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仕事ってなんだろね


昨日は近所に住みながらもなかなか会えてなかった友人と会う事ができた。

イベントの運営を行う会社に勤める彼は、リストラや事業縮小はないものの、やる事がなく残業もなくて給料が減ってるという。

特に彼の会社のように、イベントの企画は行わずに下請けとしての仕事をするところは顕著なのかもしれない。

いや、イベントを企画する側もそもそもイベントを行えるような状況でない為、企画する意味がないのかもしれない。

たまたまイベント系の業種の話を聞いたからかもしれないけれど、インフラ系の仕事を除いて、その他の仕事の殆どが



『無理くり作り出してるんじゃないか?』

と思えてきてならない。
誤解を恐れず言えば『暇つぶし』に近い。

もちろんその仕事がある事で生み出されるもので、僕たちの生活はより豊かになる可能性を持つ。


しかし極端な事を言えば、例えば居酒屋やクラブ、ゴルフ場やスーパーカーがなくても原始の人間たちは生きていたのだ。


身の回りの『衣食住』を自分達の知恵と連携を持ってして何とかこしらえて過ごしていた。



別に全てを手作りする事が正義とか、アナログなものが素晴らしいとか、断捨離の必要性を唱えたいわけでもないけれど、そんな事を考えていくと

「『創る(作る・造る)』というのは、人間が生きる上での本質なのではないか」


と思うようになってきた。
先にも書いたように、衣食住の必要なものを自分達でこしらえていた時分は、例えば食べ物を入れる皿や壺だって自分達で作り、服だって素材を取ってきて形にするまでも自分達で作っていただろう。

生活に、しいては生命に根付いた必要性から生まれる創造。アート。



生活、即、アート。


だったのかなぁなんて事を思う。
そうすると岡本太郎さんの言わんとしていることも何となくだけど理解が進む。

作ろうとした創造じゃない。
もっと緊張感と潔白さのある創造。

そういう意味では、やっぱり山奥にひっそりと小屋でも建てて、毎日の自分の生活を営む事にせっせと勤しむ暮らしには、一定の憧れを抱く。

このnoteを書いているスマホから顔を上げると新宿のビル群の混沌とした感じが目に入るのだからなおのことだ。

けれどやっぱり好きな服を着て、良い車を買って、美味しいご飯を食べたいなという欲求が沸々と湧き出てくる自分に可愛さも感じる。



さて仕事に戻ろう。


ともですっ、最後までご覧頂き本当にありがとうございます^^