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「社会である程度適応していけるために、子どもに教えないといけないこと」って?

先日の記事に対して、スギムラツネユキ@映画と本さんからTwitterでコメントを頂きました。

ゆっくり食べることを許容し続けてあげるか、社会である程度は適応していくために一緒に練習するか。

これは、とてもいい問だなと思ったのでちょっと深めて考えてみたいと思いました。

「社会である程度適応していけるために、子どもに教えないといけないこと」とは

「社会である程度適応していけるために、子どもに教えないといけないこと」

子育てをする上でほとんどこういった視点を持ったことがありませんでした。ただ、こうしたことを大切に考えながら子育てをしている人もわりとたくさんいるのだろうなとも思ったのです。もしかしたら、そっちの方が多数派かもしれません。

穿った見方をすれば、「社会に適応していく」とは「周りと歩調を合わせる」ことであったり「空気を読む」ことだったりすると思います。それってつまりは「人にはなるべく迷惑をかけないように」ってことに繋がる。

この「社会に適応していく」が「人に迷惑をかけない」と近い意味だとしたら、そのことは大きく2つに分けられると思うのです。

ひとつは、マナー。
ひとつは、空気を読む力。

マナーは、電車の中や映画館やお店などで大声で騒がないとか、そこらへんにゴミを捨てないとか。人と人が共に空間を共有していく上で、守らないと明らかに迷惑をかけてしまうこと。これはルールにも近いので、その都度教えてあげないといけないと思います。

一方の空気を読む力。周りと同じようにできるようになることだったり、雰囲気を察してそれに合わせたり。これについては、ぼくは子どもが自分で学び、身につければいいと思っています。
つまり、親が教える必要があるとは思っていません。

なぜなら、「空気を読む」とは明確なルールでもマナーでもなく雰囲気を察することです。それは、親から教わることではなくて必要に応じて自分で立ち位置を決めていけばいいと思うから。親の読んだ空気が正しいなんて、わかったもんじゃないって思うのです。

子どもが自分で決めること

スギムラツネユキさんのツイートにもあるようにさいごは「コミュニケーション」の問題になるのだろうと、ぼくも思います。

親が勝手に決めてしまうのではなくて、子どもと一緒に考えて決める。

親が勝手に判断して、現状の乗り越え方を決めてしまうのではなくて、一緒に考えるための壁になってあげたらいいのだろうと思うのです。

それで失敗しても、笑って次を考えてあげられたらそれで十分。
お弁当が卵焼き3つだけで、お腹が空いちゃっても「ま、そりゃそうだよね〜!」って言ってあげられたらいいんじゃないかなと。

そこで「ほら、やっぱりパパが言ったとおりオニギリにすればよかったんだ」なんて言うと「正解は親が持ってる」って大きな勘違いをさせてしまう。

そう思うとやっぱり、親にできるのはどれだけ丁寧に壁打ちの相手をしてあげられるか、くらいだなって思うのです。


では、また明日。

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