あなたのいい加減な態度は、他の人の学びを奪っている。

あなたのいい加減な態度は、他の人の学びを奪っている。

グループワークをしていて、そんな話になった。

大人でも子どもでも、真剣に取り組むことを恥ずかしがったり、どこかで「なにマジになってんの?」みたいな態度で学びの場にのぞむ人がいる。
そういう人は「こんなのササッと終わらせちゃえばいいんだよ」という思考で、課題をパッパと終わらせる。

個人の課題なら、べつにその人自身の問題なので構わない。
だけどそれがグループでなにかに取り組み、学びを得る場となれば、別の話。

学びにおいて、グループで取り組むというのは他の人の学びへも影響を及ぼすということだ。
ひとりのやる気のなさや、いい加減な態度、適当な決めつけが他の人の学びを奪ってしまうことだってあるのだ。


場に対して真剣であろう。誰よりも学びに対してのめり込もう

「場に対して真剣であろう。誰よりも学びに対してのめり込もう」

2ヶ月間。スクールへのインターンをして得たのが、この気持ち。
たくさんの授業を見学したり、参加したりするなかで常に心がけていました。

最初は自分が場にのめり込めればいいと思っていた。だけど、いつの頃からか例えば子どもが場に対して真剣になっていない姿を見ると、このままではいけないんじゃないかという気持ちが湧いてくるように。

「君の態度は、みんなの学びを邪魔しているんだよ」

そんな風に、真正面からぶつかることだってあった。

仕事であれば、「成果」にこだわり「早く」アウトプットを出せばいいかもしれない。だけど学びの場合は(とくにPBL・テーマ学習のような知識のインプットではない学び)アウトプットよりもそのプロセスのほうがずっとずっと大切。

これは子どもだけじゃなく、大人でも同じだ。

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「あなたのやり方は、ぼくにとっての学びの機会を損なわせている」
そういう話をすることになったのは、先日参加したPBL(Project Based Learning)を学ぶ研修会。

そこでは学びのプロセスの大切さを、丁寧にたくさん教えてもらった。

なのにその中で、プロセスを大切にしていない大人の姿に触れてしまったのはとても残念だった。
「こういうのは、さっさと決めたほうがいいんですよ」
「ほら、もう端っこからフセンはがしていくから、早く決めましょう」
「日本人は、話をしてもうやむやになるだけで決断ができないから」

しばらく我慢していたけど、どうしても言わないわけにはいかないと考え、
「このワークに対して、そうした決断のしかたって意味があるんですか?」と直接話をした。

でも「受験」だけを最終的な教育のゴールとして突き進む思考とは、もしかしたらそういう思考なのかもしれないとも思う。

この場に限らず、学びは個人だけじゃなくて「場」で深めていくことも多い。そうした時に、場に対していい加減な態度をとるというのは、他の人の学びの機会を奪っていると同義なのだ。


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今日も見に来てくれてありがとうございました。
いやいや参加させる研修会って、なにか意味があるのかなぁって思ったりします。学ぶ気がない人から、時間と労力を奪って、学ぶ気がある人の機会まで損失させるなんて無意味だよなぁって。
このnoteは、研修会当日に書いたものでしたが、なんだか生々しかったので数日経ったいま公開します。いま読み返しても、そうとう腹が立っていたんだなぁと感じます。そんなときもあるのかも知れません。
ぜひ、明日もまた見に来てください。




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