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家族”を”幸せにするなんて独りよがりを辞めた夜。

娘があと2ヶ月弱で小学生になる。

これまでたくさんの妊娠期、乳幼児期の親御さん向けに講座を行い、文章も書いてきました。
もちろんこれからも自分の経験を伝えていく場として、役に立てるのなら話し続けていくし、書き続けていきたいと思っている。
だけど、ぼくの子育てフェーズは(当たり前だけど)どんどん先へ進んでいき、いまのところ再び乳幼児育児をする予定はありません。

本当に、すばらしい6年間でした。

娘がかわいい、ということだけではなくて。
「子育て」を通じて、家族の絆はよりしなやかで強固なものへとなっていったと感じるのです。

きっと、子育てや家事に対するジェンダーバイアスから開放され、一生懸命に家庭と携わってきた親御さんたちは、同じような気持ちでいるんじゃないかなと想像します。
実際、すこし目を閉じてみるだけで何人ものそんなパパ、ママの顔が思い浮かんできます。

今日は「男が家事育児に人生の軸足を置くなんて…」と二の足を踏んでしまう方に向けて、少しだけその素晴らしさをお伝えできればと思います。


▷ 「生きる」ことに本当に幸せを感じるようになった。

家事育児が日常になることで得られる幸せとは。べつに家事が楽しいとか、料理を好きになったとかそういうことじゃないのです。

幸せを感じるようになった最大の理由はシンプルで、

娘や妻、つまり家族に必要とされ、必要とする関係性を築くことができたから。

です。一番身近な人たちが、誰よりも自分のことを信じて頼りにしてくれたら、それだけで充分幸せを感じることができると思いませんか。

でも最初からぼくはそう思っていたわけではありませんでした。


▷「家事育児をするために、仕事を調整するようになった」そして「大事なものを失っている」ような気持ちになった。

もともとぼくは「できる範囲で」家庭のことをやろうと思ってはいました。
男だから仕事最優先だし、遅くなったりするのも当たり前。
実際、結婚するまではそうやって生きてきた。

それが、娘が産まれて「できる範囲」を一生懸命調整するようになったのです。

保育園のお迎えに間に合うように6時には仕事を終えられるように調整して。ご飯をつくって、交代で寝かしつけをして、夜中や早朝に仕事をする毎日。

一生懸命稼がなくちゃならないし、家事育児もしなくちゃいけない。
その責任やプレッシャーはそのままに労働時間を短くして、家族につくす日々。

こうした暮らしにだんだん苦しさを覚えるようになっていきました。


▷ 娘をかわいいと思えなくなった夜。いまは、家族とともに生きる人生にシフトする覚悟を決めた。

寝不足が続いたある夜、いつまでも泣き止まない赤ちゃんの娘を見て、心底むかつきました。

「なんでこんなにがんばってあやしてるのに、いつまでもいつまでも泣き止まないんだよ」って。
そして、むすめをベビーベッドに放置したまま気絶するように朝まで眠り込んでしまったのです。

これは、ぼくにとっていまでも鮮明に覚えている辛い出来事。

「このままじゃ、娘をかわいいと思えなくなってしまうかもしれない。妻にすべてを押し付けて、家族をうとましく思ってしまうかもしれない」と思ったのです。

そして自分がいま最優先しなくてはならないことを考えるようになりました。
しょせん、なんでも器用に上手にできるタイプでもない自分。
力をかけられることなんて限られている。

だったら「家族と笑顔で過ごすこと」を自分の人生の最上段に構えることにしよう。

稼ぎたいのも、家事育児しようと思うのもどうせ家族と笑顔で過ごすためにやっていること。ならばダイレクトに家族と笑顔で過ごせるために時間も力も注ごうと。

この夜。家族「を」幸せにするなんて独りよがりは辞めて、家族「と」幸せになろうと決めました。


▷ 「家事するために時間をつくる」を辞めた。

ぼくはずっと、”家事育児”をするために時間を作っていました。仕事を早く終えるように工夫して、調整していました。そして苦しくなった。

でも「家族と幸せになろう」と決めてからは考え方が変わりました。

「家族で笑い合う時間を過ごすために」時間を作ると考えるようになりました。

家事育児のためって考えると、仕事が終わった後にまだ次の仕事があるような気がしてしまう。だけど家族で笑い合う時間を過ごすために仕事を早く終わらせるように工夫したり調整したりすることは、とても楽しい挑戦でした。

だけどこれ、ひとりじゃだめなんです。ワンオペ家事育児だとどうしても「家事するため」に時間をつくることになってしまう。

だって、ワンオペだと笑い合うゆとりも持ちにくいし、こなしていくだけで精一杯になれば、その場にいないパートナーへの不満が先に立ってしまうから。とても「家族で笑い合う時間」になんてならない。

自己犠牲という気持ちから、脱していかないといつまで経っても「妻のため・夫のため」という考えに囚われたままになってしまう。


▷ 育児中は、”家族”を人生の中心に据える。

子育てをはじめて6年。
家族と過ごす時間を作るために働き方を変え、娘の教育のために住む場所も変え、自分自身の生き方や考え方もずいぶんと変わりました。

6年前、いや、3年前の自分だっていまの自分の状況を信じられないと思います。

人生の軸を家族に据えることで、一見不自由になり、自分の思い描いた人生を歩めなくなるような気がするかもしれない。

けど、家族や子育てに軸を置くことで自分の思い描いていた人生なんてすっ飛ばして信じられないくらいに広い世界へと飛び出してしまいます。

自分の思い描く人生の中での挑戦なんて、しょせんは保守的な挑戦でしかなかったのだなと思い知りました。

育児には終わりが来ます。
育児が終わってしまえば、再び翻弄されずに自分で歩んでいく人生になっていく(のかな?)。

長い人生の中の、限られた年数。

この間くらい、家族とともに自分でも想像のできないくらいにハチャメチャな人生を楽しむのも素敵なことじゃないでしょうか。

もしも「家事育児に人生の軸足を置くなんて…」と思っている男性がいるとしたら。

こんなにも刺激的で、挑戦的な生き方への挑戦を棒に振るなんて、なんてもったいない! と言いたいのです。

では、また明日。


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