見出し画像

子育てのため、自分自身をもっともっと面白がって生きたほうがいい。

 ぼくは子育てのために自分を犠牲にする生き方はしたくない。それは、子育てを言い訳に自分の人生から逃げているように感じるから。そして、自分を犠牲にする子育ては子どものためにもならないのではないかと思うから。

子育てが楽しすぎた

 この冬休み。娘の様子を眺めながら「自分」というところにもう少し軸を持って来ようと思った。

 別にいまだって娘のために自分を「犠牲」になんてまったくしていないし、仕事ややりたいことをセーブなんてしていない。だけど、子育てが楽しすぎた。

 楽しすぎて、のめり込みすぎて、視界のピントが絞られすぎてしまったなと感じた。あれ、娘のことしか見えてないじゃん、と。


娘のために生きる人生に安易にハマらないように

 自分がそうなると心配はしていないのだけど「娘のために生きてる」という人生は嫌だなぁと思う。下手をすると簡単に「わが子こそ自分のすべて」という感覚にハマってしまう。
 だけどそれは、ぼくの中では親としても、ひとりの人としても魅力的ではない。

 娘のことは、なによりも大切だし、なにを犠牲にしたって守りたい。そんなことはぼくにとっては当たり前のことで、前提ではあっても全てではない。

 やっぱり、ぼくが自分自身を面白がれていないとつまらない。なにを面白がるのかは、投資のようなもので、一銘柄に全財産を投資するのではなく、分散投資していたほうがいい。

 子育てという楽しさは、ぼくの人生を豊かにしてくれる最良の銘柄であることは間違いない。だけどその上で、もっといろんなことを楽しまなくちゃ危険だ。


保護者から人生の先輩へ

 お正月に実家に帰省して、娘がどんどん成長していく姿を見て「この子はたぶん、もう大丈夫だ」と感じた。まあ、まだ5歳だし、人生はこれからだし、なにがあるのかなんてわからない。
 だけど、親として彼女に対してしてやれることなんてもう限られてるなと。これからはいままで以上に、親以外の「社会」の影響や力のもとで彼女は成長していく。

 ここからは、親は「保護者」というよりも「人生の先輩」的な役割が少しずつ大きくなるだろう。親は大人のロールモデルのひとつと言ってもいいかもしれない。
 だとするなら、親がめいっぱい自分を面白がるってのは、大切な子育てであるとも言える。

 だからぼくは、自分自身の人生を犠牲にしてする子育てじゃなく、子育てのために自分自身をもっともっと面白がりながら、生きていきたい。


では、また明日。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました! スキ・フォロー・シェアなどしてもらえたらとっても嬉しいです。 ぜひまた見に来てください!!