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言葉からはどれだけ隠しても、その人の価値観が溢れてしまう。

こんなことってないだろうか。

お兄ちゃんと妹ちゃんがいる。これからの時代、男の子にもちゃんと家事をするようになってほしい。だからお兄ちゃんには「ちゃんとお手伝いしてね」と口酸っぱく伝えている。
いっぽう、妹ちゃん。結構気が利いて、よくお手伝いもしてくれる。
「やっぱり、女の子は家事好きだよね」「女の子ってよく気が利くよね」と褒めてあげる。

こういった妹ちゃんへのメッセージって、じつはお兄ちゃんの方が敏感に嗅ぎ取っていたりするのではないだろうか。つまり「女の子は家事が好き」「女の子はお手伝いをよくする」ってメッセージを。


本人に向かって直接投げかけるメッセージと同じくらい、ときにはそれ以上に、本人以外へのメッセージがそれと思わず伝わってしまうことがある。

それは、その気がなかったとしても、その人の価値観の表れなのかもしれない。

言っている本人は、喋ってる相手へのメッセージでしかないつもりかもしれない。
でも、それは同時に「聞こえている人へのメッセージ」にもなり得るのだ。


たとえば、あえてそうしたことってないだろうか。
「○○さんって気が効くよねぇ(あなたはなんて気が利かないんでしょう)」
と、言うようなこと。

この皮肉や嫌味を、意図せずにやってしまっているのだとしたら、とても怖い。


結局、言葉ってどう取り繕ったところでその人の価値観みたいなものが伝わってしまうのだと思うのです。
「男だって家事するのは当たり前!」という一方で「やっぱり女の子は家事とか好きなんだねぇ」といってしまうなど。

だから、自分の言葉尻を気をつけよう、ということではなく。

その価値観に対して誠実であるってことが大事なんだろうな。


では、また明日。

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