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第17回 如何にして岡八郎は空手を通信教育で学んだのか?

【前回までのあらすじ】
バナナ農園のストライキが労働争議と駅前での大虐殺という最悪な結果を迎えて以来、マコンドに雨が降り続いた。アウレリャノ・セグンドはペトラ・コテスと愛を交わそうとして、「そんなことしてる時じゃないわ」と拒まれた。屋敷の周りを埋蔵金を求めて掘り返すばかりで、家のことは任せっきりの彼に、フェルナンダは堪忍袋の緒が切れた。代わりに読む「私」は「そんなことしてる時じゃないわ」という言葉を手掛かりに、感動のあまりコピーせざるを得ない私たちについて思索を巡らせた。

マコンドの長い雨が上がり、「一帯に焼けるような土埃が舞」うようになると、ウルスラは頻繁に正気に返るようになった。「子供たちにおもちゃにされていたことを知って情けなくなり、ウルスラは泣いた」。しかし、屋敷が雨やアウレリャノ・セグンドの発掘で台なしになり、「家族の者があきらめと悲哀に取り憑かれていることを知」ると、彼女は「気力ひとつで、闇のなかで方角を見さだめた」(p.383)。

「こんなにだらしないことで、どうするの」(p.384)

そう家族のものを追い立てる「彼女は一瞬も休まなかった。あたりが暗いうちに起きて、手のすいている者は子供まで使った。…服を日に当て…殺虫剤の奇襲をかけて、ごきぶりを追い払った。…昔に戻したいという熱意に駆られて、見捨てられていた部屋をのぞいて回った」(p.384)のだった。


近藤麻理恵 / 人生がときめく片づけの魔法

「どんどん捨てましょう。ときめかないモノは感謝してから」と画面の中で近藤麻理恵は声を上げていた。『人生がときめく片づけの魔法』で一躍脚光を浴びた、片づけの魔術士・こんまりこと近藤麻理恵は、まさに崩壊していく屋敷の立て直しに必死のウルスラそのものだった。

彼女は小学生のころから片付け魔だった。近藤は言う。「一番の楽しみは、主婦向けの生活雑誌を読むことだった」([3] p.24)。「けれど、私にはどうしても越えられない悩みが一つありました。どこを片づけても、しばらくすると元の状態に戻っているのです。牛乳パックでつくった仕切りからは文房具があふれ、ビデオテープでつくったラックは郵便物でパンパンになり…」。

彼女は当時、こう考えていた。「しかたない。片づけはリバウンドするものなのだから」([3] p.25) いや、ちがうと私は声を出す。そこはマコンドだったんだ。そうでなければ、そんなことが勝手に起るはずがない。そんなある日、近藤がリバウンドしない掃除術を編み出した。「何の考えもなしに、いきなりモノを捨てはじめてしまうのは、それこそリバウンド地獄に自ら身を投じるようなもので」ある。大切なのは「片づけることで、いったい何を手に入れたい」か、そしてその先にある「理想の暮らしを考える」([3] p.55)ことだと言う。そして、「モノを一つひとつ手にとり、ときめくモノは残し、ときめかないモノは捨てる」([3] p.63)のである。

いくつか注意せねばならないことがあった。「絶対にやってはいけないのは、場所別に捨てはじめてしまうこと。「寝室を片づけ終わってからリビングに手をつけよう」…と考えがちですが、これは致命的な間違いです」([3] p.65)。だから、彼女は屋敷のすべての部屋を例外なく開けていった。

サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダは彼女をメルキアデスの部屋に近づけまいとしたが、決意は固く、「三日もねばり抜いたあげく、部屋を開けさせることに成功した」(p.384)のだ。

近藤は言う。「お客様の家を片づけていて…本当の意味で驚くのは、ふつうの家庭で、誰でもあたりまえのように持っているモノを信じられない量で発見したとき」([3] p.162)であると。「たとえばあるお客様の家で発見されたのは大量の歯ブラシ。…キッチンの定番ラップでは、ストック三〇本。…トイレットペーパーのストックでは八〇ロール。…極めつきは綿棒のストック、なんと二万本。」(pp.163-164)

彼女は悪臭とともに「寄宿生たちが使った七十二個のおまるがそこにしまってあること」、ホセ・アルカディオ・セグンドがそこにいることを思い出した。ついに近藤はブエンディア家の屋敷で、人類が体験のしたことのない驚愕のストックに対面したのだった。

「姿が見えているように、叫んだ」。「しょうのない子だね。...こんな豚みたいな暮らしをして!」(p.385)
そうウルスラが嘆くと、彼はこう返した。
「仕方ないさ。時がたったんだもの」

彼女はそれがかつて「死刑囚の独房にいた(息子の)アウレリャノ・ブエンディア大佐と同じ返事」だと気付き、「時は少しも流れず、ただ堂々めぐりをしているだけであることをあらためて知り、身震いした」が、 なんとしても彼女は部屋から彼を出そうとした。「ホセ・アルカディオ・セグンドはパニックに落ちいった。何と言われようと外には出ない、…死体を積んでマコンドから海へ向かう二百両連結の列車を見るのはまっぴらだ、と叫んだ」(p.385)。「そら、駅にいた連中だよ。みんなで三千四百八名さ」

近藤は言う。「思い出品は、片づけ初心者が最初に手をつけてもよいシロモノではありません」([3] p.68)。というのも、「それらを捨てると、大事な思い出さえも忘れてしまうような気がする」([3] p.154)からだ。でも、「忘れてもいいような過去の思い出はとっとと忘れたほうが、これからの人生を考えると、いいと思いませんか。」「人は「過去を生きられるわけではありません。今ときめくことのほうがもっともっと大事だと、私は思います」([3] p.154)

過去の記憶や思い出も整理しなくてはいけないのだろうか? 過去の記憶を整理させてしまう「ときめく」とはいったいどういうことなのか。ときめきなどなくても、ただ哀しいだけの事実であっても、記憶しつづけるべきことがあるかもしれないではないか。近藤は言う「ときめくかどうか。心にたずねたときの、その感情を信じてください」([3] p.170)と。ここで、ウルスラは近藤と完全に袂を分かった。

結局、彼女はホセ・アルカディオ・セグンドに「そのまま部屋にいることを許したが、そのかわり、南京錠を掛けるのをやめさせた。毎日掃除をさせ、ひとつを残しておまるをごみ捨て場に追いやった」(p.386)のだった。無理をすることはない。この近藤麻理恵の掃除術も感謝して葬り去った。

「アウレリャノ・セグンドは、ふたたび…ペトラ・コテスのもとに腰をすえ…動物たちを買い入れ、お粗末ながら富くじの商売を立てなおした」のだった。街の人々は「あわよくばという期待をいだいて、火曜日の晩になるとペトラ・コテスの家の中庭に押し掛け…間もなく、それは毎週ひらかれる定期的な市になった」(p.387)のだった。

「夕方ごろから揚げ物や飲み物の屋台が中庭にあらわれ」るほど盛況だったが、逆に「この馬鹿騒ぎのおかげで、アウレリャノ・セグンドは、いかに気力が衰えたかを…思い知らされた」(p.387)。

「ところがペトラ・コテスは、このころほど彼を好もしく思ったことはなかった」(p.388)のである。ふたりは忙しく働き、必死にお金の勘定をした。「これは、フェルナンダを喜ばせるために。あれは、アタランタ・ウルスラの靴を買うために」(p.388) あの子のために、この子のために。

「しかし、いくらあくせく働いてお金を倹約してみても」(p.389)

一生懸命に働いて、節約もしているのに、貯金がたまらないと嘆いていませんかと恫喝する家計コンサルタントの甲高い声、でもね、よく見てください、保険に150センタボ、スマホに200センタボ、コーヒーは嗜好品ですよ、ポイントはね、投資と浪費に仕分けをすることなんです、それから固定費、

バカじゃないのか? アウレリャノ・セグンドは耳を疑った。どの出費も家族のためじゃないか。

教育費は投資だといって、際限なく支出してませんか、もちろん、その気持ちはわかりますよ、でもね、身の丈というものがあります、こちらの言うことも聞かずに、分かった顔の家計コンサルタントがあれこれ言うのが電話口から聞こえてくる、もういい、放っておいてくれ、

「アマランタ・ウルスラを生徒六名の私立学校に入れた」(p.390)

一方、「アウレリャノの場合は、公立の学校に通うことさえ許さなかった」が、そのおかげで彼は「何時間もひとりで百科事典の挿画をながめ」ることになった。その姿はすっかりアウレリャノ・ブエンディア大佐のようだったので、ウルスラは「またもや息子と彼をごっちゃにした」(p.391)。ウルスラには過去と現在が混濁していた。

「豚のしっぽのある子が生まれるといけないから、同じブエンディア家の血筋の者を結婚させないように、という実際的な忠告」を残して、「聖週間の木曜日の朝、ウルスラは息を引き取った。」「アウレリャノ・セグンドはこの錯乱状態を利用して、埋蔵金の隠し場所を言わせようとしたが」(p.393)、最後まで決して彼女は明かさなかった。たて続けに、その年の暮れにはみんなにすっかり忘れられてしまったレベーカが死んだのだった。

ふとここで、私はA子のことを思い出し、また長い間A子のことを忘れていた自分に唖然としていた。ときめかなければ捨てればいいと近藤は言ったが、彼女の力を借りなくても「忘却は貪欲だった。思い出を少しずつ、だが容赦なくむしばんでいった」。「ネールランディア協定を記念」して、アウレリャノ・ブエンディア大佐に「勲章を、何としても渡すという目的」で「大統領使節の一行がマコンドを訪れたが」(p.395)、町ではその名はすっかり忘れられ、知るものを見つけるのに時間を要した。新しく派遣されてきたアウグスト・アンヘルという神父も、「あたりに瀰漫した投げやりな雰囲気と、すべてを老朽化させ役に立たないものにしてしまう熱い塵や、昼食のミートボールのせいで日盛りに襲う睡魔などに屈服させられた」(p.396)。マコンドで荒れ廃れていく流れに彼らは従う定めなのだろうか。

しかし、不可能に挑戦するものもあった。フェルナンダは手紙とテレパシーを用いた、遠方の医師との遠隔医療に臨んでいたのである。「彼女は約束の日時に寝室にこもり、白いシーツだけをまとって北枕で横になった。…目覚めたときには、…鼠蹊部から胸部にかけて…大きな縫い目が走っていた」。遠方の医師たちの「手紙によると、…精密検査を行ったが」、彼女が訴えていた症状の「徴候は、どこにも見当たらないということだった」。「テレパシーの得意な医師たちが発見したのは、ペッサリーの使用によって容易に矯正できる子宮の下垂にすぎなかった」(p.397)。フェルナンダは息子に「事情を打ち明けて、ローマからわざわざペッサリーを送ってもらった」(p.398)。

不可能を可能にすることができるのだと私は思う。ここで考えるべきは、80年代に偉業を成し遂げた喜劇俳優、岡八郎のことだ。

街の食堂を営む夫婦のもとに柄の悪い借金取りがやってくる。金返せへんのやったら、この可愛らしい娘を連れて行こかと脅し、店の机や椅子を蹴散らかす。じっと居座る借金取りを怖がって客はみな帰ってしまい、商売にならない。たったひとり、店の隅で酒を飲んでいたのが岡八郎だ。

食堂の岡八郎

「頼みますわ。なんとかしてください。私ら商売できまへんねん」と訴える店主に、
「ほな、任しとき。」と言って、彼は立ち上がった。

「おう、お前らなぁ、ええ加減にしとけよ。なんやったら、わしと勝負するか?」
と上着を脱ぎ、腕を振り回す。可笑しな中腰でパンチを繰り出す。なんやなんやと相手が少しビビりだしたところで岡は宣言する。

かかってこんかいと相手を挑発する岡八郎

「掛かってこんかい! 言うとくけどな、わしはなぁ、学生の頃なあ、ピンポンやっとったんや」

相手は一斉にこける。しかし油断した相手にさらにこうも言う。

「それからなあ、わしはなあ、空手五段やぞ」

再び緊張が走る。

「通信教育やけどな」

舞台上で全員がこける演者

どっと笑いが起こる。岡八郎はどのようにして通信教育で空手を身につけたのだろうか? ヤクザとの喧嘩で、あるいはまた違う場面でも確かに相手に啖呵を切る岡八郎を私たちは目撃した。彼はよほど腕に自信があったに違いない。ところが、私たちには彼がどのようにしてその術を身につけたのかがわからない。たしかに目の前に人が浮かんでいるが、それを実現する手段がわからない。ミッシングリンクだ。

観客は、フェルナンダや岡八郎のことを笑う。どうしてだろうと私は思う。岡八郎はたしかに通信教育で空手を学んだ。目の前に空手の強い男がおり、それ自体は何も不思議はない。ところが、通信教育では空手は身につかないのではないかと私たちは考える。なぜ、通信教育では無理なのか。通信教育で身につくタイプの、あるいは通信教育だからこそ身につくタイプの技能だってあるじゃないか。私はその境界が何であるのか、瞬時には答えられない。人によって微妙に異なるこの可能と不可能の認知のズレが私たちに可笑しさをもたらしているのかもしれない。さらに、この認知のズレは実際の境界とも違うかもしれない。そして、そこにこそ、不可能を可能にするような梃子が存在しないだろうか。

私は「代わりに読む」ことを目指しつつ、どうやればいいのかがわからない。誰かのためなら、あるいは特定の本なら代わりに読めるだろうか。通信教育なら代わりに読めるようになるだろうか。誰かがすでにこの問題に取り組み解決しているかもしれぬという期待を胸に、私は思いを巡らせた。

フェルナンダの娘、「アマランタ・ウルスラは、それまでウルスラを悩ませるのについやしていた時間を学校の宿題に使い、頭の良さと勉強好きなところを示しはじめた」。アウレリャノ・セグンドは「彼女をブリュッセルに遊学させる約束をし」(p.398)、その実現に向けて仕事に励んだ。

一方、孫のアウレリャノは「家にこもりっきりの生活や孤独を好」(p.398)んだ。「やがて誰も知らないうちに、ホセ・アルカディオ・セグンドと強い愛情で結ばれるようになった」。誰もが信じなかったアウレリャノ・セグンドの記憶と歴史を忠実に彼が理解するようになったからだ。「ある日、バナナ会社に見捨てられてから町がすっかりさびれてしまった、と」誰かがこぼすとアウレリャノ少年は「バナナ会社が混乱させ」たのでありそれまでは「正しい道を歩む栄えた町だった」と間違いをただした。それは「博士らに囲まれたイエスもかくやと思われるほどしっかりとした話し方」(p.399)で、さらに駅前の大虐殺や死体を積んだ列車について語ったのだ。

「羊皮紙の神秘的な文字の分類にも成功していた」(p.400)ホセ・アルカディオ・セグンドは彼に「読み書きを教え、羊皮紙の研究の手ほどきをし」(p.399)た。彼はそのアルファベットを「英語の百科事典で見た」ことがあるといい、「事実、二つはまったく同じものだった」(p.400)。

富くじを思いついたころ、「アウレリャノ・セグンドは喉に何かがつかえているような感じがして目をさました」(p.400) 。そのことを話すとペトラ・コテスは「俗信めいた」民間療法に頼り、今では占い師のピラル・テルネラは妻の「フェルナンダが写真をピンで刺すという評判の悪い手を用い」(p.401)ているのだと推測した。

すぐに彼は「妻の隙をうかがって屋敷じゅうを掻き回し」たが、写真に刺したピンは見当たらず、代わりに衣裳だんすの底に見つけたのは、半ダースのペッサリーだった。ピラル・テルネラはそれを「持ってこさへて中庭で燃やした」(p.401)。

半年ほどして再び彼は真夜中に「咳の発作に襲われ」て目をさまし「死期は遠くないことを悟った」(p.401)。彼は死ぬ前に娘を必ずブリュッセルに遣りたいと思い、「週に一回ではなく三回も富くじを売りだした」(p.402)のだが、「こんな豚や山羊のくじ引きくらいでは、とうてい娘をブリュッセルへはやれないと悟った」(p.405) のだ。

もはや、彼に家計コンサルタントの声は聞こえなかった。もっと違うものの声が聴こえていたのかもしれない。彼はとうとう「洪水で荒れて」しまった「土地のくじ引き」という「実に素晴らしいアイデア」を思いつき、「一週間たらずで売り切れ」(p.402)、そのおかげで「アマランタ・ウルスラはブリュッセルに旅立った」(p.403)のであった。重荷が下りたアウレリャノ・セグンドはなんとか間に合ったと胸をなでおろしただろう。

「アウレリャノ・セグンドは、娘から投げキッスをされても手を振るのがやっとだった。…夫婦は…その場に立ちつくしていた。婚礼の日以来、これが初めてだったが腕を組んで、汽車が地平線のかなたの黒い一点となるのをいつまでもながめていた」(p.404)のだった。

「ブリュッセルから最初の手紙が届けられる前の八月九日、メルキアデスの部屋でアウレリャノと話をしていたホセ・アルカディオ・セグンド」(p.404)は、「三千人以上の人間が海に捨てられたんだ」と何気なく呟いた。彼は「そう言ったとたんに羊皮紙の上に突っ伏して、目を開けたまま息絶え」、「同じ時刻にフェルナンダのベッドの上で、彼のふたごの弟もまた、…長い苦しみから解放された」のだった。「そろいの棺桶におさめられた」ふたごは「少年時代までそうであったように、ふたたび瓜ふたつの姿に戻った」(p.405)。

再び声がした。ときめないものは捨てましょう、と今夜も近藤が画面の中で唱えている! だがその実現は遠い。埋葬は混乱し、雑なものになった。

「悲しみを酒でまぎらわしながらふたりの遺体を屋敷からかつぎ出した男たちは、どっちがどっちかわからなくなり、棺桶を間違った穴に埋めてしまった」(p.406)のである。

参考文献
1. ガブリエル・ガルシア=マルケス,『百年の孤独』(鼓直訳), 新潮社, 2006.
2. Gabriel García Márquez, “Cien años de soledad,” 1967.
3. 近藤麻理恵, 『人生がときめく片づけの魔法』, サンマーク出版, 2010.
4. 吉本新喜劇, 1964-.

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