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子どもは、親の作品ではない。また、子どもの人生は親の成功のためにあるのでもない。

「わたしが赤ちゃんだった時、大変だったの?」

帰り道。娘が僕を見上げながらそう聞いた。

「うーん。まあまあ大変だったよ。夜とかすぐ起きてたから、パパとママが交代で起きてたんだよ」

大変だったエピソードを話すと娘はとても嬉しそうな顔をした。
そして自信満々に言うのだ。

「いまは、ひとりでできるからね!」

小学2年生。娘は夜もあっという間にコロンと眠るし、朝も勝手に起きる。身支度も、ご飯を食べるのも、自分のことはほとんど自分でできるようになった。

子どもの成長は早い。
とくに小学生になってからは、ぼくと娘は別の人生を歩む、別の人間なんだってことをヒシヒシと感じる。

子どもは、親の作品ではない。
また、子どもの人生は親の成功のためにあるのでもない。

子どもが生まれる前から、ずっとそう思っていた。

でも、子育てをしていると、そういう親の気持ちもよく分かるようになる。

自分の子が、他の子ができないことができていたら嬉しい。つい、わが家の教育方針の一つも語りたくなる。
「こうすれば、子どもは変わるよ」なんて言ってみたくなる。

子どもへの誇らしさは、子育てにすべてを捧げている自分の承認欲求を満たす材料になる。わが子が褒めらると、まるで自分を肯定してもらえたような気持ちになるのだ。

以前、子どもがあんまりご飯を食べないって記事を書いたら、山ほどアドバイスを頂いた。自分の成功の方法は人に話したくなる。

人にちょっとわが子を自慢したい。誇りたい。

そのくらいならいいのだ。

問題は、わが子の失敗談を卑下せずに受け入れられるかどうか。
子どもが宿題をしないって問題を「自分の子育てが間違っているんだ」と自分の問題にすり替えてしまってないか。

子どもの問題は、子どもの物だ。
親が勝手に奪ってはいけない。

子どもの成功も、子どもの問題も。
親が奪ってしまったら、それは子どもの人生を奪うことになる。

子どもが試合に負けたとき、受験で失敗したとき。
子ども以上に親が悲しんで何になる?

子どもの悔しがるチャンスを勝手に奪わず、しっかりと悔しがらせてあげなくちゃ。
親は、子どもが次のステップを踏み出せるように寄り添っていればいいんだろう。

娘は、どんどんぼくや妻の手を離れていく。
彼女の力で、自分の好きな道を歩くようになる。

彼女が、安心して自分の道を歩けるように、いつでも帰ってこられる存在であること。

ぼくが理想とする親像なんて、その程度で120点だ。
自分の人生を、自分の足で歩み始めた娘を見てるとそんな気がしてくる。

では、また明日。


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