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「字が汚い」から今度こそ抜け出す!

タイトルの通り、ぼくは字が汚い。
どれくらい汚いかというと、このくらい汚い。

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自分で書いたメモが判読不明だったり、封筒に宛名を書くのが心底嫌だったりする。とうぜん、ノートをとっているところを人に見られるのも嫌だ。

以前、ある大学で講義をしたとき、ホワイトボードを使って授業をしたことがあった。
だけど、あまりに字が汚く、あとでこっそり生徒が「これ、なんて書いてあるんですか?」と聞きに来たくらいだ。

別の日、留学生が3人「これ、なんて書いてあるんですか?」と申し訳無さそうにやってきたときには、こっちの方こそ申し訳無さで立ち去りたくなった。

小学校にインターン中も、「字がきたねぇ」と先生からフィードバックをもらい、さいごに生徒からもらった手紙には「授業楽しかったです。でも字が汚かったです」と書かれていた。

※※※

ぼくの字はここ最近突然汚くなったわけではない。
思い返せば、物心ついたころから汚かった。

学生時代から、親からも先生からも言われ続け、提出したノートには内容に対してのフィードバック以上に字が汚いことへのフィードバックが多く書かれ、通信簿にだって書かれていた。

大学時代に友人に「ノート見せて」といわれ、快く見せたノートは「解読不能」としてすぐに返却された。ノートすらとってない友人に返却されたノートの立場たるや。

社会人になり、手書きで請求書や見積書を書く業務があったころは、なんども書き直しをしたこともあった。

だけど時代は進み「どうせこれからの時代は手書きでやり取りなんてほとんどないし、タイプすればいいじゃん。メールもLINEも文書も手書きなんて、クレカのサインくらいっしょ」

と思い、開き直っていた。

いや、字をキレイにしたいと思って本を何冊か買ったことだってあった。
本に書いてあるとおりに練習もしてみた。だけど、さほど変わらなかった。
本が悪かったわけじゃない。ぼくがちゃんと練習をしていなかったのが悪かったのだ。


ぼくは、字が汚いことを自認しながら、そのことから逃げ続けていた。
たしかに字が汚くて、ものすごく困って生き辛いということは別にない。
字が人並みにキレイになったとして、人生が著しく好転するとも思えない。

40年近く、汚い字とともに歩んできたぼくにとって、汚い字はもはや身体の一部のような存在なのだ。

だけどいま。

ぼくは字をキレイに書けるようになりたいと、人生で何度目か、思っている。
はじめてじゃない。なんども失敗した。

この前、娘がぼくに「『わ』を書いて」と言った。ぼくは「わ」を書いた。だけど、それはいまいち「わ」には見えなかった。こちょこちょっとして、雑だった。

これから、小学校ができあがれば、ぼくは子どもたちに「字」を教えてることになる。字を覚えたての子どもたちに、板書しながら授業をすることになる。

習字の見本のようにキレイな字である必要はないかもしれない。
それでも、正確で、丁寧な字を書けなくてはならないのではないか。

人生で、何度目かの挑戦になる。
ぼくは、40年ともに歩んできた「汚い字」に今度こそ別れを告げようと思っている。

手始めに、以前買ってうまくいかなかった字の本に再チャレンジしてみようと思う。圧倒的に練習の回数が足りてない気がするから。

字が少しでもキレイになったら、noteで披露してみたい。


では、また明日。



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