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チャレンジ拠点YOKANAのオープニングセレモニーを僕は忘れない

8月8日、僕たち夫婦で手がけているチャレンジ拠点YOKANAがオープンした。最高な雰囲気はトップ画像の風船がハジけた写真で伝わると思う。でもこの記事は、そのあたたかすぎるオープニングセレモニーの様子をもうちょっと知ってほしくて、欲張って書くことにする。

ことの始まりは2020年4月。地域おこし協力隊として僕たち夫婦は種子島の真ん中、中種子町へ移住した。

山へ行ったり、海へ行ったり。

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東京でも。そして地元の東北でも見られなかったような景色、ヒト、文化に驚いて心震わせて。これまでと一変した新しい生活を送っていた。

ちょうど東京が「コロナ禍」と言われ始めた時に脱出するように種子島に来たけど、やっぱり影響はどこも一緒で、毎年島の人が楽しみにしている祭りや駅伝大会なんかが全部中止になった。誰にも、どうにも出来なかった。

そんなとき僕たちは種子島中央高校の生徒たちと縁があって一緒に授業をすることになる。

今の高校の教育はすごく進んでいて、僕たちの時代では到底考えられなかったようなことをやっている。特に”総合的な探求の時間”では、調べものを壁新聞作って終わりじゃなくて、「なんらかのアクションを地域に対して起こす」というところまでを到達点している。

あるチームは地域活性化として、「コロナ禍で元気のなくなった町を元気にしたい」という想いで商店街のテイクアウト市を出来ないかと模索していた。しかし話は難航していて、地元商工会や町役場といった組織と具体的に実現に向けて話し合うようなところには至っていなかった。

そこへ、僕たち夫婦というイレギュラーな存在が加わり、化学反応が起きていく。これまで知っていた行政職員・学生・民間人…という枠組みのどれにも当てはまらないワイルドカード、それが地域おこし協力隊という訳の分からない存在だ。これが何やかんや上手く嚙み合って、なんと、実現してしまった。

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町にはこの日、間違いなく笑顔が戻った。もちろん反対の声もあった。でも結局町民の10分の1に当たる人が来場し、懸念していた新型コロナウイルス感染者は2週間経っても出なかった。みんなが言った。「今年は高校生のおかげで、町が笑顔になったよ」。僕は勝手に、そんな生徒たちと知り合えたことを誇りに思った。

そして後日。

感謝状をもらった。こういうの貰うとキラキラ輝く彼ら高校生と僕らは決して同じ立場に居ないことが分かって。ちょっと寂しくて。でもやっぱ嬉しくて。

僕のことはどうでもよくて。もっともっと、彼らのような次世代が活躍できるように大人が奔走しなきゃいけない。そう強く思いながら、この感謝状を大切に額に閉まった。

そして僕たち夫婦は、それから沢山の島の人、町の人と話すことになる。色んなお話を聞いて、色んなお手伝いをした。そんな中で、意識せずとも耳に入る話があった。「この島で挑戦することは難しいかもしれない」と。

そういう課題が明確になると、生き急ぐ妻は黙っちゃいない。引きずり回されるような怒涛の日々の中、「誰もが挑戦できる拠点をつくる」と決意する。これが、2020年の9月頃の話。それから築60年の空き家所有者の方と出会って、親子みたいな協力関係になって…ここには書ききれない。

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ほとんど親子みたいな関係の大家さん。詳しくはこちら。


そして、役場の若手の人を中心にした大解体作業。これが無かったら、きっとダラダラと机上で理論をこねくり回すだけで1年が経ったと思う。本当に思いっきり背中を押された。最強の激励だった。言葉じゃなくて態度で、前に進め!!と言われた気がした。


そして数々の人がDIYリノベーションに参加してくれた。みんなDIYは素人で、僕たちも同じだった。世の中は”失敗してはいけない”と執拗に要求してくる。でもこの場所は違った。釘を打ち損じても、ペンキをこぼしても良かった。「やってみたい」を表現する人たちの目は、こんなにも輝いていた。

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拠点の名前はYOKANA(よかな)にした。種子島の方言でイイネ!という意味だ。誰もが、誰かの”やってみたい”を、「よかな!」と言える場所にしたかった。

オープニングセレモニー前日。色んなことが思い出された。特にこの部屋。ここは何もない場所にホワイトボードシートを貼った。折角だからオープニングセレモニーに向けて、”YOKANAの歩み”を描いた。

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ここには、リノベーションを始める前から参加中の人々の写真をYOKANAの上面図に貼った。

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完成すると圧巻で、懐かしくて、劇的で、心地よかった。妻はしばらく座ってこれを眺めていた。

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もうすぐだ。心が高鳴った。それは結婚式の前夜に似ていた。いよいよの晴れ舞台で、なぜだか準備に追われていて。一生に多分一回しかなくて。ここは未来を見てチャレンジするはずの場所なのに、今日だけは振り返って良い気がして。今日だけはこの1年を振り返って、過去に正面から向き合って。ひとつひとつの写真に、思いを馳せて良いと思った。記録には残せない感情が、そこにはあった。

オープニングセレモニー当日。20名近くの人が訪れてくれた。高校生もいたし、マスコミもいたし、商店街でお店を営む仲間も居た。目を合わせると照れ臭かった。

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施主挨拶。妻は言葉を詰まらせながら、これまでの支援に感謝を述べた。本気度は、誰の目から見ても明らかだった。身内びいきを除いても、良い挨拶だった。饒舌ではなかったけど、全員に届いた。活舌は悪かったけど、胸に響いた。苦労もあったけど、全部肯定できた。

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『YOKANAの歩み』を参加者は写真に撮ったり、指を差してよく見ていたりした。嬉しかった。今日という日と同じくらい、今日までの過程を知ってほしかった。

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セレモニーをテープカットにするのは地味だから、風船を割ると中から更に風船が出てくるやつにした。大家さん、役場の課長、地元の高校生と割った。所属や属性を越えたメンバーが大好きだった。かけがえなかった。バン!!という音と共に笑いが起こった。コロナ禍なんてないと思った。そんな些末なことに関わらず、人々の生活も、挑戦も、続いていくと実感した。

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チャレンジ拠点YOKANAは始まったばかり。これからも沢山の人々の”やってみたい!”を支援して、誰もが活躍できる場をつくります。

種子島、よかな~~!!!!!!

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