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親として「子どもにどうなって欲しいか」が全くない理由。

「子どもにどうなって欲しいか」について考える機会がありました。
たぶん、多くの親が一度は考えたことのあるテーマだと思います。ほかの親御さんとそこまで深く、わが子のことについて話し合ったことはないのでわかりませんが、みんなわが子にどうなって欲しいと思っているのだろう。

子どもに「こうなって欲しい」がない

ぼくは娘に対して「こうなって欲しい」ということがほとんど思い浮かびませんでした。まだ5歳ですが、彼女には彼女の人生があり、それは当然ぼくの人生ではないので好きにすればいいと思っています。

「好きにすればいい」とは言え、犯罪でもなんでもという極端なことではありません。ぼくは自由の基本的な理解の中に「自由の相互承認」が含まれると考えているので、他人の自由を侵害するような自分勝手な自由を本当の自由とは考えていません。

ひと昔前なら「自分が成し得なかった想いを子に託す」みたいな人も多かったかもしれません。
また、自分のコンプレックスを反面教師に、自分とは違った生き方を望むケースもあるかもしれません。
自分の成功体験をもとに、同じような価値観で生きて欲しい、なんて人もいるかもしれません。

他にも色々と考えましたが、やっぱり「どうなって欲しい」は思い浮かびません。
優しい子、賢い子、リーダーシップのある子、グローバルに活躍できる子。
まあ、本人がそう望むのならそれもいい。けど、ぼくが娘にそうなって欲しいかと問われれば、べつに思いません。

つまり「君の人生だから、君の好きに生きたらいい」とだけ思っています。

「好きに生きる」のは結構難しい

そうはいっても、好きに生きるって難しい。
本当に好き勝手やってても、好きに生きられるようにはなりません。好きに生きるには、自分の人生を選択していける力が必要になります。

※※※

娘が生まれたばかりの頃は何よりも「生存」が子育てのウエイトのほとんどを占めていました。
でも、これから小学校に入って本格的な教育がスタートするフェーズ。すると主体的な学びが増えていきます。

親として、この段階で娘に身につけてもらいたいのはこの「自分の人生を選択していける力」だなと思いました。

学びは抽象度の高いことから、具体的なことへと変わっていく

「自分の人生を選択していける力」ってとても抽象的です。英語とか算数とか読む力とかのほうが手触り感もある。

でも、子どもの学びって抽象度の高いことから、少しずつ具体的なことへと変わっていけばいいのではないかと思っています。

たとえば、子どもが「遊び」から学ぶのは、滑り台の上手な滑り方でも、鬼ごっこで勝つための戦略でも、のぼり棒の登り方でもありません。

みんなが学んでいるのは「遊ぶって楽しい!」とか「お友達と一緒になにかする」とか「高いところって面白いけど、怖い!」とかです。
滑り台の滑り方や、鬼ごっこ戦略よりもずっと抽象的でふわっとしてる。
これらが、めちゃくちゃ大切だと思うのです。

でも、大きくなってくると鬼ごっこは「走る」という競技になったり、ボール遊びはサッカーや野球というスポーツになったりします。
そうすると、投げ方、蹴り方、戦略など具体的な学びになっていきます。

なので、具体的な学びとの出会いになる小学生のころは何を学ぶかよりも、どういった形で学びと出会うかがずっと大切だと思うのです。

子どもと学びの出会いが楽しい出会いになり、「学ぶことは君の人生の敵ではなくて味方なんだよ」ということが伝わる環境を選ぶ。

それが、親としてできる教育のなかで、もっとも大切なことなのかなと考えています。

自分の人生を人(親)のせいにしないで欲しい。

「自分で、自分の人生を選択していける力を身につけて欲しい」のは、もちろん娘のためでもありますが、僕のためでもあります(笑)

子育てが一段落したころに、娘から「親のせいでこんな人生になった」なんて思われるのはまっぴらゴメン。

そうならないためにも、どんな大人になったって、何をしたって構わないから自分の人生を人のせいにしなくてもいいだけの力は育みたい。

細かいようですがこれは「自分の人生を自分で選択していける子になって欲しい」ということではなくて、「自分の人生を自分で選択していける力を育むのは、親としてぼくが大切にしたいことだよな」ということです。

ま、同じようなものかもしれませんが、違うのはあくまでもぼくの大切にしたいことであり、娘がそれをどう受けとめるかは娘次第だなということ。

「子どもにどうなって欲しいか」よりも大切にしてること

こう考えると、子どもにどうなって欲しいかよりも子どもが一生使える学びの土台をどうやって築いていくか、のほうが遥かに大切な気がしました。

その土台の上にはじめて「どうなるか」を自分で築いて行くのであって、その基礎工事ができていないうちから「子どもを○○な人材へ」みたいなのもおかしな話だよなって思います。

自分が自分の人生においてどうなるか、なんてのは親や他人が決めることでもない。そんなことよりも、それを自分で考えて決めていける力を、人生の土台としてしっかりとはぐくむことが、いまやるべきことかなと考えています。

では、また明日。

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