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創作オペラの可能性


伝統となりうるものは、常にその時代の前衛でなければならないと思う

「新しさ」さえもないような作品が創作の名に価いするはずはないのである

「音楽芸術」1980年6月号のこの記事を最初に読んだ時から印象に残ったこの部分、折々に、これらの言葉に励まされてきました。
全文をどうぞお読みください。


 創作オペラということばは考えてみると少し奇妙である。オペラに限らないが、全ての作品は発表された時、創作であるはずである。それではなぜ創作オペラということばを使うのだろうか?それはおそらく日本で演奏されるオペラのほとんどがヨーロッパものの再演であり、我々日本人の作曲したものは例外としか思われないからである。しかしこの第二次大戦後だけをみても、かなりの新しいオペラが日本では作られているわけである。それが中に定着していかないというところに、いまだにこういうことを論ぜざるをえない問題点があるのだと思う。
 一時期、NHKがかなり、いわゆる日本人の創作オペラに力を入れたことがあり、いくつかの大作が生れたが、再演されたり、人々に親しまれるようになった曲はほとんどないと言ってよい淋しさである。その原因を考えれば多くのことがあげられるだろう。例えば、専用のオペラハウスがないために、上演に当っての費用が余分にかかりすぎること、上演回数が制限されるといったようなことがすぐ思い浮ぶことである。現在計画中の第二国立劇場が完成すれば、この点はある程度解決に近づくかもしれないが、私にとってはもっと根本的な重要な問題があるように思われてならないのである。それは今例にあげたような外面的なことと言うよりも、創作と言うことの内面にひそむもっと根本的なことである。このことはもちろんオペラに限らず全ての創作について言えることだが、ここではとにかくオペラに限定して議論を進めることにしよう。オペラと言うと一般的に思い浮べるのは、モーツァルト、ヴェルディ、ヴァーグナー、プッチーニなどであろうが、もし我々がオペラ創作のモデルとしてこれらの曲だけを頭においているのだとすれば、日本におけるオペラの発展の可能性はうすいものだと考えざるをえない。つまりそれらをモデルとして作る限り、たとえ一見良い作品と思われるものが出来ても、それは創作ではなくて模作オペラとしか言えないわけだからである。
 しかしながら日本での常識としては、まだそういう形が追い求められている場合が大部分であるような気 がする。それは結局、近世ヨーロッパ音楽が、音楽のモデルであるという観念がまだ非常に強いことを意味しているにちがいない。確かに十八世紀から二十世紀 にかけてヨーロッパが創り上げた音楽が、非常に優れたものを持ち、また普遍的に受け入れられる要素を持っていることは否定できないことである。
 しかしそれは、あくまでヨーロッパ人の文化であることを忘れてはならないだろう。さらに細かく考えてみると、例えばオペラと言うことばからも分るように、これはイタリーに起り、本質的にイタリー的な文化の産物であると言えないこともない。ヴァーグナーが楽劇と名づけたり、フランスでのドラムリリックと言う表現など、民族によってやや違う名称を用いていることも、そういう微妙なニュアンスの違いをあらわしたいからにちがいない。もちろんヨーロッパ文化圏は長年の間、互いに交流し合い影響し合っており、非常に大きく一つの基盤の上にのっていると言えるのであるから、我々がオペラとひとまとめにして言ってもそれはどの違和感がないのは当然である。しかしこまかく議論しようとすれば、そういった違いにまで目を向ける必要がでてくることになるのである。


 ところで我々日本の場合を考えると、今言ったような意味での共通の基盤がどこに求められるかという点から基本的に考えなおさなくてはならない。単に、ヨーロッパで優れた成果をあげた分野だからと言って、そのままの形で日本にうつしかえられるものではない。しかしオペラというものをその要素に分解して、例えばうたと音楽と演劇との総合芸術というふうに言いなおしてみれば、日本にも「能」とか「歌舞伎」とかいった伝統が立派に存在し、それが高度に洗練されてきていることはみとめてよいと思う。
 世界の諸民族を見るとき、かならずしも全ての民族がこのような形式の芸術を造り出しているとは限らないが、今述べたように、日本には既に長い伝統があることを見るとき、我々の今の進路もやはりそれに基盤をおかざるをえないのではないだろうか。ただしさきほど私は洗練されたといったようなことばを使ったのだが、すべての芸術がその発生のときから洗練されているということはありえないことだし、必要でもな いことであることを念を押しておきたい。洗練と言うことは、一つの芸術形式が伝統として継続されるようになり、反復されている過程のうちに行われるものなのであるから、例えば「能」とか「歌舞伎」のように伝承されてきたのは、高度に洗練されてきたわけである。 現在我々が鑑賞しているヨーロッパのオペラも、伝統芸術として洗練を重ねたものと言うべきなのである。
 つぎに考えるべきことは、舞台芸術、総合芸術というものの性質であるが、これは室内楽などと比較すれば対象として考える範囲の規模が全くちがうことは明らかである。室内楽は二、三百人から四、五百人の聴衆を想定しているとすると、舞台芸術の方は、一回に 二、三千人、しかもそれを連続して上演するだけの内容を考えなければならない。単純化して言えば、大衆性ということになるであろうが、少なくともなるべく多くの人に、直接的に理解されうるような性質のものでなければならない。私が最近作ったオペラは、近松門左衛門の「曽根崎心中」を題材に選んだのであるが、これもその意図の一半はそこにあったのである。つまり単に日本の伝統によりかかると言うのではなくて、我々がそれを上演するに当って、演ずる方もまた、聴衆の方も、その内容の理解に当って違和感がなるべく少なくなるであろうことを想定したのである。私は病気のため残念ながら四月十日の大阪での初演に立ち合えなかったが、私のこの意図はおおむね達成されたのではないかと思う。もちろんこの様式だけが唯一のものであると考えるわけではないけれども、一つの方向として十分成り立ちうるものであると考えている。


 ここで最初の創作と言う問題にもう一度立ち戻ってみよう。ここまでに私は日本の伝統とのつながりについて、かなり強調したつもりであるが、しかし単に伝統を受け継ぐとか、伝統を発展させるというだけの考え方で進むならば、それはやはり創作ではなくて、模作であると言わざるをえないであろう。明治の開国以来、我々は既にヨーロッパの音楽に十分慣れ親しんでいるし、その中の要素が我々に影響を与えていることも否定できない事実なのである。そしてあらゆる時代において、創作とは、その時点におけるすべての要素を総合しうるようなものでなければならない。このことは歴史的にみても分ることで、日本の能楽の発展や、歌舞伎の展開をみても分ることだし、ヨーロッパのオペラで言えば、フィレンツェのカメラータから、例えば、アルバン・ベルクの《ヴォツェック》までの様式の変遷、発展をみても、納得できることである。いつも言っていることだが、伝統となりうるものは、常にその時代の前衛でなければならないと思う。ヴァレリーは、たしか「新しさはもっとも早く消えさる要素である」と言ったと思うが、これは一見、新しさを否定しているようで、実はちがうのではないかと思う。たしかに新しさだけが要素であるとすれば、そういった芸術は間もなく消えさるだろうが、「新しさ」さえもないような作品が創作の名に価いするはずはないのである。
 結論的にまとめてみよう。私の考える創作オペラの可能性は、基盤を日本の伝統的な諸要素の上に置かなければならない。しかも、それと同時に、現在の我々が生きている環境にふさわしい諸要素を総合的に表現してゆくものでなければならない。この方向に進む時、そこに新しい可能性が生れてくるのであろう。そうでなければ、さきほども述べたように、一見どのようにたくみに作られている作品でも、それは結局模作であって、その新しい芸術の出発点とはなりえないのである(入院中のため、論旨、やや不徹底の感があるのをご容赦願いたい)。

(昭和五十五年五月七日、慶応病院にて。口述筆記による)
(いりの よしろう作曲家)

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