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「好き」と「趣味」と「オタク」と

人に「これが好きです」ってなかなか言えない。
それは、「好き」=「詳しい・得意」って思われるんじゃないかと勘ぐってしまうから。

例えば、「本が好きです」と言ったら、「月に少なくとも5〜10冊くらいは読んでないと」とか「著者名、著作名、名文の引用が会話の中でポンポン出てこないと」と思われるような気がしてしまう。

僕にとっての「好き」とはそのくらいハードルが高い。
ランニングならサブフォー(フルマラソンで4時間を切る)とか、料理好きなら得意料理がドンドン出てこなくちゃとか。

アウトプットが伴って初めて「好き」と言える。
どこか、そんな風に思っていた。

「好き」と「趣味」と「オタク」の差
でも、そうするともう全然「好き」と言える事がなくなる。その結果「俺はなんて無趣味なつまらない人間なんだろう」とネガティブループに陥ってしまうのだ。
そこで、このネガティブループから自分を救い出すべく、もう少し好きにグラデーションをつけてみる。

すると、ただ「好き」なのか。「趣味」のレベルなのか、「オタク」級なのかとグラデーションがあることに気がつく。

それぞれに「好き」ではあるけど、その度合いは全然違うわけです。

「好き」の定義にもっとグラデーションを!
「好きを再定義」
これまではアウトプットが伴って初めて好きと言えていた。
けど、「好きだなぁと思った」ら好きと言ってもいいんじゃないかと。

例えば「本が好きだ」と思っていたら、年に1冊しか読んでいなくたって「好き」なのだ。
他人にとやかく言われる筋合いのない、100%主観的感覚。それが「好き」。

「趣味を再定義」
「趣味」はそれよりはもう少しハードルが高い。
やっぱり年1冊しか本を読まないのに「読書が趣味」とは言えない。けど、「月に10冊読まないと趣味じゃない」ってのも違う気がする。
だから、趣味はインプットを積極的にし始めたら趣味と言っていいんじゃないかと思うのです。

つまり「本を月間10冊読む」じゃなくて「興味ある本を読み始めた」「面白い本を調べ始めた」「芥川賞、本屋大賞などは、全部は読んでないけどチェックはしてる」でも充分趣味と言っていいのではないかと。

「オタクについて」
そして、好きの最終形態が「オタク」である。
もちほん、オタクにもグラデーションはあるのだろうけど、アウトプットとして溢れ出てしまうほど好きになれば、他人から見れば充分にオタクと言えるだろう。

「本を月間10冊以上」、会話の中にちょこちょこ「あの著者の、この本の、こういう文があってね」的な発言が出ている。インフルエンサー的な役割に知らず知らずになっているなど。
ある意味では、その「好き」が生活の一部にまでなっている状態こそがオタクの入り口だろうと思うのです。

世の中は「好き」で溢れてた!
これまで、僕は「オタク」レベルにならなければ「好き」とは言えないと思っていた。
でも、こうして(むりやりではあるけど)「好き」にグラデーションをつけてみると、ずっとライトに好き宣言ができる。
例え誰かに「その程度で好きなの?」と言われても(そんなこと言う奴はいないだろうけど)自信を持って「好き」と言える。

なぜなら「好き」とは「自分が好きと思ったら好き」なのだから。

※この記事は2018/5/5、LINE BLOGに掲載したものになります。

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