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子どもたちの”現在(いま)”が楽しいものでありますように。

不登校になると、”明るい現在(いま)”が両手からこぼれていってしまう。
たとえがんばって素敵な未来を育めるのだとしても、いま、この瞬間の苦しさは自分の世界を灰色に染めてしまう。
不登校と言われても”明るい現在(いま)”を生きることは、とても大切なことだと思うのです。

ご飯がおいしい。本や漫画がおもしろい。くだらないことで誰かと笑いあえる。

学校に行っていないだけで、それらが子どもから失われてしまうのだとしたら。「学校に行っていない」とはいったいなんなんだろうと思うのです。

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ぼくは小学生のころ、不登校になる勇気がありませんでした。
お腹が痛い、頭が痛い、そういって休んだり早退することは多かったけど通学路で立ち止まり、階段で吐きそうになりながら最後まで通った。通うことで刻みつけてきた傷は、大人になったから消えるという類のものではなく、一生ともに生きていくのだと、いまは受け入れています。

当時のぼくは、未来への不安はほとんどなかった。あるのは、いま布団から出られない、歩きたくない、教室に入りたくない、一刻も早く家に帰りたいという“現在”の苦しさばかり。未来のことなんて何一つ考えることもできずにいたのです。
「どうしたら転校できる?」「どうしたら学校に行かなくてもよくなるの?」
そればかり考えていました。
不登校になる勇気がなかったぼくは、未来の心配をすることすらもできませんでした。


もし、学校に行っていなくても明るく、元気に”現在”を生きている子がいるのなら。その子の物語を聞いてみたい。それは、不登校になることができなかった小学生のころの僕が知りたかったことでもあるから。

「これでも、学校へ行かないほうが辛いですか?」

当時のぼくが投げかけ続けている質問に、いつか答えてあげたいと思うのです。

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ステイホームが明け、学校へ行くのがたのしくて仕方がない子もいれば、そうではない子もいます。長期休暇のあとは学校へ通うのがシンドくなる子が増えるとも言います。
親の立場から見れば、子どもが学校へ行かないことは心配だし、仕事を調整しなくてはいけないという現実的な課題も出てくるかもしれません。
ただ、学校に行きたくないという子どもの”現在(いま)”を否定だけはしないで欲しいと思うのです。これは助言やアドバイスなんてものではなくて、学校へ行くのが辛かった過去を持つ自分の願いです。

心理学者でもなんでもないので、わかりませんが。“未来を不安に思える”というのは”いまこの瞬間が辛くて苦しい”からの一歩前進のように思うのです。

子どもたちの”現在(いま)”が楽しいものでありますように。


では、また明日。


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