子育てはとにかく「待つ」と「我慢」と思った。
娘と一緒に駅まで歩く。
まっすぐ駅まで歩いていくなんてことは全くなくて、10歩も行けばすぐに立ち止まる。
標識を見れば「あれは"止まれ"やで」と立ち止まり。
車が遠くに見えれば「車や!」と立ち止まる。
そのくせ、すれ違おうとする車がいるのに、突然走り出そうとしたりする。
大人だけなら5分の道のりも、10分、15分かかることだって珍しくない。
よっぽど急がねばならない理由がなければ、ぼくはのんびりと立ち止まったり、寄り道したりする娘にそのまま付き合う。
面倒くさいし、さっさと歩きたいし、目的地へ行きたい。
でも、娘にとっての目的は、目的地へ辿り着くことよりも今この瞬間を楽しむことなのだと、全身から伝わってくるのだ。
「ねぇ、パパはさ、早くスーパーに行きたんだよ」
あまりにも寄り道や立ち止まりが多くて、娘にそう提言したことがあった。
すると。
「パパはな! パパはスーパー行きたいかも知れへんけど、わたしは別に行きたくないねん!」
いやいや付き合わされる買い物への道のりを、自分なりに楽しむための寄り道や立ち止まりだとしたら。
ま、しかたがないのかもしれない。
でも、寄り道や立ち止まりを経て、娘は色んなことに気がつき、学ぶ。
標識や交通ルールを覚え、道に咲いてる小さなお花に気付き、ママが好きそうなお店を見つける。
歩くことが、目的地へと向かうためのただの手段なのだとしたら。娘は自らそういった気付きを得ることはなかっただろう。
▷ 「ほらみろ」と言わない子育て
今日、娘が自転車で転んでしまった。
「あ、転びそうだな」と思ったときには、転んでいた。
ちょっと不安定な所を走っていたから、しかたがない。
子どもは色んなところで失敗する。
大人は、その失敗は経験済みだから先回りして注意する。でも、子どもは失敗する。
「ほら、言わんこっちゃない」
子どもの失敗を目の当たりにすると、思わず口走ってしまう。
ぼくは、勢いで言っちゃうときもあるけれど「ほらみろ」と言わないように気をつけている。
だって、失敗は悪いことじゃない。
「ほらみろ」は親の都合の話で、経験してみてようやくわかることのほうが多いのだ。
むしろ、人に言われて失敗を避けて、無難に失敗を経験しない人生に成長はあるのだろうか?
大人も同じで。失敗することよりも、同じ失敗を繰り返すことのほうが問題だ。
「ほらみろ」は、失敗を避難する言葉になる。
「そんな端っこ走ってると転ぶよ」
1回目は、転びそうなポイントを教えるために注意した。そして、案の定娘は転んだ。
泣き止んで、ひと段落してからもう一度伝える。
「こういう端っこは、落ちて転びやすいんだよ」
娘は神妙な顔でうなずくと「じゃ、こっち側走ったらいいな!」と安全な道を指差した。
そして、ドヤ顔で「こっちなら転ばへんで!」と嬉しそに走り出した。
転んだからこそ、失敗したからこそ。
自分で気がついて身につけられた知識だ。
親はただ、焦らずに「待って」いれば、子どもは自ずと成長していく。
待つために、ぐっと言いたくなるのを我慢する。
それが、なかなかに難しいんだけどねぇ。
では、また明日。
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