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なぜ地方のインバウンド呼び込みはイマイチなのか -柳瀬博一さんのメディア講義から考える-

ある日の河口湖の風景

これまで何度も通ったことのある駅前を見て、あまりの人の多さに驚いた。歩道からあふれるほどの人がポーズをとったりスマホのカメラを構えたりしている。ここは河口湖駅。富士山に臨む河口湖まで徒歩15分ほどの小さな駅だ。
新宿駅と河口湖駅を行き来するには、電車と高速バスの2通りがある。富士急行線だと大月方面に向かう列車は平日で1時間に1~3本。土日でさえ最大4本しかない。高速バスの発着は1時間に1、2本。2019年の1日あたり平均乗降客数は3,262人に過ぎない。世界一の乗降客数を誇る新宿駅の約353万人の1000分の1。山手線の駅で一番乗降客数が少ない鶯谷駅の約2万人と比べても6分の1の規模にしかならない。
平日朝の駅前にいるのは、ほとんどが海外から来た観光客である。駅近くにあるローソンの後方にちょうど富士山が顔をみせる。ローソンの前に立ち、あの青い看板と富士山を背景に写真を撮影するのが外国人観光客の定番らしい。

日本政府観光局によると、2024年3月の訪日外客数は3,081,600人で、単月として初めて300万人を超えた(※1)。2023年3月の181万人と比較しても大幅に増加しており、今後さらに増えていくことが予想されている。
一方で日本総研によれば、地方のインバウンド需要回復には遅れがあるという。外国人延べ宿泊者数は、東京や栃木などの関東圏ではコロナ前対比+46.9%だが、それ以外の地域は同+2.8%に過ぎない(※2)。その要因として以下の3点が指摘されている。

1.欧米などからの訪日客の増加を取り込めていない。
2.航空便数が回復していない。
3.地方における人手不足の深刻化が宿泊施設の稼働率低下などにつながっている。

河口湖駅前の光景を見て、インバウンドの強さを感じたが、それでも地方はまだその需要を取り込めきれていないようだ。

街を形成する「動機」と「導線」

河口湖駅を訪れる1週間ほど前、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院でメディア論の教授をする柳瀬博一さんの「メディアの話をパワポも映像も使わずにやる夕べ」の2回目に参加した。第1回目の講義で、柳瀬さんはメディアを構成する3要素として「1.コンテンツ、2.プラットフォーム、3.ハードウェア」をあげていた。例えば、世界で一番売れている書物である聖書に当てはめてみれば、コンテンツは聖書の内容、ハードウェアは本、プラットフォームは本屋やKindle、教会などの本の流通経路となる。
そして、コンテンツそのものではなく、プラットフォームとハードウェアに革新が起こるとき、メディアは大きく変化する。実際、古代において聖書の内容は口伝で伝えられたが、活版印刷やインターネットの登場によって爆発的に伝播し、キリスト教の信者を増やした。

柳瀬さんによれば、街もまたメディアであるという。街をメディアの3要素に当てはめて考えてみると、コンテンツは街で暮らす人。生活や労働、人の交流、喜怒哀楽などの人間の行動とその結果がコンテンツだと言える。ハードウェアはそのものずばり街である。ビルや住宅、公園や自然など人を取り囲む物理的環境である。
では、街のプラットフォームとはなにか。それは「移動手段」であるという。例えば、流行の映画を観て楽しみたいというコンテンツは、映画館というハードウェアがあるだけでは実現しない。家から映画館に行くまでの移動手段 -自分の足で歩き、電車に乗って映画館の最寄り駅まで行き、また歩いて映画館に入る一連の流れ- というプラットフォームがあって初めて実現する。
「街を形作るものには2つの『ドウ』があります。それは『動機』と『導線』です。この2つもしくはいずれかが欠けていると、人は街に集まらず、街づくりも上手くいきません」
柳瀬さんはコンパクトシティ構想を例にあげる。近年盛り上がりをみせるコンパクトシティ推進の背景にあるのは、高齢化と人口減少である。住まい・交通・公共サービス・商業施設などの生活機能をコンパクトに集約することで脱車社会を実現できれば、人にも環境にもいいというわけだ。鉄道駅付近に街の機能を集約し、徒歩や自転車で街中を移動できるようにする。一見とても理にかなっているように思える。
しかし現実には、郊外の鉄道駅前には商店街があることが多い。徒歩圏内に商業施設があってもシャッター街化してしまった駅前は少なくない。

郊外における平均的な人流データを見てみると、駅の利用者は1日あたり約7,000人。高齢化が進み受診者が増える病院でも1日あたり5,000人。一方で、郊外型商業施設に集まる人は1日に16,000人もいる。
柳瀬さんは郊外型商業施設の代表であるイオンを例にあげる。なぜイオンには人が集まるのか。それは広大な駐車場があるからである。イオン系ショッピングセンター(イオンタウン・イオンモール・イオンショッピングセンター・イオン)は全国に約370ある(※3)。
イオンの出店戦略は、郊外の安価な土地を広大に確保し、そこにまず駐車場を設置する。その後でテナントを入れていく。
2021年の一人あたりの乗用車台数を都道府県別に見ると、1位は群馬県の0.712台。最下位の東京都は0.22台となっている(※4)。すべての車が稼働しているとは限らないが、地方において車はそこで暮らす人の移動手段の大部分を占めていると言える。
イオンは、出店エリアのプラットフォームである移動手段(店舗への導線)と集約された様々な店舗(買い物や娯楽という動機)を囲い込むことで、人流を掌握しているのだ。

柳瀬さんはコンパクトシティ計画がうまく機能しないのは、東京の都心部や京阪神エリアを前提として地方の街づくりを想定してしまうからだと述べる。東京都内や京阪神には、世界でも類まれなる鉄道網が張り巡らされている。
鉄道会社が路線を敷き、主要駅に直結するエリアも抑える。そこに京王・小田急・東急・阪神などの百貨店を建設する。沿線の終点付近には、テーマパークを運営することも多い。都心部の街は鉄道会社の資本によって人が集まる動機と導線が完成している。
ところが、地方の駅ではこの力学が働かない。駅を中心に据えても、人が集まる導線も動機も生まれ得ないのである。

インバウンドのボトルネックはどこにあるのか

この日、私が河口湖を訪れていたのは、スイスから訪日した友人を案内するためだった。彼は80歳くらいで、20代のときにスイスに移住しスイス人の奥さんと結婚し、今では孫もいる。コロナが明け、初めて日本を訪れる孫がどうしても富士山を見たいと言い、私に案内を頼んできたのだ。
スイスは国土の大部分が山岳に占められている。三大名峰であるマッターホルン、ユングフラウ、モンブランはいずれも4,000mを超え、富士山よりも高い。スイス人の休日の過ごし方は、老若男女問わず全国至るところにある山に登ることだ。山はスイス人にとって生活の一部である。
それでも、スイス人である彼の奥さんは言っていた。「どんなにスイスに山が多くても、この富士山の姿は別物だ」と。
太宰治は『富嶽百景』の冒頭で裾野が広い割に低く、おあつらえ向きな富士山を批判的に描いている。しかし奥さんは裾野が広く雄大な姿に心打たれたと言っていた。訪日客が見たいのは、私たち日本人が見飽きた富士山であり、定番の観光地の姿なのだ。
友人はレンタカーを借りて富士五湖エリアを観光する予定だった。ところが国際免許証だけではだめで、日本の免許証もないと車を貸せないと言われたという。地元の周遊バスでは行けるところが限られ、タクシーの数は観光客数に比べて圧倒的に少ない。結局、私は徒歩で友人家族と湖畔をのんびり歩いた。

観光庁による2019年の訪日外国人のレンタカー利用率は12%だという(※5)。先ほどの柳瀬さんの街づくりの動機と導線の話をインバウンドに置き換えると、地方にも訪日客が訪れたい場所やコンテンツ(=動機)は十分にあるが、一方で導線(インフラ、交通手段)が不足していることが見えてくる。
先述した地方のインバウンド需要回復の遅れの理由に、移動手段の不十分さはあげられていなかった。しかし地方での移動の困難さが、訪日客の心理的な枷となり、インバウンドを都心部に留めてしまっている可能性はある。
日本ではこの4月にライドシェアが解禁されたが、運行管理主体がタクシー事業者に限られている。運送の主体はあくまでタクシー事業者であり、タクシーだけでは補えない運送サービスを地域の自家用車・ドライバーを活用して補完するものだ。
諸外国のライドシェアはUberなどのライドシェアプラットフォーム事業者が主体となり、地域のドライバーと利用者をマッチングさせるものだ。自家用車があり空いた時間でお金を稼ぎたいドライバーは運転免許証をアプリにアップロードするだけで10分ほどで運転者登録が済み、すぐに仕事を始められるという。

日本全国にある観光資源というコンテンツ、そして国道や車両のハードウェア。不足しているのはドライバーと利用者(=訪日客)をスムーズにつなぐ仕組み、つまりプラットフォームである。
観光立国を目指す日本に必要なのは、もはやすでにある規制の撤廃だけなのかもしれない。
河口湖駅前に集まる訪日客を見て、どれくらいの人が足がないのか、そしてビジネスチャンスはすでにありそうだと感じたのだった。

※1
https://www.jnto.go.jp/statistics/data/20240417_monthly.pdf
※2
https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=107164
※3
https://todo-ran.com/t/kiji/16544
※4
https://uub.jp/pdr/t/cr_6.html
※5
https://www.travelvoice.jp/20190322-128099


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