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肩書を捨てて生きる。〜ビジョン・ワーカーという生き方〜

自分が大切にしたいことを、ちゃんと大切にしながら生きていきたい

言葉にしてしまえばなんとも当たり前で陳腐にも聞こえるけど、ぼくはわりと真剣にそう思っている。

いまの自分は、娘とともに過ごす時間や、彼女が心地よく学べる教育環境を整えてあげることに人生を費やしている。
仕事でいえば、”自分の関心事を仕事にする”という働き方にシフトしている。

そして、そうした生き方をするのに”肩書”がなんだか邪魔になってきた。

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自分に関して言えば、もともとフリーランスのような状態でNPOを運営してきた。だから肩書なんてあってないようなものだったかもしれない。

だけど、たとえば不登校のことを調べようと取材をする際に自分のことをなんと紹介したらいいのかわからなかった。
ライターでもない、どこかのメディアに所属しているわけでもない。
でも自分の団体の活動とも領域が違う。

肩書という存在が、とても息苦しかった。

あなたがもし副業や複業をしていたら、この気持ちと近い思いをしたことがあるかもしれない。
肩書って、自己紹介をするときにとても便利なのだ。

便利ではあるのだけど、一方で自分の活動領域を囲い込んでしまうものでもある。”家事シェア研究家”と名乗ってしまったら「家事シェアのことを教えてくれる人なんだ」とだけ思われる。

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いま、そんな自分の生き方や働き方を考えたときに、自分のことをなんと言えばいいのだろうかと、ぼんやりと思った。

複業で働いている人のことを「ポートフォリオ・ワーカー」と言ったりするらしい。

確かに近い。でも、少し違う気がする。ぼくは別に複業をしたいわけじゃない。自分がしたいのは”自分が大切にしたいことを、ちゃんと大切にしながら生きる”ということなのだ。

だから、どちらかというと「ビジョン・ワーカー」という感じかもしれない。

▷ ビジョン・ワーカーという生き方

ビジョン・ワーカーという言葉はいま、ぼくが適当につけた言葉だけど定義つけるとしたら、「自分のビジョンに即した働き方をする人」だろうか。

職種やスキルではなくて、もっと根底にあるビジョンを軸に動く人。

あなたの周りに、自分が実現したい社会像や、未来に向けて仕事をする人っていませんか?
自分が守りたい価値観や大切にしていることのために、軽やかに動き回る人っていませんか?

ぼくはもっとも身近な妻が、まさにビジョンドリヴンな生き方をする人です。
それ以外にも、そういう働き方をしている友人がたくさんいます。

そういう人たちに共通しているのは、自分が信じるビジョンを達成するために職場も職種も働き方も生き方までもしなやかに変えていけるところ。

でも、手当たりしだいになんでもやるわけじゃなくて、常にその決断はビジョンにしっかり根ざしている。だから、そういう人たちの生き方って、しなやかに魅力的に見えるのだろうと思うのです。


ぼくはこれまでずっと、自分の職種にとらわれていたように思う。
でもこれからは、職種や肩書からもっと自由に生きていきたい。

この3年間ずっと思い続けていたことがあります。

それは”未来を編む人であれ”。

未来は、自分の子どものことであり、たくさんの子どもたちのことであり、自分の願う社会のあり方でもある。

自分なりのやり方で、そういう未来を編むような生き方をしたいと思うのです。それが、ぼくのビジョンです。


人それぞれ、大切にしたいことも実現したいことも違うと思います。どんなビジョンを描いていようとも、それを軸に人生を決断していく。

自分が大切にしたいことを、ちゃんと大切にしながら生きていきる。
ビジョン・ワーカーという生き方をする人が、これからもっともっと増えていくのだろうなと思いました。

では、また明日。

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