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会社のNo.2が東京本社から出て九州・福岡移住を考えたワケ

みなさん、今日もがんばってますか?

いま私は福岡の薬院というところに住んでいます。住んでいますと言っても単身赴任なので神奈川県の横浜にも自宅がある二拠点生活ということになります。

うちの会社は東京本社と、大阪の西日本支社、そして福岡支社の3つの支社があります。
今回は、取締役が東京本社から飛び出して福岡支社を立ち上げ、自ら単身赴任をしてでもダブル生活を選んだ私の経験談なんかを話してみたいな。と思います。

福岡に移住するきっかけは前回の記事にも書いたんですけども、初めて読んでくださる方もいるでしょうから軽く触れておきますね。

九州・福岡進出のきっかけ

当時私は営業管掌取締役として、渋谷の本社でサービスを広めるべく奮闘していました。
とはいえ、私には営業経験があったわけでもないので営業を理解しようと、当社の営業の人達に同行してそれぞれの営業トークなどを見て回っていたりしていたんですね。

ある時、後に九州開拓を一緒にやることになる「H君」という営業と一緒に同行訪問をした帰り道にH君と話した

「来週、福岡に出張でお客様訪問するんですよ」

という何気ない会話から、地方営業に自分も行ってみたいと思って一緒に行ったところから始まりました。
1件だけで行くと非効率なので複数件のアポを取ってもらい、EC勉強会とその後の懇親会があるようなイベントにも申し込みをしてもらい、いざ九州・福岡の地へ行きました。

福岡ってよかとこ

もちろん福岡という地名は知っていましたが、私ほぼ九州に行ったことがなかったんですね。通った高校が男子校だったんですが、初めての九州は修学旅行で行った長崎のハウステンボスでした。

男子校って時点で「あ、なんか危ない!」って思うじゃないですか。やんちゃ盛りですし。先生達もそう思ったんだと思うんですが、飛行機も電車も使わず貨物船のような船に押し込められて24時間かけて長崎まで行きました。
そしてハウステンボスです。今でこそハウステンボスはいろんなアトラクションがあったりイルミネーションで最高!みたいな感じですが、当時(25年前とか)は、いわゆる「花の楽園」「お花しかない」「お花+公園」みたいなところで、6時間くらい工業高校の男子達がそこに行ってお花を見ていたので、簡単にいうと「楽しくなかった」んですね。

そんな私がH君と共に福岡に行ったわけですが、まぁ感銘を受けました。(長崎と福岡で場所全然違いますが当時はそんくらいの知識だったとご理解ください。すみません)

渋谷のマークシティら辺にある「博多天神」というラーメン屋くらいでしか福岡を知らなかったので、「博多」と「天神」が別の地名だったとも知らないレベル。
しかもその博多と天神の間に、かの有名な中洲があるとは。
さらに東京だと羽田までめちゃくちゃめんどくさい道のりで行かないとつかない空港が、福岡空港から中心地まですぐに行けるなど、「こりゃすごい街だ。普通に考えて経済発展もすごいところなんだ」と思いました。

いざ客先訪問

博多に着くなり、まずは1軒目のお客様先へ訪問。
やりたい事や困っている事などを(H君が)ヒアリングしていく中で、感じたことがありました。

「おや・・・ちょっと情報が古くないか?」
「もっと良いやり方あるのに古い情報が当たり前として話してるな」

というように、すごくやりたいことがあって、バイタリティもあって、学びたいという姿勢も強い方なのに、「知らない事」が多かったんですね。
次の訪問先でも、EC勉強会でも懇親会でも同様のことを感じました。
いく先々で、新しいトレンドや他のショップ様がやっていることなどをお話しすると、とても喜んでくれてもっと聞きたい!ってなってくれていました。

福岡の人柄は皆さんとても気さくで、すぐに打ち解けてくれて仲良くなる方が多く、私たちの話にも耳を傾けてくれて、とても良い街だなーという印象で福岡出張を終えたのでした。

突然の内示破棄

それから福岡出張は定期的に入れて、H君に勧められて一度泊まった、福岡にある有名なサウナがあるカプセルホテル「ウェルビー」をめちゃくちゃ気に入ったので、1週間単位で毎日泊まっていたところ、管理部から「取締役がカプセルホテルとか泊まられると他の出張する人がビジネスホテルに泊まりづらくなるのでやめてください」と言われる始末。

「知らんがな!」と逆ギレしながらサウナに入る日々を過ごしつつ、福岡のお客様と商談・会食などを通じてサービス展開をしていた「つもり」でした。

半年ほど経った頃でしょうか。H君から「あの大きめの案件、内示破棄になりました」という報告が上がってきてびっくりして理由を聞いたところ

発注書を見た途端に態度が少し変わり、
「あれ、おたく東京の会社だったの?申し訳ないけどウチは地場の会社にって決めてるから今回の話は無かったことにして」
と言われた。とのことでした。

どういうことかわからず、そういう言い方で断ってきただけかもしれないので真相を探ってみたんですが、本当にそういうことだったと分かりました。

・困っていることとウチのサービスが合致している
・学んでいきたい姿勢もあって質問もしてくれるし回答すると喜んでくれる
・提案した内容にも理解を示し、ウチに依頼すると決めてくれている

なのに、福岡にいない。ってだけで破棄されてしまうのか。と心底驚き・落胆し、今までの努力が無駄だったのか・・・と私は一切思うことなく、

だったら福岡の人間になってやろうじゃねぇか


と思ったのでした。
もちろん、福岡・九州の市場の大きさやEC通販用カートが広がっていなかったこと、そもそもダイレクト通販市場が大きい九州でECを広めていきたいというちゃんとした理由もありましたが、私が福岡に住もうと思ったのは実はここでした。

そうと決まればすぐ実行だ!ということで、奥さんをはじめ社長や部長達の了承を取り付け、出来るだけ早く福岡に単身赴任をすることを決めました。

賃貸をするときに不動産屋に「一番かっこいいところで!めちゃくちゃモテる土地で!!」と言ったところ「ここなら大丈夫です!」と紹介された、海が目の前にあるマンションに決め、最低限の荷物を持って引っ越しました。
ちなみに住んでから一年後、「あーあの不動産屋は俺を騙したんだな」という土地だったのでそのマンションは一年で引っ越しました。

2年間坊主。受注ゼロ。

福岡移住して2年間、H君の成績はゼロでした。
通常のMakeShopというECカート自体はもちろん増えていましたが、H君はそのカートを軸としたカスタマイズを担当していたため、開発を伴うのでサービス自体安くはありませんが、通常プランではできないことを個社ごとにカスタマイズできるサービスなので首都圏では引き合いも多くH君はトップセールスマンだったのに。です。

二人で夜通し何がいけないのか、どうしたらいいかを突き詰めて考え、考えたことを実行し、また二人で飲んだくれながら活路を見出す毎日でした。
もちろん私としても九州進出は失敗だったのか。と自問自答を繰り返しましたが、絶対にそんなことはないという根拠なき自信があって粘っていました。そんな状況がある時を境に全く変わります。

3年目・・・

丸2年が経って3年目が始まった時、前に「東京だったから内示破棄」があったお客様からなんと発注をいただけたのでした。
「すぐ逃げ帰ると思ってたよ(笑)」と本気なのか冗談なのか正直わからないことを言われつつ、いてよかった。と思った瞬間でした。
そこからは問い合わせも増え、地道に話をしていったパートナーさん達からの紹介も増え、H君は営業成績全国1位に返り咲いたのでした。

今では福岡支社は9人になり、もうオフィスに入り切らない状態になっています。
私も多くの福岡EC事業者さんや支援事業者の方々との繋がりが増え、会食やゴルフ、時には麻雀なども交えながら皆さんが課題に感じてることを聞いたり、逆に私が事業者理解を深めるために質問させてもらったり現場見学に行かせてもらうなどしながら勉強させてもらっています。

あれ、長々と私はなんの話ししてるんでしたっけ?
とりあえずなんで福岡かから帰ってこないの?という質問を東京のメンバーからされることも多いので、「いろんな歴史と想いがあるんだよ」ってことを言いたかった。ってことでよろしくお願いします。

さぁ、早朝ゴルフで汗を流し、その後に夜中まで麻雀をする。というハードだけどめちゃくちゃ楽しい予定を入れるために大好きな方々に連絡しますかね。

それではまた!


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