賢い子でいる為に。

※決して自慢では無いです。
私が今まで苦しんできた、「賢い」について話します。

私は高校で学年トップの成績だった。

私の高校では誰が成績上位なのか発表される制度だった。

テストでは毎回全教科90点以上。先生や保護者である祖父母、周りの同級生には毎回テストでいい点をとる度に、「頭いいね」、「賢い」と言われ続けて育った。

そんな私の勉強法は…無かった。

「無かった」というより、私には少しほかの人とは違う方法でテストを攻略していた。

私には発達障害がある代わりに映像記憶という能力があった。

生まれつき、覚えようと意識した景色、文字なんかは写真のように記憶される能力があった。

テストでは教科書やノートを前日に映像記憶しておいて、テストの答案に覚えた答えを移していただけだった。その為、暗記科目は得意だった。
教科書丸々1冊暗記することも可能だった。

ただ、それだけで、「賢い」と言われた。

言わばカンニングをしているのと変わらないと思っていた。
少し後ろめたさはあったものの、いい企業に就職するには、学年トップの成績が必要だった。

私は無事大手自動車メーカーに就職することが出来た。

しかし、この能力には限界があり、衝撃的な記憶でない限り、3日もするとその記憶はさっぱり忘れてしまう。

何が言いたいかというと、私は世間一般の「賢い」の皮を被った、「バカ」だった。

映像記憶しているだけなので、授業の内容を理解してテストを解いた訳ではない。

しかし、ADHDの私は授業中に集中して授業を受けるのが困難だった。

いい企業に就職する為にはこの力に頼るしか無かった。

本当は頭がいい訳では無いのに、周りからの期待に答えるのが苦しかった。

特に困ったのは就職してから。

聴覚障害のある私は、聴覚の情報を記憶することが出来なかった為、仕事内容をメモしたノートを記憶して、仕事するしか無かった。

そのノートを作るために睡眠時間を削った。
記憶しても、思い出しながら作業をするというマルチタスクについていけなかった。

だがそれでも食らいつき、朝は誰よりも早く出社し、その日の内容を暗記。お昼も午後の仕事を暗記。帰っても暗記。

と、取ってつけたような力で、毎日をやり過ごしていた。

周りからの評価は良かった。「仕事できるね」、
「賢いね」と。

その「賢い」という周りの評価に苦しめられた私は、
120%の力を出して、普通の人の80%位の能力だった。

限界はとっくに超えていた。それでも周りの評価が嬉しくて頑張った。とにかく必死に頑張った。
周りなんて見えてなかった。

その結果、疲れて死にたいと思うようになった。
いつか、「バカ」な私が晒される前に「賢い」皮を被った私のまま死にたいと思うようになってしまった。

人間何事も限界を超えると必ずいつか潰れる。

その事にやっと気づけたのはごく最近だ。

復職しても、120%の力でやってた私が、急に80%の力で仕事をし始めたらきっと周りは「なんて仕事ができないやつだ」と思うだろう。

そのギャップに今も苦しめられ、「賢い」という言葉の呪縛から抜け出せないでいる。

解決方法は今でも分かってない。

一体私はこの先どう生きていけばいいのか、分からない。

この悩みは中々解決しないだろうと思う。

苦しいまま生きていくのか、答えは分からない。

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