りましたので中座します」と言って席を立った。
 見ると先生の猪口が空になっていたので、あたしが徳利から注ごうとすると、先生は自分の隣に来るようにジェスチャーしたので、それに従った。
「石川さんは、大学では根本さんの教え子だったんだよね」
「はい、根本先生にはとてもお世話になりました」
「私も根本先生とは長い付き合いで、先生が東京の大学で助手をされていた時に、私は大学院生だった」
「そうだったんですね」
「でも石川さん、あなたほどの人が学部卒というのはもったいない。評論家として大成するなら、修士、博士は取っておいた方がいいよ」
「いえいえ、わたしは一編集者ですから……」
「でもいずれは独立したり、自分の雑誌を立ち上げたりしたいんじゃないの」
「まさか……そんなこと夢にも思ったことはありません」
 何かこのあたりから、あたしと先生の思うところがずれ始めていることに気が付き始めた。あたし自身は、雑誌「アートライフ」の企画を成功させるために先生の力を借りたいという一心であったが、先生はあたしのことを、先生のコネを得ることで成り上がりたい人物と思っている節があった。
「うちの大学なら社会人入学もあるし、石川さんほどのキャリアなら誰にも文句は言わせないよ」
「ありがとうございます。でも……」
「何なら私が、個人的に指導してあげるのもやぶさかではないから」
 そう言うと先生は突然、あたしの肩に手をかけて引き寄せようとした。あたしはとっさに逃れようとしたが、男性の力にはかなわなかった。そのまま先生はあたしの顔を引き寄せ、あたしのくちびるに自分もくちびるを押し付けた。それがあまりにも強い力だったのであたしは窒息しそうになってうめいたが、先生はあたしのくちびるをこじ開けてその舌を差し入れてきた。
 やっとの思いで先生の腕の中から逃れると、その反動であたしはのけぞって尻もちを付いた。スカートがまくれ上がってパンツも丸見えになったがそれどころではない。見ると先生は笑っていた。にぶいあたしでもこの時点でさすがに、自分がはめられたことに気が付いた。
 あたしはとっさに自分の鞄を手に取ると、脇目も振らずに部屋を飛び出し、店の前でタクシーを拾うと目黒の自宅まで走らせた。

 家にはすでに健太が帰宅していたが、あたしはただいまも言わずに洗面所に向かった。鏡に映るあたしの姿は、髪は乱れ、口紅は取れかけ、それはひどい有様だった。浴室の湯船にはまだお湯が残っていたので、あたしはそのまま服をすべて脱ぎ捨てて湯船に浸かり、追い焚きのボタンを押した。
 あたしのただならない雰囲気に健太はすっかり驚いた様子だったので、あたしは風呂から上がって落ち着いてから、事の顛末を語った。健太は黙って聞いてくれ、あたしが話し終わると、あたしの身体を抱きしめてくれた。彼は何も言わなかったが、その優しさがありがたかった。
 だいぶ落ち着いたので、遅い時間で気が引けたが、上司の小早川さんには今日の出来事を簡潔にLINEのメッセージで報告した。すぐに既読が付き、しばらくすると、
「明日は休んで心の回復につとめてください(在宅勤務あつかいにしておきます)。もしあさって出勤できるようでしたら、お話をうかがいます」
とのメッセージが返ってきた。

 翌日は、健太は朝から講義があるので早めに出勤するのを見送り、その後誰もいない自宅のリビングのソファーでもの思いにふけった。
 おそらくあんなことがあった以上、連載の企画は没である。問題はあたしが有栖川先生を訴えるかどうかだ。先生は美術界への影響力の大きな人なので、あたしが訴えることにより雑誌や会社に迷惑をかけてしまう可能性がある。例えば先生が、他の評論家やライター、そして作家さんたちに、うちと仕事しないように圧力をかけてくる可能性もあるだろう。そう考えると、あたしが泣き寝入りして事態を収めるしかないだろう。
 物思いにふければふけるほど気分が落ちてくるので、あたしはノーメイクのままスーパーに出かけた。そして食材を調達して帰り、お惣菜コーナーで買った適当なものを昼食として腹に収めると、午後一から小麦粉を打ち始めた。皮が出来上がると今度はタネを用意した。具材は合挽とセロリのみじん切りである。タネが出来上がると、ひたすらそれを包む作業に没頭した。そして五十個の餃子がまな板の上に整然と並んだ。

「石川さんとしては、有栖川先生を訴えるつもりはない、ということで良いのですね」
「はい」
 次の日、編集部に出勤したあたしは、小早川編集長と二人で本社の会議室に入り、二日前の出来事を出来るだけ客観的に報告した。そしてあたしとしては先生を訴える気はないことを伝えた。
「さきほども申し上げた通り、会社への忖度は不要です。もし石川さんが訴えるという気なら、会社としても全面的にバックアップします。それでも良いのですね」
「はい。わたしは大丈夫です」
 あたしの言葉を聞いて、小早川さんは少し微妙な表情をしたが、その意図は読み取れなかった。そして続けた。
「了解しました。ただ当社としては、当社のスタッフが暴力の被害を受けたことを見逃す訳にはいきません。当社のスタッフへの攻撃は、当社への攻撃とみなして対応します」
 あたしは小早川さんの言葉が意外だったので驚いた。
「えっ、でも……」
「もちろん石川さんの、この件にはもう関わりたくないという気持ちは尊重します。ですから本件は今後、すべて当社で引き取ります。石川さんは矢面に出る必要はありません。ただ二三、事実関係について当社の法務のスタッフが聞き取りに伺いますので、その時はすみませんが協力してください。もし相手方が石川さんに何か言ってきたりした場合は、石川さんの方では対応せずに、当社の法務のスタッフに報告してください」
 小早川さんは普段とは打って変わって真顔かつ事務的な口調で語った。その様子を見て、もはやあたしから言うことは何一つなかった。

 それからしばらくして一度だけ、法務のスタッフと半時間ほどの面談をする機会があった。そして当然ながら有栖川先生の連載企画は没となり、先生とグルだったと思しき佐伯氏は出入り禁止になったとのことが、社内全体に通知された。
 そして三か月ほどたった頃に、今一度小早川編集長に呼ばれて本社の会議室で現状の報告を受けた。有栖川先生はセクハラの事実を認めなかったが、「酒の上での行き過ぎた言動」があったことは反省し、あたしに謝罪したいという意思を示したとのことであった。あたしは、その謝罪は受け入れるが、先生にお会いするつもりはないことを伝え、あとは会社で対応してもらうように頼んだ。
 これで事態は収束となった。もちろん心地良い解決ではなかったが、あたし自身はこれで十分気が済んだ。懸念していたのは先生からの逆恨みによる仕事への影響であったが、あれから一年近くたって今でも、そうした不都合は少なくとも私の周りでは生じていない。

 小早川さんとの二度目の会議室の面談を終えて数日後、あたしは彼をお昼ごはんに誘った。神田古書センターのビルの二階にある「ボンディ」で、二人ともビーフカレーを頼んだ。
「編集長、今回はご迷惑をおかけしました。そしていろいろお世話になり、ありがとうございました」
「あれがボクの仕事なので、気にしないでくださいね。あと今回の件、石川さんはぜんぜん悪くないですから」
 小早川さんはさらっと言ったが、正直、あたしは会社がきちんと対応してくれるとは最初は思っていなかった。きっと初動の段階で彼が本社の各部署にかけ合い、体制を作ってくれたからこそ、このような対応が出来たのだと思う。そして彼はそのような過程を決して表に見せないのである。

「あたし……小早川さんにならくちびる奪われてもぜんぜん構わないんですけどね」
「およしなさい。ボクがその気になっちゃうから」
 二人で顔を見合わせて笑った。スパイスとブイヨンの香ばしい香りがテーブルに漂ってきた。



 
 
 

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