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残念な職場のあるあるシリーズ(1) イエスマン登用型組織

 本稿は筆者の実際の体験に基づいたシリーズ寄稿です。
 では早速、今回はイエスマン登用型組織の末路について考えてみます。

イエスマン登用型組織の特徴

 ここで言うイエスマンとは、自分よりも立場が上の人間に対して反論や意見することなく常に付き従う人材です(本音はともかく少なくとも結果として)。これは特にガバナンス作用が低い中小規模の組織で起こりやすい傾向にあります。
 そのような組織において、最悪なのは代が変わる程にその気質および純度がより強まる傾向にあるということです。ある組織のトップだった人間がさらに上のトップ人間になった場合、当然その穴埋めとしてそのポストに新たな人材を充てる必要性が生じます。そのとき充てられるのは上記のトップにとって自分の腹心といえる信頼できる人材、つまり自分にとっての信用出来るイエスマンとなります。そして、実際に任命された人材はそのボスからの評価をかえって”恐れる”が故に、そのボスが治めていた組織を少なくとも退化させないようこれまで以上に強行な組織運営を必然的に迫られます。当然、数字としての結果も求められます。
 これにより、その組織運営はメンバーにとっては従来よりも息苦しい閉塞感のある環境をもたらすことになります。例えば、それまでは誰でも自分の意見が言える環境だったのが、意見を言うこと自体が組織に対する反抗とみなされてしまうようなことです。しかも、こうした悪しき雰囲気は決して一過性のものではなく常時はびこるものとなっていきます。そして時を追うごとにその熾烈さは増していきます。当然、そこに心理的安全性などは全くありません。
 そんな中、それでも勇気を出して異を唱えた者はあたかも中世ヨーロッパの宗教異端児のような扱いを受けます。それは現代にいうハラスメントです。つまり、ここには昭和の根性で乗り切る体質どころか、異なる主義主張は一切認めないという中世ヨーロッパのキリスト教支配の時代に近い、時代錯誤があると言えます。

マネジメントの責任

 そのような強引なやり方でも見た目上の数字などの結果が出ているうちは良いでしょうが、やり方を変えないということは次第に時代の変化に組織そのものが必然的に対応出来なくなっていくということです。早めに対応出来れば傷口は小さくて済みますが、従来からのやり方に固執すればする程どんどん時代遅れとなり傷口はより大きくなっていき、最悪の場合にはもう回復不可能な状況まで追い込まれる危険があります。
 組織においてイエスマンばかりを登用する文化のある組織は将来危険です。先人が後人に対して何よりも優先すべきことは、将来の発展が見込める選択を責任もってすることであって、目先の事だけをやり過ごすことではありません。
 しかしながら、恐ろしいことにそうようなイエスマンだけを登用する組織であればある程、自分達がそのような状況に陥っていることすら認識できない状況にあるものです。

イエスマン登用型組織の末路

 その一方で、優秀な人材にとってはこれらの事項は既にお見通しであり、沈没しかけた組織から逃れるために優秀な人材の流出が次第に必然的に進んでいってその組織にとって本来"使える"はずだった人材は結果的に次々と他の組織に引き抜かれていくになります。また、組織の閉塞感や厳しいノルマに耐えられなくなって辞めざるを得ない社員も増えるでしょう。
 こうして、仕事はあるのにヒューマンリソースが圧倒的に足りないという悲惨な状況が定常状態となります。そういう状態になれば単純に数をこなすために仕事の全体的な品質が下がるのは当然であり、やがて顧客の信用を失うことになるでしょう。顧客の信用を失えばやがて仕事も失うことになり、組織運営に大打撃を受けることは必然です。

まとめ

 以上の通り、組織運営というものは中途半端な組織にとっては非常に舵取りが難しいものです。さらに万一マネジメントに対する知識がない人間が指揮を取れば組織が傾くのは必然としか言いようがありません。管理職に就く人間は必ずマネジメントについて学び精通していなければなりません。そうでなければその後組織にとっては上記のような悲劇が待ち構えているだけでしょう。

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