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「親として僕ができることなんて、たかが知れている」

「親として僕ができることなんて、たかが知れている」

これは娘が産まれたころから、ずっと自分に対して思い続けていることで、子育てをする上での自戒の念でもあります。
だから、ぼくがnoteで子育てについて書くときはこの思いを込めたタイトルのマガジンに格納している。

先日、マガジン内に格納された記事が270記事になった。
公開記事665中の270記事だから、4割ほどが子育てに関する記事ということになる。ほとんど子育てのことばかりを書いていたと思っていたから、半分以下であることに少し驚く。もしかしたら格納漏れもあるかもしれない。

いま、娘は5歳。だからぼくも父親5年生。
5年間、毎日毎日娘と共に暮らし、成長を見守る中でやっぱりいつだって思うのは「親としてぼくができることなんて、あんまりないよな」ということ。

安全に、健康に、安心して娘が暮らせる環境を用意すること。
ぼくが親としてできることの9割は、これだけのことだろうなと思う。
noteにも、何度もなんども書くけど「ただいま!」って帰りたくなる家庭でさえあれば、ぼくの理想とする子育てはもう充分なのだ。

娘が、家や家族を大好きでいてくれること、大切に思ってくれること。それは、ぼくや妻が同じように娘や家庭を大好きで大切に思うことに他ならない。

そして、それを「あたり前のことじゃん」としないでちゃんと伝え合うし、確認し合う。だって、家族や家庭を好きであることは、普通でも当たり前のことでもないから。
どちらかというと、結構な奇跡なんじゃないかと思っている。
だから、それをしっかりありがたがる。

あとの子育ては、親じゃなくて社会とともにやっていけたらいい。

これは個人的な意見でしかないけれど、”幸せ”であるために誰かより優秀である必要も、誰かに勝つ必要も、誰かよりも裕福である必要もなくて。
だから、誰かに勝つための教育を、ぼくがしなくてもいいかと思っている。

もし娘が成長する中で「誰かに勝ちたい」と心から望んだのなら、そのときに自分でちゃんと目的を持って努力すればいい。親が仮想「誰か」を想定して、勝手に勝負の世界に子どもを投げ込まなくてもいいんじゃないかと思うのだ。

そういう娘自身の価値観や社会観は、友人や学校や職場などでたくさんの人達が育んでくれる。そしてそれを、自分で試行錯誤しながら成長していけばいい。

親はその中のたった”ひとつ”でしかないのだから、親と同じ価値観を持って欲しいなんて、ぼくは娘に望まない。

社会が娘を育んでくれるのだから、ぼくが親としてできることの、残りの1割は「環境を用意すること」


いつか、環境は自分自身で選んでいけるようになればいい。けど、子どもの頃の環境は親に依存してしまう。
結果的にわが家は幼稚園を求めて、東京から京都まで来てしまった。こんなに遠くまで来ないにしても、幼稚園、小学校といった環境選びは親ができる大きなプレゼントだと思っている。

そういう意味では、環境をプレゼントするために頑張るのは子どもじゃなくて、親なんだろうなって思う。


とは言え、やっぱり親として僕ができることの9割、何よりも大切なのは心地よい家庭を育むことだろうなぁ。

環境も大切だけど、あんまり無理はできない。
だから例え、たくさんのことを与えてあげられなかったとしても、「ただいま!」って帰ってきたくなる家庭という土台だけ与えてあげられていれば、僕の子育ては90点だ。

親として、僕ができることなんてたかが知れている。
子どもは、社会と触れ合いながら自分で成長していくのだから。


では、また明日。

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