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頑張った先にあるもの

頑張ったら、ゴールに辿り着ける。
そしてゴールに辿り着いた瞬間は
さぞかし達成感でいっぱいだろう。
そのために頑張るぞ!

…そう思っていた。

でも実際は、そんなものはまったく味わえないことを知った。

ゴールというものは
もはや存在しないのではないか?という結論に至った。

でもこれは、今に始まった事ではなく、
実はずっと前から気づいていた気もする。
でも、認めたくなかった。

ゴールのないマラソンほどしんどいものはない。
ゴールがあるから頑張れるのに。
ゴールのない目標に向かう意味なんてあるのか?

そんなの無理無理。
ゴールがないなんて考えたくない。

登山だって、頂上があるから頑張れる。
マラソンだってゴールがあるから走ることができる。

ゴールとは?
自分の立てた目標だったり、
自分の描いた理想に辿り着くこと。

そして、ゴールの先にあるもの。
ゴールを目指すモチベーションというのは
「達成感」ではないだろうか。

でも、なんだかおかしいぞ。

ゴールだと思っていた場所に辿り着いても、
一向に達成感を味わうことがない。
満足することもない。

一生走り続けるしかないのか?と思うほど、
全然達成感もなければ、
ゴールした実感もない。

でも、間違いなく過去に立てた目標には到達はしている。
これは一体どういうことなのか?

このことに気づいたのは?

おそらく、初めてこれを感じたのは、
アナウンサーの内定を知った時だ。

ひとまずは、この日のために、
アナウンサーとしてスタート地点に立つために
がむしゃらに頑張ってきた。

それなのに、
内定を知った瞬間、
想像をしていた喜びやガッツポーズのような感覚がほとんどなかった。

それよりもクタクタだったのと、
ここはゴールではなく、スタートなんだ、という感覚。
ゴールを手にするその瞬間に、
ひょいっとゴールがさらに先に遠のいたことがわかった。
あばよ〜って。

そして春に入社した。
周りは同じゴールをくぐり抜けたアナウンサーの人たちがいる。

その時点で、
自分が積み上げてきたものは特別ではなく、
当たり前、
いや、さらに先を走っている人ばかりなのだ。

ゴールして安堵している場合ではなく、
さらに新たなゴールを目指して走り出さなければならない。

むしろ新人にできることなどたかが知れていて、
失敗なんて日常。
現実を突きつけられる日々の始まりなのだ。

…目標に到達したにもかかわらず。

ゴールした先に待ち受けていたのは、
できないことだらけの自分に
悔しさと情けなさともどかしさで押しつぶされる日々だった。

そんな日々を送る中で、
ゴールなんて実はないのでは?
という感覚はすでにあった。

達成感どこ行ったー笑

さらにぶつかる現実

もうひとつ大きな出来事。

それは、スペインに住むということ。

自分で決めたことではなく、
家族の都合でのキッカケだった。

スペイン生活を送っていくうちに
いろんな人からかけてもらった言葉に

「異国でよく頑張っているね!」
「言葉も通じない環境で大変な中、えらいよ!」

というものがあった。

でも、自分にはピンとこない。

なぜなら、スペインに住んでしまえば、
周りは同じ環境の人ばかりだからだ。

そこで知り合った日本人は、
ほとんどの人が
言葉の通じない異国に住む、という生活をしているので
(中にはスペイン語を身につけている人もいるが、
ほとんどの人はまったく喋れない状態から始まっている)

自分が特別ではないのだ。
確かに頑張ったし努力もした。
でも、周りには同じような人ばかりだし、
もっと努力している人がたくさんいる。

ということで、私の持論・結論は
頑張った先にあるものは
「それが当たり前」というもの。

ということは、
頑張ったからといって
特に達成感は得られいし、
なんなら自分がより無力に思えてくる。

なので、自分が特に頑張ったとか
えらい!という感覚はまったくない。

頑張らないという選択もあっていい

そして今まさにぶつかっているのが「仕事」。

今の仕事が私にはとても難しい。
なかなか覚えることもできず、
日々葛藤と悔しさと情けなさを感じている。

そして周りを見れば、
テキパキとこなしている人ばかり。

私から見れば、尊敬にあたる。
周りの人の仕事ぶりを見ては、心の中で
「すげーっ!!!」と拍手を送っている。

その人たちは気づいていないかもしれない。
なぜならそれが当たり前になっているから。

相当な努力をしてここまできているはずだし、
たくさんの葛藤があったと思う。
でもこの中にいると、できることが当たり前になってしまう。

当たり前ではなく、みなさんすごいよぉ!と叫びたくらいだ。

そしてそんな中、
ついに私は
自分の不甲斐なさに爆発してしまった。

ちょうど夕方、個別で母と姉と話したのもあって、
「はぁーしんどい…この仕事私には無理かも」
と愚痴をこぼしてしまった。
あまりに私には難易度が高い。

そこでそれぞれから別で、
同じ反応が返ってきた。

「そこまでしんどいならやめたら?
無理して頑張らなくていいんじゃない?」

というものだった。

おそらく私が今、
色々なことで頑張りすぎて
限界にきていることを知っているからかもしれない。

あとは、
母も姉も考え方が変わってきたという。

苦しい思いをして頑張る=いいこと
ではない


という感覚。
もちろん自分が頑張りたくて頑張るのはいい。
だけど、苦しいとか無理を感じてまで
頑張ることなんてしなくていい!

そう思うようになったらしい。
特に母は還暦を過ぎたあたりから
色々考えが変わったそうだ。

姉も、とても苦労が多かったので
そこから色々と考え方が変わったらしい。

村中家から
「ド根性論」が消えた(笑)

もちろん考え方は人それぞれで、
自分は頑張ったぞ!
ひとまずは設定したゴールに辿り着いたぞ!
と思うこともあるだろう。

それはそれでとても素敵なことだと思う。

私は負けん気が強いのか、
自分に厳しいのか、
常に自分は「全然できていない…」と思ってしまう。

亥年生まれらしく、
ずっと前方を突っ走って止められないのだ。

いい、悪いではなく、
私の持論である。

私は一生満足ができないのだろう。

アンミカさんもテレビでおっしゃっていた。
「人生死ぬまで通過点」だと。

最後、この世を去るときに
よく頑張ったね!と自分で自分に言えたら
それでいいかな、と思いながら今日も突っ走っている。

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