読書の時に大切にしていること
以前、下の記事を書いた時、かなりのスキをいただけて驚きました。
今、色んなSNSがあるけど、Instagramは写真、Facebookは繋がり、Twitterは瞬発的な情報、それぞれに特化した分野があって、
多分それでいくとnoteは書くこと読むことに特化しているSNSなので、
文章を読んだり書いたりするのが好きな人が多いんだろうなって思った。
↑何を今更ってことを普通に書いてます。笑
「読書」についてはもっともっと書きたいことがあるので、これからもたくさん発信したいなって思った。
そこで、今日のテーマも「読書の時に大切にしていること」
読書の時、僕は時間を気にするようにしています。
読書好きな人って、いくらでも何冊でもどれだけでも本が読めちゃう。と思う。
「あの人いつも本読んでるね」って言われるのは、「あの人いつも漫画読んでるね」って言われるよりはいいことだと思いたい。笑
でも、それでも「あの人いつも本読んでるね」って果たして本当にいいことなのだろうかって一度立ち止まって考えました。
本を読むってこと=良い事なのか?
本にもいろいろある。本の読み方にもいろいろある。
例えば、今の自分にあまり関係のない本を、さほど興味もないけど、だらだらと読み続ける。そして頭には何も残らない。
そんな本を読むという行為が果たして、自分の貴重な時間の使い方として合っているのか?それでも読書をしている=良い事になるのか?
ならないと思う。
それなら、友達とくだらない会話して笑い合ってる方がよっぽど人生にとって有益な時間の使い方だと、僕はそう考える。
じゃあ、どういう本をどんな風に読むべきなのか。
もちろん、今の自分に最も必要な本を最適な時間を割いて、有益な情報だけ拾っていく読み方、がいいのではないか。
もちろん、それには本の選び方から読み方まで色々な技術が必要になる。
そのことについては、また別の機会に。
とにかく、集中して、大切な本を、読むべき本を読む、そんな読書の仕方、時間の使い方が、良いのではないかって思うのです。
で、これらを大前提にして、初めて今日言いたいことに辿り着く。長いね。笑
僕は、本を手に取って読み始める前に、頭の中でこのように考えます。
至極の一文を見逃さないように本を最初から最後まで丁寧に読むという行為は時間の浪費につながり、至極の一冊を見逃す可能性があるということを肝に銘じる。
こう頭で一瞬考えてから、本を開きます。
どうしても、本にのめり込むと、一文一文丁寧に読んでしまう。
何か大切なことを見落としたくないから、全部の文字を追ってしまう。
そうして気づいたら、特に興味もないテーマのパートもしっかりと読み込んでたり。
すでに知っている知識についての知っている解説を長々と目で追っていたり。
でも、そうして不要な部分を読むことにも自分の時間は使われるわけで。
それは、自分の残りの人生で読書に充てられる時間が削られているということで。
つまり、1冊の本を最初から最後まで至極の一文を見落とさないがために丁寧に読んで時間をかけるということは、人生で出会えたはずの至極の一冊と出会う可能性、それを読む時間を失うという行為なのだってこと。
いつのことだったか、はっとそのことに気づいた時があって。遅い。笑
それ以来、至極の一文のために至極の一冊と出会う機会を失うのはもったいないぞって自分に言い聞かせて本を読むようにしています。
そんな話でした。
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