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弟の命日に思うこと。

今日は、私の弟の命日である。

突然のことだった。あれから8年経つ。

いつも命日が近づいてくると、弟のことを思い出して身が引き締まる気持ちになる。

中学高校大学と、学生時代柔道に打ち込んでいた弟は、『自他共栄』という言葉が好きだった。

『自他共栄』
相手を敬い感謝することで信頼しあい助け合う心を育み、自分だけでなく他の人と共に栄える世の中にしようとすること。

柔道の創始者である嘉納治五郎が唱えた言葉だというこの言葉は彼の中での行動指針になっていて、私や家族に好きな言葉なんだ〜と教えてくれることもあったし、自分の机や持ち物にその言葉を入れることもあった。

だけど大学を出て社会の厳しさに揉まれるうちに、新たな価値観が上塗りされていき、それまでの価値観が隠れてしまっていたかもしれない。

あるいは理想と現実とのギャップに苦しんだかもしれない。

弟は亡くなる前の晩に文章を投稿していて、私は死後にそれを見て思わず書き留めていた。


『辛くてつぶれそうにならないと人は変われない。前にも言われたその言葉を今度は自分で自分に言い聞かせて進みます。

変わってやる。みてろよ。』

それがSNS上での弟の最後の言葉だったと思う。

私はどれだけ考えても、

辛くて過酷な思いをして自分をつぶそうとしてまで、変わらなければならないことってなんなんだろう、と

そうして変わらなければ生きていけない世界ってなんなんだろう、と
胸が締め付けられる思いになる。

それは、『自他共栄』の精神とはかけ離れたところにいる気がした。

と同時に、弟の『もがき』も伝わってきた。

元々もっていた、人を信じて自分を信じて共に助け合って支え合って成長していきたいという気持ち。

それで、そのままで、よかったのに。とも思う。姉の立場としては。

亡くなってしまった弟に、どんな思いだったのか改めて聞くことは叶わないけれど
人は、その時の環境や状況によって、体や心のバランスを崩したり、精神状態に大きな影響を受けてしまう。

弟に伝えることはもう叶わないけれど、同じように自分に厳しい目を向け追い込んで出口が見えない人がいたならば、

自分は今どんな状況なんだろう
変えたいものはなんだろう
今もっているものはなんだろう
本当に変えなきゃいけないことってあるのだろうか
自分が大事にしたいことはなんだろうか
どういう選択が自分にとって心地良いのか

一緒に考えていこう
自分を大事に自分を知っていこう

そういった、自分と向き合ってよりよい生き方をしていくための伴走者のような存在や場所があるととても助けになるのではないかと思う。

人間は一人ぼっちではなく、助けを求められる誰かはきっといるから。

孤独が心地良いからあえて選んでいる場合は別だけれど。(笑)


そして私は、死ぬまでの間にそういう仕事をしていきたい、とも思う。
誰かが自分の指針を自分で作っていくお手伝い。
それとともに、私自身を大事にしていくことも忘れずに。

そう考えると『自他共栄』は私自身の指針にもなっていくかもしれない。
私が動いて奮闘していくことが、弟への供養になるだろうか。なったら嬉しいとも思う。

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