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写真で食べていこうとしてるのにやる気が出ない件

  わざわざ大学にまで通って写真の勉強をしているのに普段写真を撮るのが億劫である。なぜだろう。親がカメラマンもやっていたから。流れで幼少期のころから握っていたカメラ。「そこにカメラがあったから」だけで続けているカメラ。そこに信念があるとは正直自分では思えない。周りは展示だのSNSだので活発に発信しているが自分はインスタを月2本投稿できればいいほうである。こうやってnoteに書いている間にも写真を撮りに行けばいいのに。学友にはサラブレットと言われたり写真をほめてもらえることも時々あるが自分の中に何か突っかかるものがある気がする。確かに生まれたころから自分の写真を目の前で評価してくれる人が目の前にいたのは確かだ。だがそこに評価してもらいたい自分はいなかった気がする。今でこそSNSを自分で管理して運用しているからこそ写真などをUPして反応を見るのは楽しい。
 だらだら写真を撮ってはいるが、明確に自分のやりたいことがわからない。現状どういう生き方が正解なのかもわからない。常にニートでいないための何かを模索して生きている毎日。一体自分は何がやりたくて何ができているのかすらも把握できていない。そんな自分でも唯一続けれているのが夜スナップである。これが仕事につながるかはわからない。けどカメラを持つ者として自分の中でのカメラの存在意義を保っている気がする。多額のローンを組んてまで新しいカメラが欲しいとも思わないし、それのためにバイトなどをするのも何か違う気がする。今使っているカメラは父のおさがりであるCanon 5D mk3であるが、現行最新のカメラにそこまで魅力を感じない。どうせ暗い部分はノイズが出るし、AIだのなんだので解像度を上げてもどうせメディアの解像度はまだその域を脱してないから。
 話がそれたが、自分がカメラで食べていこうとしてると書いた。なぜならそれしか考えられないからだ。今からほかの分野の勉強をしてもよいが、それにしてはもういろいろと遅い。だからせめて写真という一つのコンテンツだけでも食える程度には成長したいとは思う。そのためには継続を絶やさないことなのかもな。と考えた。「食える」の定義があいまいではあるが、収入の一つの柱になるくらいにはしたい。それが「写真家」としての自分で行くのかそれとも「カメラマン」としての自分としていくのかはまた別の話。
 


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