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拗ねるのも開くのも、かんたんだし、選べる

お昼に食べたとんかつの油にやられつつ、雨の中歯医者に行って、ジムでお風呂とサウナに入り、帰ってきたらへろへろで動けず、ちょっと寝てチャージしてご飯を食べてzoomセミナー。

まだちょっと具合が悪くって、寝転がりながら、ちょっと頭も痛いし、顔出しでのブレイクアウトルーム(割り振られた数人で、おしゃべりできるzoomの仕様)でのワークは無理かなー、と思っていたらところでブレイクアウトルームがスタート。
ここで「やっぱり喋りたいかも!」という欲が湧く。
だが怠いし、しんどい。
今回はいいかなー。
いやいや、この光景は前にもあったぞ。抵抗っぽいな。
と思ったので、えいやっと起き上がり、座ってカメラをオン。
既に数分が過ぎていて、お話は進んでいた模様。
そこに急に入っていったから、流れがよくわからないし、わたしのテンションも低く、あんまり喋れず終わった。

「やっぱりつまんないかも。もう今日はいいかな。」
と囁く声。
楽しいが大切なわたしには、本気でつまらないなら、聞くだけにするのも、寝るのもオッケーだ。
だがしかし。
ここはもう少し粘って様子を見ることに。

2回目もそんなに喋りたいことも浮かばず、浮かんでないのに無理して喋る機能も搭載していないので、参加者さんのお話を聞いてみた。
やはり自分が喋らないとつまらない!

3回目、わたしの発言に対し、質問をしてくれた方がいて、そういえばそこは大事なところだなあ。と感じてわたしの心がやや開いた。
喋りたいことが出てきて楽しくなってきた。

ラスト4回目。
さきほどの話の流れから、今自分にとって大切なこととして浮かんできている意識と身体と両方(を含めた自分)をわかりやすく伝えることで、以前やったけどしっくりこなかったサービスも、ハマることがあるかもね。って話になった。

なーんだ。やっぱり自分が開くかどうかで、相手への思いも見え方も、ひいては世界もかんたんに変わってしまうんだ。
拗ねるのはかんたんで得意で、ついやってしまいがちだけど、1回拗ねたらジ・エンドってことでもないんだから、そこからまたどうしたいかを実行したらいいのだ。(わたしは他人は大人でいい人だって前提があるから、1回くらい拗ねても大丈夫って、思うことができる。甘えることができている)

人との関係性は、わりと自分でコントロールできるんだ。
(コントロールって言い方は変だって思うなら、自分次第でもいいよ)


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