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「逃げてもいいよ」じゃなくて「逃げよう」と言って欲しい。

あれは確か、中学生のころ。
学校がまったく好きになれなかったぼくにとって、気楽に過ごせる唯一の場所が当時通っていた塾だった。
そこは個別指導塾で、部屋の中は机ごとにパーテーションで区切られていた。
そこでは、先生とマンツーマンで授業が進められる。

ぼくを担当してくれていたキムタク似のイケメン大学生の先生と、勉強とは関係のない他愛もない会話をするのが何よりも楽しかった。

大学の話、お互いの彼女の話、クラシック好きだった先生が熱く語る(けどつまらない)コンサートの話。中学生だったぼくから見ると、大人びていて、とにかく格好良くて、まさに憧れの人だった。

パーテーションで区切られたブースに入ると、先生はいつも3つ入りの小さないなり寿司を食べていた。いなり寿司が大好きなのだ。
ぼくは真剣に、いなり寿司を食べれば先生のように格好良くなれるんじゃないかと思いこみ、同じように3つ入りのいなり寿司を買っていくようになった。

***

ある日、入院していた友人を見舞った帰り道。
前方から滑走してくる3〜4人のチャリンコ集団の間を、同じくぼくもチャリンコで突っ切った。そのこと自体に特に意味はなかった。ただ、当時あまりガラの良いとは言えないグループに属していた手前、ガラにもなく気持ちが大きくなっていたのだろう。

チャリンコ集団は高校生だった。
中学生のガキが端に避けもせずに突っ切ったことにムカついた彼らは執拗にぼくを追い回してきた。

結局逃げ切れずにつかまったぼくは、手痛く袋叩きになってしまった。

制服から学校もばれ、「〇〇中だったら、〇〇って奴いるだろ。あいつ昔からムカついてたんだよな。明日、ぶっ殺しにいってやるよ」

と、吐き捨て彼らは去っていった。〇〇は、ぼくが属していたグループの先輩だった。


悔しさと、情けなさでどうしようもない気持ちになったが、そのまま行く場所もなく、いつも通りにぼくは塾へ向かった。

***

「どうしたの? 転んだ?」

個別ブースに入ると、擦り傷やら青たんやらで汚くなったぼくを見て、先生が心配そうに聞いてきた。

「絡まれて、喧嘩してきた」

喧嘩なんて言えば、ちょっとは対等にやりあったように聞こえるけど、実際はただボコられただけだ。でも、ただボコられただけ、なんて恥ずかしくて言えなかった。
気がつけば、自分がいかに高校生を相手に奮闘して戦ったかをぼくは自慢げに力説していた。

そうでもしないと、自分の気持のやり場がなかった。

──明日になったら、あいつら、先輩に喧嘩しかけにくるかもしれない。

自分が殴られたことよりも、そのことへの不安のほうが、実はよっぽど大きかった。

「明日、学校行くのいやだなぁ」

さっきまでの武勇伝はどこへやら、不安と憂鬱がため息とともに口からもれた。圧倒的に、こっちが本音だ。

「じゃ、行かなきゃいいじゃないか。明日は休めば?」
先生は、さも当然のようにさらりと言った。
「別に、高校生も君の名前を知っているわけじゃないんだろ? 君が学校にいなければ何の問題もないじゃないか」
「そうだけど、なんか逃げるみたいなのは格好悪いんじゃ」
ぼくがそう言うと、先生はノートに走っている人の絵を描いた。
「この人は、逃げていると思う?」
「・・・わからないけど、走ってる」
次に先生は、走っている人の前に星を描いた。
「この星を、”未来”だとすると、この人は未来に向かって走っているように見えない?」
絵が下手すぎて、ピンとは来なかったけど、星に向かって走っているようには見えた。
「うん」
次に先生は、走っている人の後ろに、手を上げて追いかけて来るような人の絵を描いた。そして、星を手で隠した。
「こうすると、逃げているように見えない?」
「見える」
「大人になると、みんなこんな感じなんだって思うんだ」
手を離して、先生は話し始めた。
「逃げるのは、別に格好悪いことじゃないよ。一生懸命何かから逃げ続けていると、いつの間にか何かを追いかけているようになることだってあるんだよ。逃げるときは、ちゃんと逃げるんだ。全力で」

先生は、手元にあったいなり寿司をぼくにひとつ渡した。
ぼくは慌てていて、今日はいなり寿司を買ってくるのを忘れていたのだ。

「大事なのは、嫌なことに絶対につかまらないこと。逃げるときは、”ちゃんと”逃げるんだよ」

なんだか、いいことを言われたような気もしたが、ぼくは逃げることがそもそも怖かった。

「うん・・・でも」

なんだか、はっきりとせずにモゴモゴとするぼくを見て、先生ははっきりと言った。

「それじゃ、明日は一緒に逃げようか」

***

翌日、ぼくは先生と一緒に一日中遊び回った。
カラオケに行ったり(先生はびっくりするくらい音痴だった)、大学に連れて行ってもらったり、車でドライブしたりした。

学校自体はしょっちゅうサボっていたので、サボることはいつも通り(それはそれで、いかがなものなのか)。だけど、漫然と意味もなく街をフラフラしたり家に帰ったりするのと比べて、同じ一日とは思えないほどに楽しく、充実した一日だった。

「ちゃんと、逃げるんだ」

先生は、それを言葉だけでなく一緒にやってくれた。
嫌なことから逃げるときほど、全力で楽しく過ごす。嫌なことから逃げるのなら、全力で違う目標に向かって突き進む。そうすれば、逃げているのか、未来を追っているのか、いつか自分でも区別がつかなくなってくる。

きっと先生は、そういうことを教えてくれようとしていたんじゃないかと、いまは思っている。

「それじゃ、明日は一緒に逃げようか」

そう言ってくれた先生の言葉が、いまも深く心に残っている。


***

今日も、見に来てくれてありがとうございました。
結局、高校生のヤンキーは学校には来ませんでした。相手だって別にそんなに暇じゃないんですよねぇ。
ぜひ、明日もまた見に来てください。



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