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YS 1.8〈誤解〉の生まれるところ

心の作用(気持ちや感情の揺れ)には5種類ありますよとメニューを見せてくれて、1つめは〈正知〉でした。わたしたちが、普段、どれくらい揺らされているか。今回は2つめの〈誤解〉についてです。

※前回分は、こちら『YS 1.7 〈正知〉の みなもと』をご覧ください。


ヨーガ・スートラ第1章8節

विपर्ययो मिथ्याज्ञानमतद्रूपप्रतिष्ठम्॥८॥
viparyayo mithyā-jñānam-atadrūpa pratiṣṭham ॥8॥
ヴィプラーヤ ミティヤ ギャーナム アタ ドルーパ プラティシュツタム

「Misconception is false cognition not based on the true nature of its object」(3)
(〈誤解〉とは、対象物の本質に基づいていない、誤った認識である)


心の作用(気持ちや感情の揺れ)には5種類ありますよとメニューを見せてくれたのが前々回のスートラ 1.6。今回は2つめの〈誤解〉がどのように生まれるかについて、説明してるスートラ。今回は、ハリーシャの訳をベースに考えていきたいと思います。
〈誤解〉は、対象物の本質に基づかない、誤った認識である。つまり、前回の〈正知〉の反対。

良く知られたたとえ話があります。暗闇をおそるおそる歩いていたらヘビに出会い、びっくりしたけれど、まじまじ見てみたら紐だった。実際は紐だったのに、ヘビだと勘違いしたわけです。
ヘビだったら怖いので、逃げるというのが1つの解決方法です。ただ、手元に懐中電灯があれば、光で照らすことで確認することもできますよね。フォーチャプター (2) は、正しい知識によって光をあてるように、〈誤解〉は正すことが出来るものだとも書いています。


余談ですが、グルって、聞いたことあるでしょうか。ヨガや宗教の高名な指導者が`そう呼ばれているようです。グル(guru; गुरु)というのはサンスクリット語で、暗闇を意味する「グ」と、光を意味する「ル」という言葉でできています。つまり、無知の暗闇を破壊し、知識の光を他の者へ示す指導者であるという意味があります。(5)
それを知っているとなおさら、ここで光で照らすことの意義を感じることが出来るかなと思います。
(さらに余談ですが、先日7月5日は、グルプルニマ(Guru Purnima)というグルに感謝をささげる日でした!)


何かを経験した時、私たちは自分の中の自動認識ツールを瞬時に起動します。たとえば、ヘビを見たら危険な生物だと思う。だから、怖いと思う。だからヘビが怖いのではなくて、ヘビを危険な生物だと認識したから、怖いわけです。この識別、ここで思い出しておきたいところです。

スートラ1.4 で、私が女であると定義することは、ヨガはそれは間違った認識だと言っていること、覚えているでしょうか。ヘビと怖い生物もイコールではありません。好きな人も、美しいと思う人もいるでしょう。
だから、私たちは、自動認識ツールが起動する前の、脚色されてしまう前の経験と一緒にいる時間を大事にしたい。ヨガを通して目指していくところです。この話も俯瞰してみれば、〈見るもの〉と〈見られるもの〉と同じこと。


恐れを生むのは自分の中にある自動認識ツールだよという話をもう少し。なぜなら、それを知っていることで楽になること、いっぱいあると思うんです。

たとえば、インド行くの怖という声を聞きますが、インド=怖いではないわけです。ではなんで怖いと思うのかなと考えてみると、①治安が悪そう ②だまされそう ③お腹壊しそう といった感じかなと思います。それが分かったら、①治安が悪いエリアをあらかじめ調べ、危ないところや夜間は出歩かない ②日本の旅行会社ですべて手配しておく ③口コミの良いところや、お客さんの多い外国人向けのレストランに行く という対策を立てることができます。そうすると、行けそうだなと思いませんか。少なくとも、ハードルは下がるはず。

あとは、ヨガが宗教っぽくて怖いという場合なんかも(ヨガでもマントラとか経典とかにアレルギーがある場合)。宗教っぽいのが怖いというのは、宗教に怖いイメージがあるわけで、その理由を想像して、言いくるめられそうなことを怖いと思っているとします。ということは、本当に怖いのは言いくるめようとしてくる人が怖いわけで、だったら怖くないと思える先生を探せばいいよね、という話。

こういう技は、神棚にかざっておくのではなく、どんどん使って行こう。怖いと思っていること、どんどん分解してみよう。

その中で得意不得意があったりもするんです。わたしは、相変わらずびびりとはいえ旅行は得意なので、それに関わる分解は得意です。でも、人前で話すことは苦手なので、分解はとても下手。アサナでいうと、ピンチャマユラーサナの分解はめちゃくちゃ下手でしたが、その経験もあって、ハンドスタンドの分解は得意でした。

そして、ここ結構大事ですが、これは自分てこんな人間なのか!を探すことを目指しているわけではありません。知らずに発生している感情や心の揺れ、つまり心の作用に、まずは気付くためです。それだけでいい。


こう見ていくと、〈誤解〉も『心の作用には5種類あり、それらは、苦痛に満ちたもの(煩悩性のもの)、あるいは苦痛なきもの(非煩悩性のもの)である』であるということに、異論がないように思います。

学んだことを使っていく方法のもうひとつ。サンスクリット語の音読。今回もぜひお忘れなく。長めですががんばりましょー!


次回は、心の作用の3つめの〈ことばによる錯覚〉です。〈誤解〉と分けたそれってなんだについてのヨーガ・スートラ第1章9節は、こちらから⇩

※ 本記事の参考文献はこちらから。



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