中田商店株式会社のご紹介

「中田に言えばなんとかなるんじゃないか?」

そうおもってもらえる自分でありたい。中田商店という街の何でも屋さんみたいな屋号は、祖父が生前営んでいた会社の名前だけれど、あえて何屋かは明言していないところが気に入っている。僕はこの商店の店主だ。

高校生の頃は空手バカだった僕が芸術大学でデザインを専攻したのは、いまだから正直に言ってしまうけれど「モテたかったから」というのが理由の半分くらい。華やかで、美しいものが好きだというのが残りの半分。
結局、メディアの世界が僕には合っていたんだとおもう。プライベートでは感性に従ってインテリア、クルマ、バイク、ファッション、時計に凝ってしまうのも昔からだ。

大学を出て、設計事務所にはいったけれど、華やかなマスコミの世界にあこがれて、角川書店の子会社の採用情報を見つけて、飛び込んでいったのがキャリアの始まり。21世紀になってすぐのころだったけれど、すでにデジタルメディアを積極的に追求していたこの会社で、タウン情報誌の営業職になった僕は、抜群の成績を記録して、地元関西を離れ東京本社での勤務となった。

自慢だけれど、営業のなかではダントツの実力だと思っている。

もちろん、大きな出版社の営業だったことは大きかった。とはいえ、僕は、どこかで「大手メディアの看板も自分の持ち駒のひとつ」というような感覚でいた。コンサル的に自治体との町おこしや飲食店とのイベントを企画して、そのなかで知り合えた制作スタッフやクライアントとの縁が財産だ。

そういう縁が増えていくと、やがて会社に所属し続けることに不自由を感じるようになって、独立した。SNSや動画配信というメディアの最前線を求めて、ヴェンチャー企業の役員もやっているけれど、管理職という立場に落ち着いて現場から遠ざかってしまうのはイヤで、いまでも自分が手を、足を動かし続けている。

長年、メディアに関わってきたから、運営から製作まで、大抵のことは理解しているつもりだ。ただ、いまや僕のまわりにはその道の達人が揃っている。だから、それぞれが得意とする領域に、わざわざ踏み込んでいこうとはおもわない。僕は僕で、自分の仕事を精一杯やっていく。

商店街で言えば、僕は中田商店街ではない。商店街の中の一商店だ。「これはうちでできますが、それは向かいのあのお店のほうが得意だから、いま、向こうの店長にも聞いてきますね。」そうやって商店街が賑やかになっていったらいいな、と僕はおもっている。


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