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40代は「何になるか」より「どう生きるか」だと思うことができた。

40代になって、人生の目的を見失ってしまうミッドライフ・クライシス。
まさか自分がそんな状態になるなんて想像もしていませんでしたが、去年1年ずっと悩み、迷い、つらい気持ちを抱えてきました。

noteにも何度も、そのときの気持ちを綴り、少しずつ悩みから開放されてきました。突然光が見える、なんてことはなく、ここまでの歩みは本当に一歩一歩だったと思います。

もしこれを読んでくれている人がぼくと同じようにミッドライフ・クライシスで道に迷い、苦しい思いをしているとして。
いま(少なくとも自分では光が見えてきている状態)書いているこのnoteがすぐに参考になることはないだろうと思います。

ぼくの感覚でしかありませんが、自分のアイデンティティを見失った状態から、それを取り戻していく作業は「答え」が何であるかが大切なのではないのです。
自分を取り戻す内省を一歩いっぽ踏みしめるプロセスそのものが、きっと答えになる。
だから、人によってたどり着く出口は違うのだろうと思います。

ただ、それでも今のぼくの出口について書こうと思うのは、いまの自分のためであることはもちろんですが、去年のぼく自身が「この迷いの中に、どんな出口があるのか。自分とは違ってもいいから、その出口を見てみたい」と切に願っていたからです。

だから、まず去年の自分に言うとしたら。
「ここに書かれている出口が答えではない。けど、ひとつの道標にはなるかもしれない」ということです。


▶「何になるか」はもう、そんなに大事じゃない

「自分が何をやって生きていったらいいのか」その目標を見失ってしまったことが、ことの発端でした。

ぼくは、娘の幼稚園のために東京から京都へと移住し、そこで新しい小学校を作りたいという新しい目標を得ました。妻と共に挑戦していたその学校づくりの目標は、思わぬ形で達成します。
それは、学校づくりのモデルにしていた小学校を妻が引き継ぐということでした。もともと妻が主体となってはじめた小学校づくり。それが、これ以上ないほど素晴らしい形で実現したのです。

ただ、それと同時にぼくは次の目標を見失ってしまいました。

代表を引き継ぐ話をもらったとき、まず最初に妻が心配したのはぼくのことでした。一緒に勧めてきた学校づくり。自分は引き継ぐことになるけど、ぼくの行き場はなくなってしまう。妻はそのことを心配してくれたのです。

とはいえ、またとない素晴らしいお話。
幸いぼくは自由な働き方をしているので、どこにいても仕事はできます。先の心配はともかく、この話を受けないという選択肢はぼくの中にもありませんでした。

「まあ、ぼくのことは心配しなくてもどうにかできるよ」

そのときは、ぼく自身、目標を見失うことを甘く考えていた気がします。

▶ 「何になるか」を探し続けた

それからぼくは、「何になるか」を探し続けました。
これまで続けてきた仕事を同じように続けるのでも、べつにいいのかもしれません。でも、歩くべき目印をなくしたとき、自分がどこに向かってどんなモチベーションでこの先何十年も歩き続ければいいのかがわからなくなってしまったのです。

思い返せば、ぼくは学生時代からずっと何かしら目標を掲げて、そこに向けて歩くことに慣れていました。

インテリアコーディネーターになりたい。
フリーランスとして独立したい。
NPOを起ち上げて、家庭のために働きたい。
新しい小学校をつくりたい。

なりたいもの、やりたいこと、成し遂げたいこと。
常に目標があり、ときおり見失っても大きな方向は自分でわかっていました。

だから、「次になりたいもの」「成し遂げたいこと」を見つけようと探し続けることは、ぼくにとって自然なことだったのです。

40代くらいになると、仕事や子育てなどが一段落する人も多くなります。何を一段落とするかはそれぞれですが、これまでガムシャラに走ってきたのが、急にふと我に返るような感覚です。
それは「なりたい何か」を達成してしまったり、または限界を感じてしまったため「もう目指すものが思い浮かばない」というのが理由のひとつです。

でも、そこでまた新しい「なりたい何か(成したい何か)」を自分に充てがうのは応急処置でしかないと気がついたのです。

▶ 「どんな自分でありたいのか」を実現し続ける

言うなればぼくは「職業選択」で迷っていたように、いまは思います。
作家だろうと、インテリアコーディネーターだろうと、講演家だろうと、いまとなってはそんなことは何でもいいと思います。

そうではなくて、もっと自分自身という核が、どんな自分でありたいのか。

そのことをしっかりと探究しなくちゃいけない。
それこそが、人生を通して描いていかなくちゃいけない自分だけの目標なんだと思うのです。

新年の豊富で「目標ではなくてクレド(行動指針)を立てよう」と書いたのですが、この先自分に必要なのがまさに目標ではなくクレドなのかもしれません。

クレドは、ぼくをある一つのゴールへと導いてくれるわけではありません。
でも、自分の人生を肉付けしてくれます。どんな行動を取るか、どんな言葉を発するかは、そのまま自分自身を表します。

ぼくが、インテリアコーディネーターであることが大切なのではなくて。
「どんなインテリアコーディネーターなのか」が大切なのです。
作家だろうと、教師だろうと、デザイナーだろうと。
仕事は変えることはできる。だけど「どんな」という部分はぼくがやる以上変えられない普遍的な部分になります。

ぼくは、この「どんな自分か」こそ、これからの人生を通して豊かにしていかなくてはならないと思いました。

仕事にしても、暮らしにしても。
自分がどうなりたいかが、先にあるから自ずと見えてくる。

ぼくは、家族や子どもを何より大切にして生きていたい。だから、同じように家庭を大切にしたいと思っている人たちの力になりたい。
身体的、または言葉による暴力で人と争うような人生は送りたくない。だから、自ら不用意に人を傷付けたりしない。

どんな自分でありたいかを、思い描き、それを実行していくのは簡単なことではありません。
自分の中で何となくそう思っているだけでなく、人から見たときにもちゃんとそう見えてなければならないから。

虚勢を張って、自分を大きく見せようとしても上手くはいかないでしょう。
自分の言葉が、そのまま自分の本音と繋がっていなければなりません。

「どんな自分でありたいか」こんな大きな目標の前に、「何になりたいか」はさほど大きな問題ではない。

1年かけて、ゆっくりゆっくりと、ぼくはそう思えるようになってきました。

「何になりたいか」が大事じゃないと言うことではありません。
でも、40歳を過ぎ、そろそろ人生の折り返し地点になったいま。自分が満たされることが、周りを豊かにする実りになると知った気がします。

まるで、植物の実のように。

自分が満たされていなければ、周りからもらうばかり。

長く、出口の見えない1年でした。
まだ、同じように迷ったり、悩んだりすることはあると思います。1年後には、全然違うことを考えてるかもしれません。

それでも、一つひとつ自分で「こうかな?」と考えながら進むことで、どこか納得できるところにたどり着ける。

だから、迷っているときはすべてが嫌になりながら、道を探るしかありません。色々話してみて、試してみて、違ったら辞めてみて。それに無駄なことなんて一つもない。
無意味に見えても、どこかで意味を見つけられるから。

歩き続けることできっと、自分なりの答えにたどり着けるはず。

40代。辛いなというときは、休み休み行きましょう。
思っている以上に、時間は自分の味方になってくれます。

では、また明日。

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