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YS 1.28 正しく呼ぶ

ヨガクラスやキルタンで聞く オーム は、イーシュヴァラ の名前だったのねというのが分かった前回のスートラ。その名前、伺ったところでどうしたらいいんですかねというのを教えてくれるのが、今回のスートラです。

※前回分は、こちら『YS 1.27 オームと唱える』をご覧ください。


ヨーガ・スートラ第1章28節

तज्जपस्तदर्थभावनम्॥२८॥
taj-japaḥ tad-artha-bhāvanam ॥28॥
タッジャパハ タダルタバーヴァナン

That (the word Aum) should be recited repeatedly while dwelling mentally on its meaning.
それ(オーム)は、その意味を思いながら繰り返し復唱すべきである。(2)

『“マントラ”の意味は、“心を安定させ、適切な効果を生じさせるもの“で、そのマントラの反復誦唱が”ジャパ“である。”ジャパ・ヨーガ“というのは、〈神〉の名を唱えることによる〈神〉との霊交である。』と書いているのが、インテグラル・ヨーガ(パタンジャリのヨーガ・スートラ)(参考2。以下、インテグラル・ヨーガ)です。ここから広げていきたい。


まずは、マントラを繰り返し唱え続けることで、より心を安定させ、集中しやすくなるよということです。頭はどうしても勝手に考え事を始めてしまうので、それであれば頭の考える方向を、あらかじめこちらが決めてしまえばいいということ。

フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1)も、かたちのないものに瞑想するよりも、オーム という型が必要だと書いています。スートラ1.23 の解説で少し書いたように、このことでイーシュヴァラの存在を認めないサーンキャ哲学と完全に道を分かつことになるけれども、パタンジャリは、これがヨガの実践を発展させてきた人々にとっての唯一の可能性だと考えたのではないかということです。インテグラル・ヨーガが、オーム を唱え続けることは、穴の中に降りていくときの命綱だとたとえているのも同じことを示しているのではないかなと思います。つまり、自身で経験をすることを大事にしているヨガにおいて、決して簡単ではない目指す道を覚悟をもって進むときに、手ぶらの丸腰で行かなくてもいいように考えられているということかなと思うところ。


冒頭のインテグラル・ヨーガから引用した文章後半の、オーム と名を呼び続けることでイーシュヴァラと霊交できるというのは、どういうことか。同じくインテグラル・ヨーガですが、『口ずさみ続けることで、次第にあなたを吸収してゆき、最後にはあなた自身がそれとなる。意識していようがいまいが、あなたは名指しされた対象の性質に同化する。』と書いています。ということは、自分がイーシュヴァラの性質に同化するということなので、やっぱり丸腰といえば丸腰ですが、むしろ心強そうです。

今回のスートラ、ハリーシャ(参考3)は、サンスクリット語の文法や用法を改めて分解し、他と違った訳を付けています。オーム を繰り返し唱えるジャパを推奨しているというよりは。 オーム と繰り返し唱えることで、オーム という言葉の指し示すもの、つまりイーシュヴァラの本質への感じ入ることができることを教えてくれていると書いています。オーム と唱えることを、「共鳴するのを探索する」と表現していて、つまりそれは、イーシュヴァラを探しに行く方法だということ。実際に経験として理解することへつながるというのです。知性で本質を理解することはできない、経験せよというヨガの姿勢がここでも、提示されています。


どちらであっても、解説は同じところにたどり着きます。だからこそ、オームと繰り返し唱えるだけでは足りず、その意味に心を定めることも必要だということ。既に前回のスートラであったようなオーム の意味を理解しておくこと。

言葉の力と危うさについて、警鐘を鳴らしてくれているような気もします。オームというマントラは、禍とも福ともなるとインテグラル・ヨーガが書いていますが、過去の事件を考えると本当にそうだなと思うし、扱いづらいなと思う気持ちがあります。だから、実際に背景を知識として理解しながら実践し、丁寧に経験を積むことだよなあと思います。

そう思って、イーシュヴァラとは何かだけではなく、今までのスートラで学んだことを読み返しました。心や感情は日々のあれこれで簡単に揺れてしまうから、その揺れのもととなる5つ(正知誤解ことばによる錯覚睡眠記憶)を思い出して、〈正知〉として受け取っているかを確認する方法は教わったなあ。そして、心を静かにするために必要だと書かれていたアヴィヤーサ(修習)とヴァイラーギャ(離欲)についても、、。うあああいっぱい。

でも、おさらいをさっとして、まずはやってみないとなと思っています。パタンジャリが用意してくれたツールを試してみること。使い方によっては、どっちにも転んでしまう可能性があることを知っておくこと。そして、継続すること。そうやって見えてきたものと、またさらに歩み続けることで、経験を積みあげて行きたいなと思います。

わたしのインドのヨガの学校は、1カ月のコースのうちの週6日は毎朝チャンティングの時間があるので、慣れない気持ちで始まって、最後はふとしたときに鼻歌で歌っちゃったりするくらい近くなってたという経験があります。だから、実際のところ、導入は別に問題ないけど、しっかり発音できたらいいなあ(ぱりっと声を出すのが苦手です..)と思いつつですが。読んでくださっている方は、どうでしょうか。


最後にリマインドしておきたいのは、それでも、すでに全てが内在しているわけなので、オーム のマントラだってわたしたちの内部にあるもの。そもそも、前回のスートラで、オーム というのは普遍的にあるうねりの擬音語だということだったので、そこに在るもの。そういうのを一つずつ思い出してみると、『もっとも単純で容易な、最良の技術である。』とインテグラル・ヨーガが書いていることにも、うなずけるような気もします。とはいえ、ですが。もちろん。うん。

そして、スートラを声に出して読むこともぜひ。何度も書くけど、この音声を録音させてもらったマンディープの声は、本当にほれぼれします。


このイーシュヴァラについての一連のスートラは、次回で一旦終わります。最後は、繰り返し唱えることで、そして、イーシュヴァラの本質を感じ入ることで、どんないいことがあるんですかという疑問の答え。こちらからどうぞ⇩

※ 本記事の参考文献はこちらから



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