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「羽衣」(18歳以上向け)

 透き通るような湖水。そこに遊ぶのは八人の乙女。彼女らは天女である。ここ余呉の湖の美景に憧れ、彼女らは年に一度、ここで水浴びをするのであった。
 その刹那、彼女たちの顔に不安の影が走る。人が近付いてくる気配を感じたのだ。彼女らは急いで岸に上がり、柳の木にかけていた羽衣を羽織った。たちまち彼女らの姿は白鳥に変わり、次々と西の空へと飛び去っていった。
 ところが八人いた天女のうちの一人だけが、自分の羽衣を見つけることが出来ずにいた。彼女は狼狽してしばらく辺りを探し回ったが、何も見つけることが出来なかった。途方に暮れた女は湖岸に座り込み、涙を流し始めた。
 そこに、白い犬を連れた一人の若者が現れた。男は漁師であった。女はおびえて、手で自分の身体を隠そうとした。女は何も身につけておらず、裸だったからである。男は女に優しく声をかけた。
「こわがらないでください……私はこの近くに暮らす漁師です。何か事情があるのでしょう。私で良ければあなたの力になりましょう」
 そう言って男は着ていた筒袖を脱ぐと、女の肩にそっと掛けた。
 
 男は女を自分の家に連れて帰り、妹の家から借りてきた小袖を彼女に着させた。両親はすでに亡く、兄弟もみな家を出たため、男は一人暮らしであった。
「ありがとうございます……旅の途中、私は連れの者たちとはぐれ、途方に暮れていました」
「そうでしたか……もう日も暮れるので、あなたさえ良ければ、今日はうちに泊まっていってください」
 男は囲炉裏に掛けた鉄鍋に魚と野菜を入れて煮て、味噌で味付けをした。女はそれを口にすると、身体がじんわりと温かくなっていくのを感じた。

 夜になり、二人は床についた。男の家は囲炉裏を囲んだ一間しかない小さなものであったので、二人は囲炉裏をはさんで横になった。女は、天に帰ることが出来なくなった不安から寝付くことが出来なかったが、目を閉じて眠りにつくのを待っていた。
 ふと、気配を感じたので女は目を開けると、そこには自分を見下ろす男の顔があった。身を起こして逃れようとするが、すでに男の手足は女の身体を抑えつけていたので、女はなすすべもなかった。
 そのまま男は女の身体に覆いかぶさり、その唇を吸った。そして女の着物の合わせを押し広げると、女の柔肌が露わになった。女はあらがおうと身をよじるが、たくましい男の腕と太ももによって身体がしっかりと捉えられてしまっていたので、逃れることは出来なかった。
 男は女の乳房にむしゃぶりついた後、その両膝に手をかけて、強引に股を開いた。女の意に反して、あらわになった秘部からは滑らかな液体が泉のように湧き出していた。男は屹立した自身の先端をその入口に当てがうと、そこから一気に貫いた。
「ああっ……!」
 女は破瓜の痛みに耐えきれずに声を上げた。女にとって、男を受け入れるのは初めてのことであった。
 男は激しく腰を動かし、そのたびに女の身体は揺さぶられた。女はただ、小刻みなあえぎ声を上げるしかなかった。
 やがて男は「ううっ!」と声を上げると、その男性自身は女の中で激しく脈打った。女は、自分の中に男の精液が注がれていき、それが子宮まで届いていくことを感じていた。
 男が身を離した後も、女は上を向いたままだった。下腹部に鈍痛を感じつつ、もはや涙は出てこなかった。女は、男の家に招かれたときから、今のこの結果になることを半ば予感していたが、天に帰るすべを失ってしまった自分は、これからこの地上で生きていかなければならない。その覚悟を、今一度かみしめていた。
 気が付くと男は、女に手拭いを差し出していた。それは湯に浸して絞られたもので、温かくなっていた。女がそれを受け取ると、男はもう一本、手にした手拭いで、彼女の身体をぬぐい始めた。
 そしてしばらくして男は口を開いた。
「乱暴なことをして申し訳なかった...…けど、どうかあなたには、このまま私の家にとどまってほしいのです」
 女は、先ほどまでの態度とはうって変わって丁寧になった男の様子を黙って見ていた。男は続けた。
「つまり...…私の妻に、なってくれないか」
 男は真剣な表情で女を見つめた。女は身体からこみ上げてくる小刻みな震えを抑えようと両腕で自分の身体を抱きしめつつ、首を縦に振った。
「はい……」

 次の日から、女は男の家で暮らし始めた。始めは家の中の掃除や洗濯、炊事などをして一日を過ごしていたが、数日が過ぎてその生活に慣れたころには、村の中にある畑の仕事にも行くようになった。村の人々も、男の妻となったこの女があまりにも美しく、また良く働くので、みな女のことを気に入った。女も控え目ながらも愛想良く振る舞い、村の用事にも熱心に取り組んだので、すぐに村の中に受け入れられた。
 家の中でも、女は男に献身的に尽くした。男が漁に出たり魚を売りに行ったりしている間、女は家のことをこなし、村の用事もこなして、男が家に帰る頃までには食事を用意して出迎えた。そして毎晩、男は女を求め、女もそれに応えた。そして女は身ごもり、やがて玉のような男の子を産んだ。男の子は陰陽丸と名付けられた。
 陰陽丸はすくすくと育ち、村の人々にもたいそう可愛がられた。女が村の用事で家を空ける時には、隣家の老婆が子守りを買って出てくれるほどであった。

 ある日、村の芝刈りの用事を早く終わらせた女が自分の家に戻ろうとすると、家の軒先で隣家の老婆が子守唄を歌いながら陰陽丸をあやしている様子が見えた。
 そして老婆が歌う唄の歌詞が気になったので、しばらく立ち止まって聴いていた。老婆はこう歌っていた。
「おまえの母は天女様 お星の国の天女様 おまえの母の羽衣は 千束千把の藁の下」
 それを聴いてはっとした女は、家の母屋ではなく、離れの小屋に向かった。そこは男が漁の道具などを入れている所で、女が立ち入ることは滅多になかった。男は、自分の仕事のことで女に関わられることを嫌っていたからである。
 小屋の片隅には藁の束が積み重ねられていた。女がその中を探ると小さな行李が出てきた。女が蓋を開けると、はたしてそこには他ならぬ、女の羽衣がしまわれていた。
 女は思わず驚きとも歓喜ともつかない声を上げると、たちまちのうちに着ていた小袖を脱ぎ捨て、羽衣を身にまとった。すると女の姿は一瞬のうちに白鳥に変わったかと思うと、そのまま後を振り返ることもなく、西の空の彼方へと飛び去って行ってしまった。

 女の姿が忽然として消え去ってしまったことから、男はすっかり憔悴しきった様子となってしまった。陰陽丸も母を恋しがって泣き続け、男があやしても、村の女たちが慰めても、収まることはなかった。その様子は他の者が見ても痛々しい限りであった。
 そのことを聞きつけて、近くにある菅山寺の僧、尊元阿闍梨が村にやってきた。そして陰陽丸の泣き声がまるで法華経のように聴こえるので、何か不思議なものを感じた。そして陰陽丸を寺で引き取って育てたいということを男に申し出た。男は承諾し、陰陽丸は寺で養育されることとなった。
 数年後、京都の宮中で文章博士をつとめ、東宮の教育係もつとめていた菅原是善公が菅山寺を参詣した時、陰陽丸に目を留め、その聡明さを見抜いて自らの養子にしたいと申し出た。
 幼い時から優れた才能を発揮した陰陽丸は、京都で成人して父の跡を継いだ。彼こそ、宇多帝と醍醐帝に仕えて右大臣にまで立身出世し、後に菅丞相と呼ばれた菅原道真公その人である。

【解説】

・ 羽衣伝説は世界各地に伝えられている民話の一類型であるが、特に東アジアから東南アジアにかけて広く分布がみとめられる。ここに登場する天女はしばしば白鳥と同一視されており、白鳥処女説話系の類型とみなされる。これは異類婚姻譚の類型のひとつで、天女をその部族の祖先神とみなす、部族の起源神話の形を取ることが多い。

・ 日本列島では、滋賀県の余呉湖を舞台とした『近江国風土記』所収の伝説と、京都府の丹後地域を舞台とした『丹後国風土記』所収の伝説が、文献に残された羽衣伝説としては最古のものとなる。他に有名なものとしては、静岡県の三保の松原を舞台としたものがあり、能の演目『羽衣』はこれに取材したものである。

・ 本作は余呉湖を舞台とした伝説のうち、江戸時代に編纂された『近江輿地志略』(1734年)に所収されたものを下敷きとしている。菅原道真の出生の由来が語られており、史実としての信憑性は乏しいものの、偉人の母親が実は人間ではなかったとするのは異類婚姻譚の一種と言えるだろう(同様の例として、安倍晴明の母親を信太山の狐とする「葛の葉」の説話を挙げることが出来る)。

・ 子守をする老婆が、なぜ女が天女であり、羽衣の隠し場所まで知っていたかについては不明である。ただ子守唄の歌詞がヒントとなって秘密が暴露されるというのは羽衣伝説では一般的なモチーフで、奄美群島の喜界町や沖縄の南風原町に残された伝説にも、子守唄のくだりがみとめられる。そこには、歌やチャントの中に真実が秘匿されているとする古代の信仰のあり方が反映されているものと考えられる。

・ 本作は、民話や伝承に内在する家父長制や男性中心主義の側面を意識して描いている。羽衣を盗み、女を騙して、女が逃げられない状況を作った上で自分のものにするという行為は、男が女のことをどれだけ真剣に愛していたとしても、正当化できるものではなく、非難すべきものである。そこにはただ、女を肉体的にも精神的にも支配したいという、男の欲望しかない。

・ 夫や子供、さらに村の人々に対して女が献身的な振る舞う様子は、家父長制や男性中心主義における理想的な女性像に合致してる。しかし羽衣を取り戻した女は、これらに何の未練もないかのように姿を消して、天に帰ってしまう。このことから女による献身的な振る舞いは、この地上で生きるための適応に過ぎなかったことが分かる。女が自分の子供も放っていなくなってしまうことに、母性に欠けた非情な行動と思う人もいるかもしれないが、羽衣伝説においては子供は地上にとり残されるという結末をとるものが多い。しかし女だから母性を持つのは当然、と考えるのは、それこそ家父長制的なバイアスによるものと筆者は考える。そもそも天女は人間の世界とは無縁の存在であり、家父長制的な論理など意に介していないというのが実のところかもしれない。

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